第4話 ホームカミングを戦え!<前編>

 アインソフスクール・ホームカミング日程表。

 月曜日……ドレスアップ、ダンスパーティ

 火曜日……学生演劇(題目:覇王の鞘)

 水曜日……白の水曜日(落書きなどのイタズラが容認される日)

 木曜日……アメフト交流試合

 金曜日……スクール王&女王の選挙




 一日目は、何事も無く終わった。

 南郷は、血眼になって追いかけて来る女生徒の大群をどうにか撒いた所だったが。

 カーストの上では抜け作スラッカーで通っているビリーに、ダンスパーティはあまり縁がない。

 せいぜい二人の女子から逃げる程度で済んだので、余裕の構えで南郷を迎え入れた。

「では、作戦会議ブリーフィングだ」

「結論は出ているけどね」

「ああ、作戦の練りようがない」

「“これ”は、防ぎようがないね」

「会議は、終わりだな」

 一分と経たず、相談は終わった。

 二人の間には、作戦の擦り合わせすら必要ないのだ。

 それだけに、すでに袋小路へ追い詰められている事を、思い知らされていた。

 ホームカミングでのサイコシルバーの行方を端的に表すなら、以下の通り。


 ・現在のスクールでは、サイコシルバーを中心に、六勢力による抗争の構図が出来ている。

  勢力の内訳は以下の通り。

  サイコシルバー、アダム王、女帝、ブロスフェルト教諭、サーシャ、旧KING・クリス。

 ・扇動しているのはクリスである。つまり、サイコシルバーにとって目下の絶対敵は彼だ。

 ・女帝とサーシャは敵対している。

 ・サーシャは、将来的にサイコシルバーの敵となる。

 ・ブロスフェルト教諭は、今回の件の“黒幕”とつながっている。


「クリス王とその王妃リネットは、必ずサイコシルバーを暴きに来る」

「クリスさんとリネットさんがあれほどの人達だったとは。不条理すら感じる」

 南郷が、淡々と頭を振った。

 ビリーもまた、同じ、頭を痛めたような面持ちだ。

「アイジは中等部から、このスクールに入ってきたからね。

 ちょうど、クリス王の卒業と入れ違いだったから、知らなくても無理はない。

 普通、アダム・ダフィのような怪人物がもう一人いるなんて、考えもしないさ。

 それより、クリス王の存在を知っていて予測できなかった俺のミスだ」

 言葉を発しなくてよいほどお互いの事を知り尽くしているとは言え、

 そのビリー自身が見落としていた事まで読めるほど、南郷も超人ではない。

「とはいえ、クリスさんの介入が予測できたとしても、俺達は戦わなければならなかった」

「その通りだ。

 しかし、クリス王が敵に回る事に気づいていれば、こうなる前に対応出来たのも事実さ」

「例えば、女帝と組んで先にサーシャさんを倒すとか?」

「そう。クリス王、アダム王、女帝、サーシャ、ブロスフェルト先生……そしてサイコシルバー。

 今、俺たちの戦いは群雄割拠グンユー・カッキョの様相を呈しているのさ」

「また、オリエンタルな語彙を持ち出してきたな。

 しかし、群雄割拠と言うのは的を射た表現ではある。

 誰も彼も味方同士では無いけど、サーシャさんとマリーさん以外はサイコシルバーの敵と見るべきだろうな」

「そう。

 新旧KINGは、どちらが先にサイコシルバーを暴くかを競い合う。

 その前提からして、彼らは俺達の敵にしかなり得ない。

 ブロスフェルト先生は、このメンツで言えば完全中立だが……そもそも、サイコシルバーにクリス王を仕向けてきたのは、彼と、その背後に居る“黒幕”だ。

 今回の、クリス王の凱旋は、ただの偶然じゃない」

 新旧KINGがサイコシルバーを暴こうとし、遠からず、サーシャの思惑がそこに絡む。

 その状況を作り出した張本人はスクールの外に居る、とある“黒幕”なのだ。

 二人は既に、そこまで看破している。

「けれど、女帝とサーシャ・アベリナには、“今は”俺達と戦う理由がない」

「俺達と戦う理由。

 マリーさんには“過去”にあった。

 そして、

 サーシャさんには“今後”ある」

 今現在、サーシャとサイコシルバーが争う理由は微塵もない。

 接点すら皆無なのだから。

 しかし、

「サーシャの存在は、長い目で見て危険だ。

 “こうなった”以上、彼女は倒すしかない。

 一方で、俺達が女帝と敵対する事はもう二度とない。

 そしてその女帝とサーシャは、蹴落としあう関係にある」

「彼女を利用しない手はない、か」

 南郷が冷静に分析する。

 すると、ビリーがにわかに微笑した。

「復活できたな、アイジ」

 自分の事のように、心底嬉しそうなビリーの笑顔。

 抜け作スラッカーの仮面をかぶり、他人の腹をうかがいながら生きてきた男は、

 実は、こんなにも純朴な、少年の笑顔を浮かべる事が出来るのだ。

 それも、ほかならぬ南郷の心を慮っての笑顔。

 南郷は、胸が一杯になる気持ちだった。

「……俺は、進むしかない」

 そして、自分に言い聞かせるように、応じた。

 感傷は、一瞬。

 すぐさまそれを振り払うように、南郷は、

「マリーさんは、なぜか俺を過剰に警戒している。

 あれから挨拶も返してくれない。

 だから、交渉はビリーにお願いするよ」

「そう来ると思ったよ」

 わかりきっていた頼みに対して、ビリーはわざとらしく肩をすくめて見せた。

「しかし――」

 おどけたジェスチャーから一転、ビリーは眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

 眼鏡の奥にある目つきは、猛禽類のような鋭さを帯びる。

「こんな、スクールと言う狭い箱庭で事が済めば、まだ楽だったんだが。

 ブロスフェルト先生をけしかけた“奴ら”への対応も考えないとな……」

 対する南郷は、少しも表情を変えない。

 ただただ柔和で温和なまま。

「日常の裏で糸を引く“組織”なんてものは、悪役ヒールの花形じゃないか。

 この“黒幕”の存在は、ヒーローの活躍には不可欠なフレーバーだよ」

 二人は既に、真実を見抜いている。

 ブロスフェルト教諭の背後には、スクールなど問題にならない、巨大な組織が絡んでいる。

 このアメリカの秩序を、裏から転覆させようとする組織だ。

 あの社会科教師は、ヒーローでありながら、悪の組織と通じているのだ。

 先の先、裏の裏。

 何もかも、サイコシルバーにはお見通し。

 それでも、

 ――ままならない。

 何もかも見通してでも、運命とも言うべき大きな流れには逆らえずにいる。

 事実、サイコシルバーは、これからクリスやブロスフェルト教諭のする事を全て見抜いていながらにして、受け身に回るしかなかった。

 南郷は、無力感と共に、その現実を思わずにはいられなかった。




 薄暗い重役室。

 会議にも使えそうな、広い部屋だ。

 濃い琥珀色の照明は、部屋の形を一応、明らかにはしていた。

 しかし、部屋の主の顔形までは、はっきり見えない。

 “木材の宝石”とも言われる黒檀エボニーで作られた、モダンテーブル。

 そこに両肘をついた、中年の男こそがいわゆる“黒幕”だ。

 スクールに渦巻く陰謀、全ての根源。

 いささか離れた距離から、部屋の主と相対していたのは、赤と白で装飾されたアメコミヒーローである。

「サイコシルバー包囲網は完成した」

 コスチュームにそぐわぬ、深みのある声で、ヒーローはボスに告げる。

「我々は、学生達の小競り合いを、その範囲外から見て居れば良い」

 影を纏ったボスが、僅かに頷いた気がした。

「クリストファー・ヘイルを始めとし、私達の駒はいずれも、障害無く機能する見通しだ。

 マリー・シーグローヴは予想外に早く戦線離脱したが、問題無い。

 イレギュラーと目されるアダム・ダフィも、我々の目的には直接影響しない。

 彼がクリストファー・ヘイルを下そうが、逆に、敗れ去ろうが、我々には影響が無い。

 サイコシルバーは、その裁量を全て駆使し、五勢力の敵対者全てを下す筈だ。

 それは詰まり、我々がサイコシルバーの戦闘データを得られる事に他ならない。

 そうすれば……我々の研究は、間違い無く完成する」

 普段、寡黙な教諭として生活するヒーローが、今は一方的に話している。

 ただ、

「ついに、材料が揃うか」

 感慨深げに、ボスが呟いた。

「アメリカの新たなる秩序は、私の手に」

 そして、傍らの地球儀を回して見せる。

「“サイコクロース”よ。

 貴様の贈り物に、私は満足している」

 赤と白のヒーロー――サイコクロースは、黒幕なりの礼に対しても、微動だにせず。

 ただ、

「気付いて居るのだろう?

 私には私の目的が有る事に。

 貴様の認識の埒外らちがいいて」

 明け透けに、本心を見せつけるのみだ。

「勿論。

 ヒーローを踏みつけにする一方で、私のような黒幕をも踏みつける。

 貴様のような“アンチヒーロー”とは、そういった存在なのだろう?」

 これは決して、コミックやヒーロードラマのストーリーについて論じているのではない。

 良い歳をした二人の中年は、目先の現実を、偽り無く語っているに過ぎないのだ。

「サイコクロース。

 最後に貴様が私に敵対するのなら、この米国ごと、貴様も全てのヒーローどもも屈服させるだけだ」

 サイコクロースは、黙って踵を返した。

 今は、黒幕の駒として。




 軍師セシルは、ただ冷淡に、前を見据えていた。

 その、夜闇に包まれた姿は、血の通わない人形のように冷たい。

 白磁の肌。

 空色の瞳。

 中性的に整った、顔のライン。

 ……戦場の粉塵をかぶってなお、金塊のような深みと輝きを放つ髪。

 己の謀略により、

 己の操る軍勢が、敵国を無慈悲に蹂躙する。

 その様を、セシルは見ているのだ。

「美しい」

 涼やかな声は、セシルの隣から発せられた。

 鮮やかな赤の軍服を着た、長い茶髪ブルネットの人物が、セシルを見て呟いたのだ。

「陛下」

「この様な血濡れの戦場にあって、そなたの美と知性は、いささかも損なわれておらぬ」

 声変わりもしていないような、高い声で、己が軍師を称賛するのは……ラグール国女王・イルメンガルト七世。

 その童顔には、まだあどけない少女のような面影を残す。

 その華奢な身体で、一国の命運を背負う。

 セシルが全てを捧げた、主君。

「お戯れには、まだはよう御座います。

 未だ、敵陣は機能してります故」

 セシルの声もまた、真水のように透き通っていた。

 何の不純物も無い、無機質な水のように。

「私は真実を申しておるまで

 かような地獄を前にせねば、そなたの真の美しさは顕現けんげんせぬのでな」

 そう言って女王は、セシルの頬に手を添えた。

 冷然とした軍師の瞳が、僅かに揺れる。

 主君への想いを戦場に持ち込むなど、あってはならない。

 女である事を隠した軍師は、胸の奥を裂かれる思いを、必死に堪えていた。

 無表情の仮面の下。

 だが、よく彼女の顔を見詰め続ければわかる事だろう。

 その、微かに漏れた苦渋の色が。


 女王もまた、女ではない。


 ラグール王家には、代々、美姫びきと見紛うような男子が生まれる。

 それも、世界中からどれだけ絶世の美女を集めて来ようとも、太刀打ちできぬほどの、魔性の美を持つ男子が。

 それは時に、他国の王の目を、色々な意味で引き付けてしまうのだ。

 ラグール国の歴史は、大半が戦の歴史だった。

 肥沃な土地と、悪目立ちをしてしまう王が原因で。

 ラグール国はいつしか、国家元首を“女王”であると定めた。

 絶世の美女をしのぐ王、と言うよりは、単なる絶世の美女の方が、向けられる目がいくらかマシだからだ。

 王位継承者が男子であろうと、女子であろうと、対外的には女王とされる。

 そうして他国と民を欺き続けた王。

 もし、王が女装をした男だなど知られれば……。

 彼は、本来の性別を知られるわけにはいかなかった。

 そして奇しくも、女の身であれば軍属になれぬからと、性別を偽ったセシルが王と出会う。

 そして、何物にも代えがたい懐刀ふところがたなとなる。

 お互いの真実を見抜いた上で、それでも口には出せず。

 代々、ラグール王の婚礼は、元老院が掌握している。

 彼らをも敵に回して、王が無事であり続ける事は困難。

 軍師として有能であるがゆえに、セシルには、その事実が強く立ちはだかった。

 愛のささやきすら、暗号化しなければならない二人。

 日に日に膨れ上がる恋慕を御しきる事は、人間には不可能だ。

 賢王であっても、その右腕たる軍師であっても。

 ならば、

「ラグールを攻める国が、全て滅びてしまえば良い」

 軍師セシルの、そのつぶやきは、ただ、文書を棒読みするように無感情なものだった。

「周辺諸国に巧く取り入り、用済みになれば裏切り、ラグールに逆らえる勢力を全て消す。

 所詮人間なぞ、けだものに過ぎず。

 縄で縛るか、鞭で脅すか、さもなくば弓矢で殺すしか無い。

 いのししを前に、無防備で居る者が愚かである様に。

 ラグールを脅かす国を根絶すれば、元老院もまた、用済みです」

 王の耳元、かすれた声で囁く。

 それは、そそのかしでは無い。

 さりとて、まことの忠義から来る献策でもない。

 ただただ、王と軍師が本来あるべき姿で愛し合える未来を築く為の、

 なおかつ、ラグール国をこれからも保持するための、方法論だった。

 あるいは、睦言むつごとと言うべきか。

 だから、

田畑でんぱたを焼き尽くせ!

 毒を撒き尽くせ!

 子供を殺せ! 女を殺せ! 兵士も貴族も貧民に至るまでも、皆殺しにせよ!

 ルカーク国の名を、歴史と地図から消し去るのだ!」

 セシルは全軍に命じる。

 喉仏も出ていない、幼い喉から振り絞られた高い声なのに、

 その怒号には、恐ろしい肉食獣のような轟きがあった。




 ……。

 以上が、演劇・“覇王の鞘”における、ワンシーンである。

 西側の観客席で、南郷とビリーとマナが、劇に見入っていた。

 マナの感想。

 ――愚かで、悲しくて、美しいお話。

 ――運命に翻弄された二人の小さな愛情が、たくさんの国を滅ぼしてしまうなんて……。

 南郷の感想。

 ――まあ、セシルは、そうするしか無かったでしょうね。

 ――自分の立場、国力、王の権力。全てを使って、世界を征服してでも自分の愛を成就させる。

 ――人として、自然な行為だ。

 ビリーの感想。

「ねえねえ、ベッドシーンまだ? ああいうメロドラマにベッドシーンはつきものだろ」

 マナは初めて、ビリーを殺そうかと思った。

 ただ。

 三者三様の感想はあれど。

 三人ともが、サーシャ・アベリナ演じるセシルに圧倒されたのは、真実だった。


 中央あたりの観客席で、アダム王・女帝・クリス・リネットの四人が劇に見入っていた。

「どう? 感想は」

 リネットが、女帝に囁いた。

「最高です。彼女は、誰よりもセシルをうまく演じてくれた」

「元々あなたの役だったのでしょう? そんな事言っていいの?」

「ええ。“私の書いた脚本”の主役を、私以上にハマり役の子が……それも、仲のいい後輩が演じ切ってくれた。

 脚本家としても冥利に尽きます」

 女帝は度々、劇の脚本を自ら書くことがあった。

 何故なら、その方が演じる人物をより理解しやすいからだ。

 一方、新旧KINGのアダム王とクリス王。

「アダム、君の見解はどうだ?」

 先代の問いに、アダム王は、

「ふん、制圧寸前の敵地で焦土作戦まがいの事をするとは、合理性に欠ける。

 God is in the details――神は細部に宿る――

 とりわけ、時代劇では大事なことだ。

 役者に助けられている感は、否めないな」

 面白くもなさそうな面持ちで、吐き捨てて見せた。

「野蛮人には、時代設定が中世でさえあれば“時代劇”にしか見えないのですね。

 貧しい感性をそうと自覚できないことは、果たして幸せなのか不幸なのか。

 生きる世界の違う私には、計りかねますが」

 自分の脚本を貶されたに等しい女帝が、冷たく容赦のない口撃をKINGに注ぐ。

 ただ、とにかく。

 四人それぞれ、考えるところは違えど。

 サーシャ・アベリナがセシルを演じる姿に見入っていた事だけは、事実だった。




 夜。

 在校生とOBを交えた小パーティが、連夜、そこここで行われる中。

 今日のMVPであるサーシャ・アベリナは、面会謝絶として自室にこもった。

 セシル役を演じきり、完全燃焼。

 疲労困憊なのだろう、と、誰もが納得した。

 だが実際、サーシャの部屋には二人の人物が居た。

 部屋の主であるサーシャと、旧クイーンのリネットが。

「素晴らしい演技だったね。

 本当に、ご苦労様」

 伝説のKINGの懐刀たる彼女に労われたサーシャは、くすぐったそうに微笑む。

「ありがとうございます。必死に特訓した甲斐がありました」

「マリーも、絶賛してた。

 理想のセシルを再現してくれたって」

 それを聞くや、サーシャの目が大粒に開いた。

 手をぽん、と叩き。

「それ、ほんとですか!? うれしいな!

 えー、直接じゃないけど、マリーさんにほめられちゃった!」

 その喜びに嘘偽りはない。

 “女帝”は倒すべき敵だが、“マリー”の事は大好きだった。

 役者としても、人間としても。

 彼女の書く脚本も、心底愛していた。

 それは身内の欲目ではなく、劇を演じる者としての純粋な想い。

「マリーも、あなたの事になると別人のように優しい。

 まるで、妹でもできたみたいに」

「そうです。あたしにとっても、彼女は理想のお姉さんです」

「じゃあ、蹴落とすのをやめる?」

「まさか! それとこれとは話が別です。

 あたし、KINGの統治も女帝の統治も、認めませんから。

 あの人たちがしている事は、間違ってる」

 サーシャは、何一つ、包み隠さない。

「あたし達の内情をそこまで調べて、こうしてお話をすると言うことは、取り引きがあるんでしょう?」

 リネットは、慈母のような笑みを浮かべた。

 後輩の、物分かりのよさを、愛しく思って。

「クリスと私は、金曜日の女王選であなたを全面的に支援する」

 サーシャは、一瞬、息を止めた。

 クリスとリネット、アダムとマリー、それぞれがプライベートでは仲睦まじく、

 しかし公の場では不倶戴天の敵である事は、サーシャにも察しがついていた。

 利害は一致する。

 クリスが支持してくれるのなら、まず勝てる。

 このお祭り騒ぎでは、生徒達のタガもかなり緩む事だろう。

 女帝に投票しなかったら……と言う畏怖も、半減するはずだ。

 そこへ、伝説のKINGがお膳立てをしてくれれば……間違いない。

 だが、

「その対価とは?」

 サーシャは、すぐに飛び付く愚をおかさない。

 旨い話にほど、相応の対価が求められる。

 そんな事は、誰よりも知っている。

「仲間想いのあなたに、できるかどうか」

「話を全て聞かないと、わかりませんね。

 仲間の誰かに迷惑をかけるとして、それ以上の穴埋めをしてあげられるかどうかにもよりますし」

 ――本当に。

 マリーと言いサーシャと言い、自分達は良い後輩に恵まれている。

 リネットは、その事を噛み締めた。

 マリーもサーシャも、アダムも、クリスも、恐らくは南郷達サイコシルバー一派も。

 みな仲間想いで、敬愛しあってて。

 それなのに、憎み合ってもないのに潰し合うこの関係に、皮肉を感じながら。

「サーシャ。これは、私からの個人的なお願い」

 そして、サーシャの耳元に唇を近づけて、

「日本人留学生の、マナ・イヌイを……、

 …………て、…………、……くれる?」

 ほとんど吐息だけでささやいた。

 だが、サーシャには、その依頼が確かに届いていた。

 その証拠に、快活なまでにあっさりと頷いたのだから。

「全然いいですよ。

 なぁんだ、もっとつらい事をやらされるのかと思いました。

 もっと、傷つけたくない人を傷つけなきゃいけないのかと」

「躊躇は、全く?」

「ありません」

 なぜなら、

「あの子、あたしの仲間じゃないですから」

「恐ろしい子。

 仲間と認識していない相手には、何でもできるの?」

 サーシャは、難問を見た女児のように、邪気なく唸って、

「少し前まで、友達になりたいなって勝手に思ってました。

 あの子、あたしとかなり気が合ったし。

 けど、ダメだったんです」

 なぜなら、

「タイラーくん、マナちゃんに気があって。

 だから昨日のダンスに誘ったんですけど」

「タイラー君を振ったから?」

 サーシャは頭を振った。

「恋愛の取捨選択は自由です。

 でもあの子、タイラーくんに少しのチャンスさえ与えなかった。

 ダンスをしてみて、もしかしたら気持ちが変わるかもしれない可能性を、無視して」

 そして、

「あたしがお願いしても、少しの検討もせずに否定しました。

 この時点であの子は、あたしの敵です」

 ビリーの言う“こうなった以上”とは、この一件だった。

 サーシャが欲しいのは、恩に対する対価ではない。

 ただ彼女は、持ちつ持たれつの、磐石な安心が欲しいだけ。

 やぶさかでは無いであろう頼みを蹴る者は、自分の窮地に追い討ちをかける可能性のある者。

 登山や砂漠で、助けられる仲間を助けない。

 それを検討すらしない者を、サーシャは人とは見なさない。

 例えその相手の事が好きであろうと、嫌いであろうと。

「そして、タイラーくんは以前、街でしつこくナンパされてたあたしを助けてくれた。

 それ以降、街に出るときは、たびたびボディーガードをしてくれます。

 あたしは、彼に恥をかかせたマナちゃんと、そんな彼に報いれなかった自分を許せない」

「なるほど。

 やはりあなたに頼んで正解だったかな。

 あなたは、ともすればマリー以上に非情な統治者になれる」

「あたしはただ……」

 リネットの評価に、サーシャはほとんど反射的に応じた。

 にも関わらず、言葉に詰まっているのはなぜだろう?

「ただ、安心して、学生生活を楽しみたいだけです」

 それ以上、リネットがサーシャの内面に踏み込む事はしない。

 ただ、涼やかな笑みを浮かべたまま、彼女の言う事に全て首肯するのみ。

「マナちゃんをやっつける件、協力します。

 けれどそれは、あたしが女王選に勝利した時にしてもらえますか?

 あたしが女王選で勝利するまで、マナちゃんには手を出しません。

 もしあたしが負ければ、金輪際、リネットさんの助けにもなれません」

 次に要求を提示したのは、サーシャだった。

「マナちゃんを陥れるその作戦、あたしの仲間たちに協力を頼めば、少なからずあたしは、仲間たちから“そういう事をする女”だと思われます。

 どうしても、あたしの手を汚さずには、できない事です。

 それこそ、女王選の勝利が報酬でなければ、つり合いがとれません」

 サーシャの“契約癖”は、誰が相手であっても変わりない。

 たとえそれが、伝説のKINGが助力を申し出てきた事であろうと。

「勿論、元よりそのつもり。

 私の依頼は、報酬の前払いが原則だから」

「ならオッケーです。

 あたしは、前払いされた分以上の報酬は支払う主義ですから」

 密約する二人の女は、その剣呑な内容にも関わらず、健全な笑みを交し合った。

「交渉成立」

 まず、伝説のKINGクリスの影響力をもって、サーシャの女王選を勝利させる。

 そうなれば、サーシャが名実ともに“女帝”の地位を奪う事も可能となる。

 それで得た権力をもって、マナをこのスクールから排除する。

 契約は、以上である。

「けれど、リネットさんも、よくこんな恐ろしいことを考えますねー。

 あたしの事、非情とか言えなくないですか?」

 サーシャの言葉に、リネットは斜め右上を見上げた。

 何かを思い起こすときの、ちょっとした癖だ。

「うーん。クリスには清廉潔白を貫いてもらわないといけないから。

 それこそ、軍師である私が、裏で汚れ仕事ウェットワークをしないとね」

「なるほどー。なんか、どっかで見たような構図ですね」

「似たもの同士、意志は受け継がれるものなのかもね」

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