女帝を倒せ!<後編>

 その月曜日はやってきた。

 学園のそこここでクラッカーが鳴り、花火が鈍重に弾ける月曜日が。

 日頃、画一的な制服に拘束されていた少年少女たちも、今週だけは意のままに着飾る事を許される。

 パーティドレスやタキシードで背伸びをする者もあれば、これ幸いとゴシックファッションを決め込む者もいる。

 コスプレにも事欠かない。

 動物を模した着ぐるみも居れば、ホラー映画の怪人も居れば、ジャパニメーションのキャラクターも居る。

 いずれも控えめに言って“手作り感”があふれており、親しい友人たちの失笑を買っている。

 そんな中、本物志向のコスプレイヤーも、もちろん居た。

「Oh!」

「すげえ! マジモンかあれ」

 そうした類稀なる職人芸は、感嘆とざわめきを持って祝福される。

 銀色を基調とした無名のヒーローも、そのうちの一人だった。

「正義の使者、サイコシルバー見参!」

 合成音声で言い放つと、側転・バク転・宙返り・きりもみ状に舞いながら着地。

 後方抱え込み二回宙返り三回ひねり。

 金メダリストでも苦労する技を、オペコットスーツ姿の男が難なくこなしてみせれば、それは人目を引くことだろう。

「本物だ! あいつ、本物だ!」

「グレート!」

 にわかに厚みを増した人垣。

 前列の野次馬達が、こぞって折り畳み携帯を取り出し、写真を撮りまくる。

「もう、あんな目立つことして……」

 黒地に白シマのパーティドレスを着たマナが、心底頭痛を覚えるようにつぶやいていた。

 悪い癖だ。

 ブロスフェルト教諭が、このホームカミングでのサイコシルバー出演を依頼したのは事実である。

 実際にはKINGの追跡から彼を逃がすための、教諭の機転ではあったのだが……。

 頼まれごとは頼まれごと。

 頼まれごとでは、依頼人の期待以上のクオリティを見せようとするのも彼の悪い癖で。

 調子に乗って、周囲を必要以上に驚かせて愉しむのも、彼の悪い癖だ。

 特に後者。

 腐れ縁なだけあって、マナはこの世で最も、彼の悪癖で被害を被っていると言って良いだろう。

 そこへ。

 モーセの十戒よろしく、サイコシルバーを取り囲む人垣がきれいに割れた。

 非常にわかりやすい光景だ。

 堂々たる体躯と態度で道を歩くのは、KING――アダム・ダフィ。

 その隣には“女帝”マリー・シーグローヴ。

 後ろに続くのは、アメフト部の親衛隊。

 アダムは、サイコシルバーを見ても足を止めない。

 ただ、遠巻きにこちらを見張るブロスフェルト教諭に、つまらなさそうな一瞥だけを送って、前に向き直る。

 この場で捕り物をしようなど、流石のアダム王も考えてはいない。

 そうして偶然か、探していたのか、彼の目はマナに留まった。

 マナは……様々な想いを込めて、KINGに一礼した。

 KINGは……、

 それに対し、小さな頷きだけで応じて、なおも歩き続ける。

 ――多少なりとも立ち直れたのなら、それでいい。

 女帝は楚々とした態度のまま、ただKINGの側に付き従うのみ。

 マナにもサイコシルバーにも、一瞥だにしない。

 そんな中へ、

「アダムさーん、マリーさーん!」

 小妖精のような、無邪気な女声が、仮初の静寂を裂いた。

 サーシャ・アベリナだ。

 KINGと女帝の反応は、サイコシルバーの時とは逆だった。

 KINGは彼女をほぼ黙殺。

 女帝は、柔らかな笑みでサーシャを迎えた。

「おはようサーシャ。もうセシルにはなりきれた?」

 その語調も、数日前とは別人のようだ。

 あの、研ぎ澄まされた刃物を思わせる、冷知の気配がない。

「んー。いつも通り、その場その場のノリで、あたし自身がいいと思った演技をしますよ。

 主役を演じるとしてもね」

「言うと思った」

 今回、演劇部が演じる題目は、時代劇。

 女性であることを隠した軍師・セシルが、若き王を勝利に導くストーリーだ。

 その気高さと知性を演じる為、この数ケ月の女帝は堅苦しい口調を徹底していた。

 もう、当分その必要はないのだが。

 一方でサーシャは、どんな役を演じるにしても、アドリブが多い。

 それが大抵の場合的確なので、事前に準備を重ねるマリーとは好対照の役者といえよう。

「今回は、観客席からサーシャ流を勉強させてもらおうかな」

「あたしの芸は、簡単に盗ませませんよー?」

「はいはい」

 和やかなやり取りをした後、女帝はKINGと共にまた歩き出す。

 やはり、彼と彼女の通り道は、自然と民衆が道を開けるものなのだ。

 まさしく、王道と言うべきか。

 そんな様を、サーシャは、じっと見据えていた。

 そこへ。

「ヘイ、サーシャ。元気してる?」

 その軽薄な声掛けをした男は、勇者といえよう。

 KINGの王道を汚さない程度の常識は備えながらも、サーシャには馴れ馴れしく話しかける。

「やー、タイラーくん。あたしはいつも、元気いっぱい。知ってるくせに」

「バレた?」

「バレバレ」

 まいったな、と、タイラーは頭を搔いて見せた。

「でも、君については、知らないこともある」

「知らないこと?」

 タイラーの表情が、ほどよい緊張感と真剣味を浮かばせた。

「君の、ダンスの癖」

「ああ、確かにね」

「まだお相手いない? だったら、今夜のダンスパーティ、オレと――」

「ごめん、お相手はいる」

 タイラーの申し出を遮るように、サーシャは自分の後ろを振り返った。

 影を薄めてついてきていた取り巻きのうち一人、ゴスの少女に顔を向ける。

 そして、彼女にだけ見えるようにウインクをしてみせた。

「ぇぇ……彼女は、わたしとおどるの」

 サーシャの希望に応じ、ゴスの少女が口裏を合わせた。

 そのさまを見て、

「やっぱりね。いいさ、また今度の機会で」

 とだけ言い残して、タイラーはサーシャから離れた……。

 ……のだが。

 そのタイラーが次に近づいたのは、マナだった。

「……?」

「君は、どうかな?」

「ど、どうって?」

「オレと今夜」

 マナは、硬直した。

 確かに去年今年も、何人かの男子にダンスパーティの相手を申し込まれていた。

 それはつまり、気に入った女子と交際するための布石に使われる文句だ。

 この国のこのイベントでは多々ある事で、マナにも一定の需要はあった。

 だが、何度申し込まれても、慣れそうにない。

 第一、彼女がダンスのパートナーにしたいのは一人だけだから。

「すみません……せっかくなのですが……わたし、ダンスがだめで……」

「いいよいいよ、オレがリードする! これを機に、覚えなよ」

 このタイラーと言う生徒、サーシャの時はすぐに諦めたくせに、マナにはよく絡む。

「苦手意識をそのままにしておくの、もったいないよ」

「ぃぇ……でも……」

「あたしからもお願い!」

 サーシャが、マナの前に来て拝むポーズをした。

 こんな日本式のジェスチャーを、どこで覚えてきたものか。

「この人、こう見えて必死だからさー」

「まあ、そういう事さ」

 マナが、大きく首を振った。

「できません! ごめんなさい」

 予想以上に声を張り上げてしまった。

 サーシャもタイラーも、一瞬あっけにとられたが。

「……しかたないな。他をあたるよ」

「……そう?」

 タイラーは、ここですっぱり諦めてくれたらしい。

 どちらかと言えば、サーシャが後ろ髪をひかれたように、去るタイラーを見送った。

 そんなやり取りも、KINGと女帝は背中越しに聞いていた。

「模範的なアイドルですね。彼女。

 自分は絶対にボーイフレンドを作らない」

 女帝が、どこか嬉しそうに呟いた。

「あれも、君の玉座を狙うためだろう」

「知ってますよ。恐らくは、最終日の“選挙”が狙いでしょう」

 ホームカミングの最終日には、ある選挙がある。

 全校生徒、およびOBが投票し、“このスクールの王と女王”を決めるというものだ。

 アダムの通称であるKINGや、マリーの通称である“女帝”は、あくまでも非公式なもの。

 これに対し、ホームカミングで決定される王・女王は、スクールが公式に授与するものだ。

 順当に考えれば、男子で選ばれるのはアダム。

 女子で選ばれるのは、マリーとなるだろう。

 だが。

 もしも、彼と彼女を下し得る者が出れば……KINGや女帝の称号は“偽物”の烙印を押される。

 それは、スクールの勢力が一変しかねない事だ。

 KINGに問題はないとしても……女帝の方は、実のところ窮地にあった。

 それが、サーシャの存在だ。

 カーストの枠を超えて、分け隔てなく万人を愛するクイーンビー。

 オタクやいじめられっ子といった、潜在的な支持層は計り知れない事だろう。

 そんな彼女が、今度の劇では主役を演じる。

 あの女帝が突如降板した主役を。

 KINGとの関係が噂される女帝とは反対に、サーシャの隣に男の気配は全くない。

 それが、彼女の偶像アイドルに、処女崇拝がごとき補正をかけているのは確実だ。

 サイコシルバーに敗れた余波が、こんな所にも出ていた。

「助ける気はないぞ」

 アダム王は、いくらか声を落として告げた。

 群衆の支持を失えば、立場も失う。

 王と女帝とて、その摂理にまで逆らうほど、傲慢ではなかった。

「あなたに言われるまでもありません。

 わざわざ発声のために無駄なカロリーを消費するなんて、王の名が泣きますよ」

「オーケイ。ようやく、いつもの君が戻ってきた」

 女帝はもう、応じずに肩をすくめただけ。

 返事をすれば、思う壺だ。

 そこへ。

 KINGの登場で鎮まり気味だった場が、にわかに沸き立った。

 あちこちで、黄色い声援や、興奮の叫びが上がる。

「……KINGが白けさせた場を、これほど活気づかせる存在となると」

 女帝の顔に、淡い笑みが浮かんだ。

 生徒はみな一様に、ある人間を見て、騒いでいるのだ。

 KINGの御前である事すら忘れて。

 注目の的となった存在は、正門から堂々と入ってきた。

 男女二人組。どちらも正装。

 男の名は、クリストファー・ヘイル。通称クリス。

 映画俳優のように甘く、しかし精悍さも兼ね備えたマスク。長く、癖のある黒髪、黄金の輝きをはらむヘーゼルの瞳。

 女の名は、リネット・ノーランド。

 すっきりとしたフェイスラインに沿って、美しいこげ茶ブルネットのショートヘアが流れている。

 クリスもまた、KINGと呼ばれた事のある存在。

 そして、彼と同時期に在校していた生徒にとっては、伝説の男だった。

「続々と先輩OBが入校する中」

 ふと、クリスが芝居じみた口振りで切り出し、

 芝居じみた足取りでアダムに歩き寄る。

「何ら出迎えの姿勢を見せない生徒会長がいらっしゃるという」

 それはまさしく、映画かドラマの主役を演じているような。

 道化と紙一重の、しかし、確固たる意志を持った振る舞いだった。

「このスクールで言う“KING”の質も、ひどく落ちたようだが?」

 口元だけに笑みを作り、クリスはアダムに言い放った。

 対するアダムは、傲岸不遜な態度を微塵も変えぬ。

「ただ自分より年上だというだけの理由で他人に膝をつくのが王と言うのなら、

 昔のKINGとは、ずいぶん安っぽいものだったようだ」

 いつからか、背丈は、クリスを追い越した。

 それを誇示するかのように、アダムはクリスに見下ろす視線を向けるのである。

 ただただ、現KINGにとって、旧KINGの存在は面白くない。

 クリスがスクールに居た間、アダムはKINGの座につけなかった事実があるからだ。

 もっとも、当時初等部で一〇歳だったアダムが、六歳年上のクリス王が座する椅子を奪えようはずもなかったのだが……。

 年齢なぞ言い訳だ、と、当のアダムは豪語してはばからない。

 それは裏を返せば、クリスこそが、ただ一人、アダムが敗北を認めた男だと言う事なのだが。

 それなりに長いにらみ合いの末、

 クリスは、嘲弄の吐息と表情を作った。

「現役で頑張っている、と言う事か。

 知ってるかな、少年? “頑張っています”が通用するのは、今まさに君の居る、スクール高等部までだという事を」

「社会に出てせいぜい二年程度。

 もう、貧相な経歴をひけらかしたくなったか?」

 クリス曰く、

 ――かわいくない。

 アダム曰く、

 ――面白くない。

 新旧KINGが二人。

 彼らが肩を並べて、協力しあうことなど、後にも先にもあり得ないだろう。

 ならば。

 ――これは、お灸をすえる必要があるな。

 先に戦意を燃やしたのは、クリスの方だった。

 元KINGとして、

 元アメフト部キャプテンとして、

 アダムを肯定する事は、自らの青春を否定する事と同義。

 クリスにとって、卒業までに叶わなかった事。

 それは、彼にとって唯一無二の、生意気な後輩であるアダムを打ち負かす事に他ならない。

「私は今や、部外者ではあるが……君たち現生徒会が直面している問題については、既に精通しているつもりだ」

 ヘーゼルの瞳を、アダムからマリーへと移し、告げた。

 マリーはただ、困った笑みを、クリスに向けるのみ。

「介入するつもりか。この、ホームカミングの間に」

 何のことだ? などと、とぼけて見せるほど、アダムは冷静でも厚顔でもなかった。

「そういう事だ。

 コスプレヒーロー一人に手を焼いている現生徒会に、このOBが協力してやろうと言っている」

「貴様」

「妃を守れない王ほど、みじめなものは無いぞ、少年?」

「お待ちを。私は、彼のかのじょになった覚えなどありませんが」

「ほほう、私が卒業してから幾年。

 まだ、女帝を御し切れてないのかい? アダム」

 そう言って、クリスはリネットの肩を引き寄せた。

「あら? じゃあ、あなたは私を御しているつもりで?」

 恋人の抗弁は黙殺し、旧KINGはただ、アダム王に挑発的な視線を向けるのみ。

「話を逸らすな、過去の遺物め。

 俺の目が黒いうちは、サイコシルバーの件に貴様を触れさせる気はない」

「なら、防ぎきるが良い。

 口だけなら、何とでもいえるからね」

「……」

 アダム王は、それ以上何も言わなかった。

 かのクリストファー・ヘイルが興味を抱いた以上、事がただで済むはずがないのは、明らかだったから。

 語るべき事は、そこで尽きた。

 新旧KINGは、ただ、敵意に満ちた視線を、互いに送りあうのみだった。

 神が、そのように設計したとしか言いようがないほど、

 アダムとクリスは、敵対者なのだ。

 ……。

 ……。

 ……、…………。

「それはさておき」

 クリスが、唐突に話を切った。

「四人で飯でも食べに行かない?

 ここのカフェテリアのランチ、久々なんだ」

 脈絡なく、そんなことを、アダムとマリーに言い放ち、

「オーケイ。俺も腹が減った」

 アダムはそれを、何の違和感もなく、受け入れた。

 つまるところ、新旧KINGは、

 互いの恋人(?)を交えて食卓を共にする程度には、仲が良い。


 役者は揃った。

 一連の成り行きを外野から見守っていたサイコシルバーの脳裏には、そんな言葉が浮かんだ。

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