ストーカー勇者に愛されすぎて

日富美信吾

01*さて。今日の夕食時、食卓に上るのはいったいなんだろうかとか。


 さて。


 今日の夕食時、食卓に上るのはいったいなんだろうかとか。


 そういえば明日の数学の授業で宿題が出ていたような気がするのは忘却の彼方に追いやっておきたいぜとか。


 他にもあれやこれや、とにかくくだらなくてどうでもいいことを延々と思い続けることによって現実逃避し続けている場合じゃないことは、他の誰でもなく、俺自身が一番よくわかっていることだった。


 というわけで、いい加減、現実を直視しなければいけないだろう。


 覚悟を決めろ。


 ビシッと見てやるのだビシッと!




 チラッ。




 横目で、盗み見るみたいに現実を見る俺。


 全然、覚悟なんか決まっていなかった。


 だが仕方ないのである。


 すぐそこに、ダンプカーが迫ってきているのだから。


 これが夢だったらどれだけよかったことか。


 だがとても残念なことに、これは夢ではなく、現実。


 つまり、そう遠くない未来――というか、もうすぐ、俺はこのダンプカーにはね飛ばされ、死んでしまうということだ。


 俺はフロントガラス越しに、ダンプカーを運転している男の顔を見た。


 その口が動き、「どうしてこんなことに!?」と言っているような気がした。


 しかし、言わせてもらえるのなら、それはこっちの台詞なのだ。


 どうしてこんなことになったんだ?


 一瞬が永遠に引き延ばされたような感覚の中で、俺はこんなことになってしまった経緯を思い返してみた――。




   ●




 俺は合川あいかわ煌介こうすけ


 つい先日、高校一年生になったばかりの十五歳。


 身長は最近ようやく一七〇センチに届き、体格はどちらかといえば痩せていると思う。


 パーマがかかっているみたいなふわふわした黒い癖毛が特徴的といえば特徴的かもしれない。


 そのせいで毎朝、頭がアフロみたいになったりしているのだが、まあ、それはどうでもいい話である。


 十年前のことだ。


 俺の父さんが仕事の関係で転勤することが決まった。


 当時、五歳だった俺は「なるほど、これはいい機会だね。


 せっかくだから独り暮らしをしてみるよ!」などと息巻いた――なんてことは当然なく、この町、海と山に四方を囲まれた自然豊かな久仁良くによし市から離れることになった。


 で、それから十年が過ぎ、つまり、今。


 俺は再び、この町に戻ってくることになったのである。父さんがまた仕事の関係で転勤することになったから。


 転勤の話が出た時、俺は選択を迫られた。


 俺の家族は、父さんと母さん、それに俺、姉さんという構成。


 結婚してから二十年近く経つというのに、父さんと母さんはいまだにラブラブで。


 どれぐらいラブラブかというと、息子&娘の前だというのに毎日『あ~ん』でご飯を食べさせあったりしていたりする感じだから、当然、母さんは父さんにどこまでもついて行くと言い切った。


 姉さんは大学生だったけど、引っ越し先であるこの町からも通えるということで、引っ越しに異論はないらしい。


 で、残りは俺。


 十年間過ごした雪の多い町には友だちがいて、親友と呼べる相手もいた。


 思い出がたくさんあり、離れたくない気持ちはあった。


 それでも、俺はこの町に戻ってくることを選んだ。


 そこには淡い期待があった。


 期待というか、叶えたい夢と言ってもいいかもしれない。


 いや、夢というより願望の方が正しい……って、まあ、何でもいい。


 とにかく、俺の中にあったのは、ただひとつ。


 十年前、一度だけ、出会った女の子と再会したい、ということだけ。


 その女の子と出会ったのは、偶然だった。


 この町で過ごすのも最後ということもあり、今まで訪れたことのない場所に行ってみようと思い立った俺は、知らない道を突き進み、知らない角をどんどん曲がっていった。


 最初は興奮していた。


 知らないところへ向かう自分は、まるで物語の中を冒険しているような気持ちになったからだ。


 けど、そんなふうに思っていられたのは途中までで、知らない誰かにぶつかり、はね飛ばされ、尻餅をついた時、そこはまったく見覚えのない場所であり、自ら望んでそこまでやってきたというのに、怖くなってしまった。


 少しだけ泣いてしまったのはここだけの秘密である。


 俺がぶつかってしまった人は泣いている俺を見て迷子だと思ったのだろう。


 やさしく声をかけてくれたのだが、俺はもう怖くて怖くて仕方なくなっていて、さらに闇雲に走り出した。


 大人しくその人に手を引いてもらって、近くにある交番などに連れていってもらえばよかったのに、しなかったのだ。


 当初のような興奮はすでになく、むしろ恐怖心しかない俺は散々走り回って、その公園へと行き着いた。


 そこにいたのだ、その女の子が。


 この町を離れ、彼女ともう二度と会えないのだとわかった時、胸が痛くなった。


 涙が溢れて止まらなかった。


 それを『初恋』と呼ぶのだと知ったのは、もう少し大きくなってからだった。


 そういうわけで、この町に引っ越してくることが決まった俺はこっちの学校である久仁良高校を受験し、無事合格。


 晴れてこの町の住人になった。


 いや、戻った。


 入学式を終え、新一年生の生活もスタートして、あとはあの女の子と再会するだけ……と、そう思っていたのだが、そう簡単にいくわけがないとも思っていた。


 当然だ。


 俺は彼女の名前も知らなければ、どこに住んでいるのかもわからない。


 そもそも、また会おうと約束を交わしたわけでもない。


 それでも、学校がある日は学校が終わってから、休日は朝から、潮の匂いのする町中、彼女の面影を探し求めた。


 そうして、俺は出会ったのだ。


 怪現象の数々に!


 ……何度も言うとおり、彼女とそう簡単に再会できるとは思っていなかったのだが、こんな現実はあまりにも厳しすぎる。


 最初に感じたのは視線。


 常に誰かに見られているような感覚。


 でも、そんなのはかわいい方だった。


 家の階段を上っていて、うっかり足を滑らせて落ちそうになった。


 でも、落ちなかった。


 どうしてか? 誰かが受け止めてくれたように感じたからだ。


 受け止めてくれた、という言い方になったのには理由がある。


 振り返った時、そこに誰もいなかったのだ。


 セットした目覚まし時計を寝ぼけて解除して、二度寝してしまった時、誰かに「遅刻しますよ」と言われながら揺り起こされるような感じがして目を開けたら、そこに誰もいなかったこともある。


 他にも家に忘れてきた宿題が学校の机の中に入っていたことだって。


 家族や高校に入ってできた友人に話しても、気のせいだと言われて、信じてもらえなかった。


 けど、気のせいじゃないのだ。


 本当のことなのだ。


 実際、今日もそうだった。


 学校が終わり、ぶらり食べ歩きをするという友人に別れを告げ、思い出のあの子を探そうと歩き始めたら、誰かが俺を尾行しているような気がした。


 でも、振り返っても誰もいなかった。


 気のせいだと思い込もうと思ったのだが、やはり誰かに尾行されている、見られている感じはなくならず、さりげなく後ろを見てみたり、余計な角を曲がってやり過ごそうとしてみたりしても、無駄だった。


 俺は怖くなって走り出した。


 視線から、気配から、逃げ出すために。


 そして、ついさっきのことだ。


 耳をつんざくような車のクラクションを全身で浴びた俺は、自分が道路に飛び出していたことに気がついたのである。




   ●




 などと悠長に思い返している場合じゃない。


 こうして、一瞬が永遠にも感じられている間に逃げなければ。


 そうしないとダンプカーにはね飛ばされ、俺は死ぬ。


 だというのに、どうしてだ!? 足がまったく動かない! まるで地面に縫いつけられてしまったかのようだ。


 動け動けと焦る俺の脳裏に、その時、なぜか幼い頃のことが次々と蘇ってきた。


 家族と初めて旅行に出かけた時のこと。


 生まれて初めての遠出に興奮して、前の日、なかなか寝つけなかった。


 おかげで、当日は途中で気持ち悪くなり、旅行どころではなくなってしまったのである。


 思い出したのはそれだけじゃない。


 小学生の時、給食をひっくり返してしまった。


 大好きなメニューだったので、その時のショックは今でも覚えている。


 食い物の恨みは恐ろしいとは、よく言ったものだ。違うか。


 あと、飼っていたカエルを容器の閉め忘れで逃がしてしまったことも思い出した……というか、あれだな。


 昔から俺はうっかりしすぎじゃないか?


 まさか、この思い出の数々は、俺がどれだけうっかり屋か知らしめるために脳裏に蘇ってきたのか!? ――って、そんなことあるか。


 じゃあ、何なんだ? こんな非常時に、俺はどうしてそんなことを次から次へと思い出しているんだ? まるで今までの人生を振り返るみたいな感じで……。


 ん? 人生を、振り返る?


 俺は知った。


 そうか。これが走馬灯というやつなのだ。


 それが何を意味しているかと言えば、俺はここで死ぬということである。


 道理で足が動かないわけだ。


 運命に逆らうことはできない。


 ならば、この瞬間、俺がすべきことは決まった。


 父さん母さん、ふたりより早く先立つ馬鹿な息子で本当にごめん。


 姉さん、いい加減、彼氏いないのにいるフリするの、やめた方がいいと思うぞ。


 友だち、みんな、姉さんに彼氏がいないこと、わかってるみたいな伏があるし。


 これ以上は恥の上塗りになるだけだから。


 あとは友人。


 食べ過ぎには注意してくれ。


 どれだけ食べても太らない体質とはいっても、限度ってやつがあるだろう。


 そこまで心のうちで呟いてから、俺はゆっくりと瞼を閉じ、自分の死を受け入れた。




 ――わけがなかった。




 目を大きく見開き、叫ぶ。


「嫌だ、まだ死にたくない……!」


 当然だ。


 だって、まだ、初恋のあの子と再会していない!


 けど、もう駄目だった。


 ダンプカーにはねられ、俺は死ぬのだ。


 諦めと悔いと、その他諸々の感情がこもった、ははは……、と力のない笑い声を漏らした時、俺は信じられない光景を目にすることになる。


 俺とダンプカーの間に、人影が飛び込んできたのだ。


 しかもそれは、俺より小柄な女の子のもので。


「何やってるんだ!!」


 と、怒鳴るように叫ぶと同時に、体が動いた。


 逃げようと思った時には、まったく動かなかったというのにである。


 って、今は、そのことを不思議に思っている場合じゃない!


 俺は彼女を護ろうとした。


 しかし、できなかった。


 彼女もろとも、ダンプカーにはねられてしまったから?


 答えは、『違う』だ――って、もったいつけていないで、結論を言ってしまおう。


 俺の方が助けられたのだ。


 ダンプカーの前に飛び出したと思った彼女が振り返り、俺をお姫様抱っこしたと思った、その次の瞬間、天高く、舞い上がっていた。


 そこまでは「すごい、脅威の身体能力だ!」ということで、何とか理解できなくもなかった。


 けど、そこから先、驚くことが待っていた。


 彼女はそのまま、空を走り始めたのである。


 彼女が足を踏み出す先に、光で描かれた複雑な紋様が浮かび上がり、それを足場にする形で。


 信じられない。


 けど、間違いなく事実だ。


 あまりにも衝撃的な出来事に呆気にとられて、俺は何も言えないでいた。


 その間も、彼女は空を走り続け、に辿り着くと、俺をゆっくりと下ろしてくれた。


 まだふわふわしている気がして、足元がおぼつかない中、改めて彼女を見た。


 肩まで届く艶やかな黒髪。


 凛とした目鼻立ち。


 かなりの美人と言っていいだろう。


 だが、体形はちょっと残念だった。


 細身で、女性らしいボリュームに欠けている。


 具体的にどこがどうとは言わないが。


 けど、それは今はどうでもいいことだった。


 そんなことよりも重要なことがある。


 俺は彼女のことを知っていたのだ。


 県立久仁良高校、一年C組、出席番号33番、村時むらじ沙里緒さりおさん。


 席は俺のふたつ後ろ。


 つまり、クラスメイトだった。


 でも、俺が彼女について知っているのは、それぐらい。


 って、そんな場合じゃないな。


 早く助けてもらった礼を言わなければ。


 けど、俺が礼を言うより早く、彼女が口を開いた。


 ものすごい剣幕でまくし立てながら、俺の体のあちこちを触ってくる。


「怪我は!? 痛いところはありませんか!?」


「え、ああ、うん。大丈夫。かすり傷ひとつついてない」


「本当ですか!?」


「もちろん」


 勢いに呑まれつつ、俺は頷く。


「それはよかったです……」


 村時さんが胸をなで下ろす。


 途端、張り詰めていた表情が、ふにゃっ、とやわらかくなった。


 クラスで見たことのある凛とした雰囲気からは想像できない変わりように、俺は驚いた。


 無意識に見ていた俺の視線に気づいたのだろう。


 彼女は、キリッ、とした表情を取り戻し、不自然さを誤魔化すかのように、耳元の髪を直す仕草をした。


 キラッ、と輝くものが見えた。


 ピアスだ。


 しかも剣の形をしている。


 そういうものをつけている印象がなかったので、意外だった。


 そんなことを思っていると、彼女が鋭い視線で俺を見てきた。


 まるで睨みつけられているかのようだ。


 さっきの方がかわいらしい感じがしてよかったのに。


 なんて思っていたけど、そんなことはどうでもいい話だ。


 俺は彼女を真っ直ぐ見て、言った。


「助けてくれてありがとう。――村時さん、だよね。村時沙里緒さん。同じクラスの」


 声がうわずってしまったのは、彼女と初めて話すからだ。


 実は……というほどのことでもないのだが、彼女と俺の間に、クラスメイトであるという以上の接点はないのである。


 けど、彼女は言った。


「ち、違います。わたしは村時沙里緒とかいう人じゃありません!」


「え? そうなの? ――って、いやいや、どこからどう見ても村時さんだよね!?」


 確かに俺と彼女の接点はクラスメイトというだけだが、それでもクラスメイトの顔を見間違えるということはない。


 見てのとおり、彼女は美人だし。


 なのに、彼女は重ねて否定するのだ。


「違うって言っているじゃないですか!」


「だったら誰?」


「え!?」


 そんな驚かれても。


「わ、わたし、わたしは……」


「君は?」


 彼女がものすごい視線で俺を睨みつけてくる。


 美人だから、余計に怖い。


 というか、誰かを尋ねただけで、どうしてこんなに睨まれるんだ?


 思っていると、彼女が、あ! と何か思いついた顔をした。


「わ、わたしは村時沙里緒ではありません! わたしは通りすがりの――」


「通りすがりの?」


「ただの勇者です!」


 胸をふふんと反らし、どうだとか、言ってやったぜみたいな表情。


 いわゆるドヤ顔というやつだろうか。


 でも、内容がちょっと。


「それってどういうこと?」


 聞き間違いかと思って放ったその問いが、彼女に届いたかどうかはわからない。


 なぜなら、彼女は俺の目の前から、忽然と姿を消してしまったからだ。


「え? え!?」


 辺りを見回しても、彼女の姿は見つけられないし、そもそも、姿を隠せるような場所がどこにもなかった。


「というか、……ここ、どこだ……?」


 通りすがりのただの勇者を名乗った彼女がお姫様抱っこで連れてきてくれたそこは、見かけないビルの屋上だったのだ。


 一難去ってまた一難とは、こういうことを言うのだろうか。


 ……違うか。

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