第一二話 女の戦い

 1

 あたしは弘前南高校の1年生です。

 あたしのクラスの女子は、3つのグループに分かれていました。

 ひとつは、学級委員長の遠藤早紀子を中心とした、どちらかと言えば成績が良い、真面目なグループ。

 ひとつは、クラスのアイドル的存在の佐々木薫を中心とした、勉強よりも彼氏の話とか芸能人とかの話が好きな、どちらかと言えば派手めなグループ。

 そして最後は、あたしが所属している、マンガやアニメが好きな、いわゆるおたくなグループです。

 この3つのグループはお互いに対立することもなく、仲良くやっていたのです。

 そう、その噂が流れるまでは。



 2

 それは、嫌な噂でした。

「早紀子が、頼めば誰でも、やらせてあげるんだって」

 え? やらせてあげるの意味? それはその……セックスさせてあげるという意味です。

 あたしは、そんなことはありえないと思いました。

 早紀子はクラス委員長の、とても真面目な子なのです。

 しかし、クラスの男子たち(クラスのちょうど半分だから20人です)のほとんどが、やはりどこか態度がおかしくなった気がするのでした。

 そう、今まで早紀子に非協力的だった、どちらかと言えば不良グループの男子たちも、早紀子の言ことを良く聞くようになりました。

 もちろん、不良グループだけではありません。

 ほとんどの男子が、早紀子の言うことを良く聞き、早紀子の周りを取り囲むようになりました。

 休み時間になると、ほとんどの男子たちが、早紀子を中心にしてお喋りをし、昼食は、早紀子を中心にして食べるようになったのです。

 そんな有り様ですから、早紀子と仲良くしていたグループの女子も、次第に早紀子から離れていきました。

 でも早紀子には、そんなことは関係ないようだったのです。



 3

 その変化が面白くないのは、今までクラスのアイドル的存在だった薫でした。

 今まで男子たちの多くは、薫のご機嫌を取るのに必死になっていたのですから。

 なのに今では、誰も話かけてさえこないのです。

 それでころか、薫から話しかけようものなら、「遠藤さんに悪いから」と言って、足早に去って行くのだそうです。



 4

 クラスに、薫が好きな男子がいました。

 名は、赤木君と言います。

 その薫となかなか良い雰囲気だった赤木君も、今では早紀子に夢中です。

 薫も、さすがに頭にきたのでしょう。

 体育の着替えの時に、早紀子に言いました。

「早紀子、最近、調子に乗ってない?」

「調子に? そんなことないわ」

「男子の連中をみんな、はべらせているじゃないの」

「だって仕方ないじゃない」

 早紀子は言います。

「薫より、あたしの方が魅力的なんだもの」

 これには薫も、我慢の限界を越えたようです。

「なにさ! みんな噂してるわよ、早紀子は頼めば、誰でもやらせてあげるって。男子たちは、あなたの身体が目当てなんじゃない?」

「いいじゃない」

 早紀子は言います。

「あなたも、やらせてあげれば?」

「!」

 薫は、言葉を失ってしまいました。



 5

 さて、男子の中にも、早紀子に夢中ではない生徒が何人かいました。

 あたしと同じ、マンガやアニメが好きな、おたくな男子です。

 その一人が、あたしが美術室に一人いる時にやって来て、言いにくそうに話かけてきました。

「あのさあ、クラス合宿がもうすぐあるだろ?」

 クラス合宿とは、食堂の2階にある宿泊所にクラス単位で泊まって、勉強をみんなでするというものです。まあ勉強は名目で、親睦を深める夜のミーティングがメインなのですが。

「うん、あるわね」

「その時の夜に、遠藤さんは、自分の取り巻き連中に命じて、佐々木さんに乱暴をするつもりらしいんだ」

「乱暴?」

「ああ。その……性的な意味での乱暴だ」

 あたしはぞっとしました。

「教えてくれて、ありがとう」

 あたしは言いました。

 薫に教えなきゃ。

 あたしは学校中、薫を探して走りました。

 でも、もう帰ってしまったようです。

 まだクラス合宿には日にちがあります。

 明日には必ず、薫に教えよう。

 あたしは、そう思いました。



 6

 帰る前、あたしはトイレに入りました。

 洗面所で手を洗い、振り向くと。

 そこにはいつの間にか、早紀子が立っていたのです。

 それも、ぶつかるほどの距離でした。

 早紀子は、あたしの両肩に手を乗せます。

「変な噂を聞いたでしょ?」

「噂?」

「クラス合宿の、夜の噂よ」

「き、聞いてないわよ」

「良かったあ」

 早紀子は、あたしを抱き締めました。

「もし聞いていたら、あなたまで『まわさなきゃ』いけないもの」

 え? 『まわさなきゃ』って、どういう意味かって? それは、その……輪姦しなきゃ、って意味です。え? 輪姦もわからない? つまり、集団で性的暴行を加えなきゃ、という意味です。

 早紀子は、あたしの背中を爪で撫でます。

 その手が、少しずつ頭へ上って来ます。

「止めてよ、お願いだから」

 あたしは怖くなりました。

 顔を背けようとすると、その爪が、がっちりとあたしの頭を捕まえています。

「だめよ。振り向いたら、あたしの姿が見えちゃうじゃない」

 その時は、どういう意味かわかりませんでした。

 早紀子は言います。

「ねえ。噂は、あくまでも噂。薫の耳に入ったら、余計な心配かけちゃうでしょ」

「だ、だから?」

「薫には、内緒にしておいて。ね」

「う、うん」

 あたしは、そう言うのがやっとでした。

「いい子ねえ。あたし、あなたも子分にしてあげてもいいわ」

「ありがとう」

 早紀子はやっとあたしを放してくれました。

 あたしはよろよろと後退し、洗面台にお尻からぶつかります。

 早紀子は、じゃあね、と言って背中を向けました。

「だめよ。振り向いたら、あたしの姿が見えちゃうじゃない」

 それは、どういう意味なのだろう?

 あたしは、恐る恐る振り向きました。

「きゃああああ!」

 あたしは叫び、その場に倒れ、気を失ってしまいました。

 その鏡に写っていたのは。

 ざんばら髪と、赤黒いしわだらけの、小さな曲がった背中だったのです。



 7

 あたしは、土手町から一本横に入ったところ、坂本町にある『名曲喫茶 ひまわり』の2階で、その話を彼にしました。

 彼とは、伊吹冷泉さんのことです。

 伊吹さんは黒髪を腰まで伸ばした人で、恐ろしく美形でした。その肌は白く、その唇は赤いのです。

 上下とも白い仕立ての良いスーツで、青いネクタイを締めていました。

 年齢は、二十歳ぐらいでしょうか?

 伊吹さんは、尋ねます。

「その背中の印象を、もう一度教えて頂けますか?」

「あれは老婆の背中のようでした。いえ、人間の背中だとすればですが」

「人間ではなかった?」

「あんな肌の色をした人間は、いないと思います」

「念を押しますが、それは鏡に映った?」

「はい、そうです」

 なるほど、と伊吹さんは呟きました。

「やはり鬼ですか?」

 そう尋ねると、

「はい、鬼です。それも、かなり強力な部類の鬼です」

 と、答ました。

 伊吹さんは、この都市(まち)の、鬼退治の専門家なのです。

「ちなみに、『乱暴する』と教えてくれた男子生徒はどうなりましたか?」

「次の日、怪我だらけで登校して来ました。おそらく、他の男子に襲われたんだと思います」

 うんうん、と伊吹さんは頷きます。

「クラス合宿はいつになりますか?」

「3日後の、土曜日です」

「携帯電話はお持ちですか?」

「はい。学校には持ち込み禁止ですが」

 伊吹さんは、胸ポケットから、携帯電話を取り出しました。

「その程度の校則は、破って頂きます。メールアドレスを交換致しましょう。何かわかったら、逐一連絡してください」

「はい」

「僕も学校に入らなければなりませんね。まあ、そちらは合法的にやりましょうか。あとから揉めると厄介です」

 あたしと伊吹さんは、携帯のメアドを交換して別れました。



 8

 クラス合宿の夜が来ました。

 あたしたちは勉強し、食事し、お風呂に入り、夜中にミーティングを行いました。

 クラスメイトたちは楽しそうですが、あたしはちっとも楽しめませんでした。

 そして、寝る時間になります。

 女子部屋の電気が消えてから、すぐに薫が女子全員に言いました。

「じつは赤木君に、深夜1時に体育館に来るよう、お願いされているの」

 何も知らない女子たちから、歓声があがります。

「やったあ、それって告白だよね」とか「良かったね。薫も、赤木くんのこと、好きだったもんね」とか、みんな嬉しそうです。

 体育館。

 暴行が行われるのは、体育館なのでしょう。

 あたしはこっそり携帯で、伊吹さんに、「場所は体育館です」とメールを打ちました。

 薫は言います。

「だからお願い。みんなに協力して欲しいの」

 みんな、当たり前じゃない、と答えます。

「ねえ、早紀子」

 薫はとげのある声で言いました。

「あなたもチクったりしないわよね?」

「しないわよ」

 早紀子は答えます。

「せいぜい、楽しんでくることね」

 楽しむ!

 あたしは怖くなりました。

 そして深夜1時です。

 薫は、みんなの小声の「頑張ってね」という応援に見送られて、こっそり部屋を出て行きました。

 あたしはどうしよう?

 伊吹さんに任せておくべきなのでしょうか?

 いいえ、ここで待っていることなんて心配でできません。

「トイレに行ってくる」

 あたしは後を追いました。



 9

 体育館のドアをそっと開け、隙間から中を覗きます。

「!」

 薫が、男子たち、恐らくクラスの男子全員に囲まれていました。

 その中には、赤木君はもちろん、あたしに乱暴を告げ口してくれた、おたくな男子さえ混じっていたのです。

 一人にタオルで口を塞がれ、数人が暴れる手足を押さえ付けていました。

 ああ!

 伊吹さんは、何をやっているの!?

 このままでは、薫が危ない!

 あたしはドアを開け、怒鳴りました。

「何やってんの!」

 男子たちが、あたしを見ます。

 数人が、あたしの方に近づいて来ました。

 どうする?

 逃げる?

 伊吹さんが来ないなら、先生を呼ぶという手も、とりあえずはありそうです。

 あたしは、逃げようとしました。

 その時です。

「ひっ!」

 あたしは後ろから、抱き締められました。

 右手が、あたしの口を塞ぎます。

「うーん。やっぱり、あなたまで『まわさなきゃ』いけなくなったわねえ」

 その声は、早紀子なのでした!

 あたしは逃げようともがきますが、早紀子の腕の力は驚くほど強く、びくともしません。

 男子たちが、あたしに近づいて来ます。

 いや!

 助けて!

 その時です。

 その体育館には、後ろに着替えをしたりするための(トレーニング機器も置いてありますが)中2階があるのですが、そこからひょっこりと、伊吹さんが頭を出しました。

「うーん。僕の予定とは違ってしまいました」

 そう言って中2階(そう言っても、結構な高さなのですが)から、伊吹さんはふわりと床面に飛び降りました。

 その手には、日本刀を持っています。

「そいつをやっつけろ!」

 早紀子が命じます。

 男子たち(薫を取り押さえている男子以外)は、伊吹さんにゆっくりと向かって行きました。

 中にはいつの間に持ち出したのか、金属バットを持っている生徒さえいるのです。

「これだけの数に、しかも手加減するのは難しいんですけどねえ」

 伊吹さんは、日本刀を抜きました。鞘は投げ捨てます。

 それから数分?いや数十秒のことは忘れることができません。

 それは、まるで舞踏でした。

 伊吹さんは男子たちの間を華麗に舞い、日本刀を振り下ろすたびに、男子たちの誰かが床にばったりと倒れるのです。

 襲いかかって来た男子たち全員を倒してしまうと、伊吹さんは、薫を押さえ付けていた男子たちも、あっという間に片付けてしまいました。

 薫が、伊吹さんの胸に飛び込みます。

「失礼」

 そう言うと何をしたのでしょうか、薫もくにゃりと、床に倒れてしまいました。

「さあて、次はあなたの番なんですが」

 伊吹さんが、あたしを抱き締めている、早紀子に日本刀の剣先を向けます。

「ふふふ! おとなしく切られるはずがなかろう!」

 ああ!

 その声は、すでに早紀子のものではないのです!

 それはしわがれた、老婆の声でした。

 あたしを抱き締めている手も、あたしの口を塞いでいる手も、いつの間にか、驚くほど爪が伸びています。

「この女の命が惜しければ、津軽正宗を捨てよ!」

「その子を放すなら、です」

「約束はたがえるなよ!」

 ああ、あたしのせいで!

 やはり、体育館に来るべきではなかったのです!

 伊吹さんは、日本刀を遠くに捨てました。

 まるでバターに立てたナイフのように、体育館の床に突き刺さりました。

 どうやらその日本刀の名前が、津軽正宗のようです。

 早紀子、いえ、早紀子に取り憑いている鬼は笑います。

「あはははは! さすがの伊吹の裔(すえ)も、人質がいては手も足も出ないか!」

「約束は、守って頂きましょう」

「おうよ!」

 あたしは、床に突き飛ばされました。

 ごめんなさい。

 伊吹さん、ごめんなさい。

 あたしなんかのせいで。

 早紀子、いや鬼が伊吹さんに襲いかかります。

 最初は身をかわしていた伊吹さんですが、あっさりと捕らえられてしまいました。

 あの踊るように戦っていた伊吹さんが!

 鬼とは、それほどまでに強い存在なのでしょうか?

 伊吹さんは殴られ、蹴られ、爪で裂かれます。

 伊吹さんの白いスーツが、血で染まっていきました。

「たいしたことはないのう! 赤子の腕を捻るごときじゃわい!」

 その姿は、瞬く間にぼろぼろになります。

 あたしは泣いていました。

 あまりの恐ろしさに、言葉が出ません。

「もうやめて!」

 そう叫びたいのに、それすらも出来ないのです。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい、伊吹さん。

 早紀子は、老婆の声で言います。

「我らが一族の恨み、ここで果たさせて貰おうかの」

 早紀子、いや鬼は、ゆっくりと倒れている伊吹さんに近づいて行きます。

 その時、伊吹さんはスーツのポケットから、何かを取り出しました。

 数珠です。

 それは白い数珠だったのです。

 伊吹さんはそれを、鬼に投げつけました。

「悪あがきを!」

 鬼は、ひょいと後ろに跳び跳ねました。

 ちょうど体育館にある、鏡の前でした。

「きゃああああ!」

 あたしは、今まで出なかった声が出てしまいました。

 その鏡に写っていたのは、やはり早紀子ではありません。

 ざんばら髪と、赤黒いしわだらけの、小さな曲がった背中だったのです。

 それは老婆の背中なのですが、人間のものとはとうてい思えませんでした。

 伊吹さんは立ち上がり、突進します。

 あたしには、伊吹さんが一瞬、笑ったように見えました。

 その手にはいつの間にか、本当に小さな小刀(こがたな)が握られています。

 鬼を刺すつもりなのです。

 チャンスは確かに、今しかありません。

 それなのに!

 伊吹さんの小刀は大きく逸れ、鏡を刺してしまったのです。

「ぐおおおおお!」

 恐ろしい悲鳴が、体育館に響き渡りました。 

 え?

 あたしには、何が起きたのかわかりませんでした。

 早紀子の身体がぐにゃりと踊ったかと思うと、床に倒れます。

 伊吹さんの小刀は、鏡を指し貫いていました。そこには未だに鬼が映り、どくどくと赤黒い血を流しているのでした。

 まるで虫ピンに留められた、昆虫の標本のようです。

「津軽正宗を捨てろ、というのは間違いでしたね」

 伊吹さんは不敵に笑います。

「どうせなら、正宗を捨てろ、と言うべきでした」

 鬼が、すうっと消えて行きます。

「この小刀だって、立派な正宗の末裔なのですよ」

 伊吹さんは、その場に尻餅をつきます。

「伊吹さん!」

 あたしは駆け寄りました。

 涙が止まりません。

「ごめんなさい、あたしのせいで!」

「いいんですよ」

 伊吹さんは、優しくあたしの頭を、ぽんぽんと叩きました。

「それよりも、一緒に泊まっているはずの、保健の先生を呼んでくれませんか。あと、救急車を一台お願いします」



 10

 あたしたちクラス全員は、先生にこっぴどく叱られました。

「お前ら、夜中に肝試しなんて幼稚だぞ!」

 何故か、そういう事になっていたのです。



 11

 クラスの女子たちは、元のような3つのグループに戻ることはありませんでした。

 早紀子は一人になりました。

 男子たちも元に戻り、もう取り巻きではありません。

 あたしは、ときどき、早紀子に話しかけます。

 ありがとう、と早紀子は寂しそうに笑うのでした。

 もう委員長でもありません。

 早紀子は、以前の地位でもなくなっていたのです。

 早紀子は、ますます勉強を頑張るようになりました。

 それでも、あの嫌な噂は、消えることはなかったのです。

「早紀子が、頼めば誰でも、やらせてあげるんだって」

 早紀子は今では、その噂に苦しんでいるようなのでした。

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