第一一話 鬼が写る

 1

 俺は西弘前の居酒屋『八十八夜』で、伊吹冷泉という青年に会った。

 彼は驚くほどの美青年で、プロカメラマンを長くやっている俺でも、こんな被写体は今まで見たことがないほどの美しさだった。

 彼は腰まで黒い髪を伸ばし、上下とも白いスーツを着ている。ネクタイは青だ。

 俺は言った。

「だから時々、ちらちら見えるんだよ。ファインダー越しに、その女の鬼がな」

 ちなみに俺は、女性モデル専門のカメラマンだ。こんな弘前みたいな田舎でも、それなりに需要はあるもので、地方誌用の写真とか、プロモデルに憧れている女の子の宣伝素材写真などを撮って暮らしている。

「へーえ」

 彼は呑気な声を出した。

「その女の鬼に見覚えは?」

「あ、あるわけないだろ!」

「そうですかあ」

 この青年は本当に弘前一の、鬼退治の専門家なのだろうか? 俺は騙されてるんじゃなかろうか?

「何か被害はあります?」

「今のところはない」

「じゃあ、放っておくことですね」

「ええ?」

「今のお話だけじゃ、僕にもどうしたら良いのか、さっぱりわからないのです」

 彼は、中ジョッキを飲みながら言う。

「何か変化がありましたら、また連絡下さいね」

 何てふざけた青年だ!

 俺は伝票を持つと、「それじゃあ」と言って帰ることにした。

 もうこんな青年に頼むものか!



 2

 一週間後、俺はまた『八十八夜』にいた。

 伊吹青年も一緒だ。

 俺は写真を彼の前に出す。

「ほら、女の鬼が写っているだろう?」

「ふむふむ」

 彼は頷く。

「本当に、見覚えはありませんか?」

「だから無いって言ってるだろ!」

 そうですかあ、と彼はまた呑気に言う。

「こんなんじゃ仕事にならん! 早く退治してくれ!」

「わかりました。鬼退治は僕の仕事なので」

 彼は人指し指を立てた。

「この額で引き受けることに致しましょう」

「10万円か? 高いな」

「いいえ」

 彼は首を振る。

「残念ながら、ケタがひとつ違います」

 100万だって!

「ふ、ふざけるなっ!」

 私は思わず叫んでいた。

「だ、誰がお前なんかに頼むものか! このインチキ野郎!」

 俺は今日は、伝票も取らずに店を出た。

 それくらい頭に来ていたのだ。



 3

 私は三度、『八十八夜』にいた。

 情けないことに、伊吹青年も一緒である。

 俺は、肩から包帯で吊った左腕を、軽く持ち上げて見せた。

「撮影用のライトが倒れてきて、このざまだ」

「ふーん」

 彼は、やはり呑気に言う。

「それが鬼の仕業だと思うわけは?」

「こ、こちとらプロで何年もやってるんだ! ライトが倒れてくるなんてミス、するわけがないだろ!」

「そういうものですか」

 彼は続ける。

「でも次は、命が危ないかもしれませんねえ」

「だから退治してくれって言ってるだろ! 金は出す! あの額でいい!」

 彼は凄みのある顔で笑った。

「いいえ、気が変わりました。もう1本追加です」

 か、金の亡者め!

 だが弘前中の坊主に写真を見せても「これは鬼だから、伊吹冷泉君の仕事だねえ」と断られ続けているのも事実だし、次は命が危ないかもしれないのも事実なのだ。

 俺は計算した。

 車、いや両親から引き継いだ家を売り払えばなんとかなるか?

 そうだ、命さえあれば、アパート暮らしでもいいじゃないか。

 俺は諦めて言った。

「頼む。その額でいい」

 彼は、それこそ無邪気そうに笑うのだった。



 4

 スタジオに俺、女性モデル、伊吹青年がいる。

「じゃあ、いつものように撮り始めてください」

 彼は噂では、日本刀で鬼を切るそうだが、今日は持っていない。

 どうやって鬼を退治するつもりなのだろう?

 俺は写真を撮り続けた。

 ちっとも気分はのらなかったが、鬼を退治するためなのだから仕方ない。

 そして、1時間が過ぎたころだ。

 電気が、落ちた。

 真っ暗になった。

「どうやら、ブレーカーが落ちたみたいですねえ」

 まるで他人事のように伊吹青年は言う。

 その時だ。

 私のジーンズの裾をつかむ、誰かの手があった。

「ひいっ!」

 その手は、少しずつ、上へ上へと上がってくる。

「お、鬼だ! 助けてくれえ!」

 私は叫ぶ。

「うん、鬼ですね」

 伊吹青年はあくまでも呑気だ。

「どうやら、あなたに恨みがあるようです」

「だ、だから!?」

「おとなしく、殺されちゃってください。それでその鬼は、成仏しますから」

 とんでもないことを言う!

 細い手が、私の首を絞める。

 その手は、驚くほど力が強い。

「謝れば、案外、許してくれるかもしれませんよ?」

 謝る?

 謝るだって?

 鬼の手は強く、俺はもう息をすることもできない。

 だめだ。

 このまままでは死んでしまう!

 その時、鬼の眼が、俺を見た。

 血のような、真っ赤な眼だった。

 俺は、最後の息で叫ぶ。

「許してくれ! 優子、許してくれえ!」

 すると電気が点いた。

 今まで首を絞めていたはずの、鬼の姿はどこにもない。

 モデルはぐったりと撮影位置に倒れていた。

 壁際に寄りかかっていた、伊吹青年が言う。

「どうやら、鬼は成仏したようですね」

 その隣にいつの間にか現れていた、茶色のスーツを着た太った男が言う。

「署まで、ご同行願えますか?」

 その男は、俺に警察手帳を見せたのだった。

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