第四話 友に捧げる歌

 1

 どうしてあの曲を、もう演(や)らなくなっちまったのかだって?

 確かにあれは、俺たちのメジャーデビューのきっかけになった曲さ。思い出の曲だよ。

 今でも大好きなんだけどな。

 でも、でもよ……。

 まあ、いいか。あんたになら教えてやってもいいよ。でも、他の奴らには絶対に言うなよな。

 そもそもあの曲は、うちのバンドの初期メンバー、テツが作ったものだったってことは知ってるよな?

 そう、デビュー前に、バイクで事故って死んじまったテツさ。

 あれは、テツの遺品から出てきた曲なんだ。テツの遺品整理を俺たちが手伝った時、スコアの山の中から見つけた曲なんだよ。

 俺たちは、その曲を演奏するのがテツへの供養になると思っていた。事実、テツの家族も喜んでくれてたんだ。

 その曲は、俺たちの地元、弘前での人気に火を点けた。そうして俺たちは、地方の一都市から、メジャーデビューを掴み取ったというわけさ。

 『ライブハウス マグネット』はいつも満員になった。

 テツの事は悔しかったし残念だったけど、悲しんでばかりもいられねえ。

 なんたって俺たちは、もうプロになるんだからな。

 だが、そんなある日だ。

 サイドギターのノブ(テツの代わりに参加したメンバーだ)が、妙なことを言い出した。

 ライブ中、客席の後ろ、壁際にテツがいる、ってな。テツが恨めしそうな目で、こちらをじっと見てるって言うんだ。

 俺は信じなかったさ。

 幽霊なんて、信じたことがなかったからな。

 だが、ある日のスタジオ練習に、ノブが来やしねえんだ。

 俺は電話をかけてみたが、電話にも出ねえ。

 それで俺は、ノブの家に直接行ってみた。

 ドアをノックして、

「俺だ」

 と言うと、

「本当に、ユーキか?」

 とドア越しに尋ねる。

「当たり前だろ」

 と答えると、

「本当に本当にユーキか?」

 と繰り返す。

「そうだよ。俺はユーキだよ。だからドアを開けてくれ」

 ノブはやっと、顔が半分ほど見えるだけドアを開けてくれた。だけどチェーンは付けたままだ。

 ノブはヒゲも剃ってなくて、青白い顔をしていた。

「どうしたノブ、練習に来いよ。サボるんじゃねえよ」

 ノブは言った。

「俺、もうバンドを辞めるよ。他のギターを探してくれ」

「ええっ? 何だよ、急に。そういう大事なことは、スタジオに来て、みんなときちんと話そうぜ」

「いいや、俺はスタジオには行けねえ。奴がいるからな」

「奴?」

「正直に言うと、スタジオどころか、家からも出られねえんだ」

「はあ? 何だ、どうしたんだよ。バンギャルにでも手を出して、厄介なことにでもなってんのか?」

「そんなんじゃねえよ。俺は見ちまったんだ」

 俺は、ノブが言ったことを思い出していた。

「……テツの幽霊なのか?」

「幽霊じゃねえよ。あれは……あれは……」

 ノブは言ったんだ。

 あれは確かに、鬼だった、と。



 俺たちは、ライブハウスの支配人に相談した。今までだって、何でも相談してきた支配人さ。でもまさか、鬼が出たので助けてくれ、なんて相談することになるとはね。

 支配人は言った。

「相手が本当に鬼なら、弘前にはいい人がいるぞ。鬼退治の専門家だ」

「ええっ?」

「俺が連絡をつけてやるよ。だからもう安心しな」

 その早速次の日、俺たちメンバーは(ノブ以外だが)、『弘前パークホテル』の2階(つまり『紀伊國屋書店』の2階だ)の居酒屋、『弘前居酒屋 串や酔や六や(くしやよいやろくや)』の個室で、彼に会った。

 彼は青森県の地酒、田酒(でんしゅ)を飲みながら、俺たちの話を聞いてくれた。

 彼?

 彼の名は、伊吹冷泉と言うんだ。

 最初見たときは、とんでもない美少女だと思ったぜ!

 さらさらの腰まである長い黒髪に、驚くほど可愛らしい顔をしている。唇なんて、ルージュをひいたかのように薔薇色さ。

 彼は白い、高そうな上下のスーツに、青いネクタイを締めていた。傍らの席には、白いソフト帽を載せている。

 彼は言った。

「ノブさんが鬼を見たと言うなら、鬼なんでしょうね。どうやら、その亡くなったテツさんは、無念さのあまり、鬼になってしまったようです」

 彼は日本酒を次々とおかわりしたが、一向に酔う気配がなかった。見た目は、二十歳過ぎてるのかも怪しいくらいなのにな。

「わかりました。このままでは、ノブさんは鬼に取り憑かれて死んでしまうでしょう。この件、僕に任せてください。というか、みなさんの協力が必要なんですが」

「何をやるんですか?」

 俺は尋ねた。

「ライブですよ」

 伊吹さんは言った。

「テツさんの、追悼ライブを演るんです」



 俺たちは(ノブは相変わらず欠席だ)、伊吹さんの指示通り、『マグネット』でワンマンライブを行うことにした。

 観客は、支配人と伊吹さんと音響だけ。それ以外は一人も無しさ。

 伊吹さんは、決してドアを開けてはいけませんよと言い、何か文字が書かれたお札を、ぺたりとドアの両側をまたぐ様に張り付けた。

「どれくらい演ればいいんだ?」

「そうですねえ」

 伊吹さんは、人差し指を額に当てて考えてから、

「二時間もやれば十分なんじゃないでしょうか。正直に言って、ぼくはライブのこと、良くわからないのですが」

 とにかく、俺たちは演奏を始めた。

 一曲め。まだノらない。

 二曲め。まだまだだ。

 三曲め。やっと暖まってきた。

 そして四曲めを始めた辺りからだ。

 俺は、いや俺たちは、気が付いた。

 俺たちの演奏に混じって、どこからか、もう一本ギターの音が聞こえて来るじゃねえか!

 いや、それは確かに、ドアの向こう側から聞こえてくる。

 ドアの向こう側にはテツがいるんだ!

 なぜわかるかって?

 俺はテツと、高校生の時からバンドを組んでるんだぜ?

 あいつのギターの音が、わからねえはずがねえ!

 ちくしょう!

 相変わらず、下手くそなギターだったよ!

 まったく、もっと練習しろよな!

 俺はもう泣いていた。

 テツ。

 ああ、テツ。

 お前はバカなやつだ。

 これからやっとメジャーデビューって時に、死んじまうなんて!

 これからガッポリ稼いで、女の子にもモテモテな日々が始まるってのによ!

 なんで。

 なんで死んじまったんだよ!

 ああ。

 演奏しているうちに、俺にもやっとわかったんだ。

 俺とテツは、奴が死ぬ前日、バンドの将来のことで喧嘩していた。

 奴が、なぜ深夜にバイクを飛ばしていたか。

 奴は、俺と仲直りしようとバイクを飛ばしてたんだ!

 俺の家に向かう途中に、奴は事故っちまったってわけさ。

 ああ、そうさ。

 それに気が付いてなかったのは、間抜けな俺だけなんだ!

 他のメンバーも、テツの家族も、そのことには気が付いていたんだ。

 みんな俺には、内緒だったってわけさ!

 方角と道順からして、俺の家に向かってたに違いないってのによ!

 それなのに、俺に祟らないで、ノブに祟るなんて、お前は本当に変わった奴だぜ!

 俺は今では、ぼろぼろ泣いていた。

 泣いていても、何とか唄えるもんさ。

 テツ、すまねえ。

 テツ、お前とメジャーデビューしたかったよ。

 お前と、でっけえステージで演ってみたかったよ。

 そうして二時間が経ち、最後の曲になった。

 テツが残してくれた、あの曲の番さ。

 俺は、喉が潰れんばかりに怒鳴りまくった!

 ギターは、ギュインギュイン鳴きまくる!

 ベースは、腹にズンズンくるほど強烈にリズムを刻む!

 ドラムが、地響きかってくらいドカドカ鳴り響く!

 支配人は今でも笑って言うんだぜ。あの演奏が、俺たちのバンドの、ベストプレイだったって。

 まったく! 観客がいないライブが最高だったなんてな!

 曲は後奏のアドリブに入った。

 もう、みんなめちゃくちゃさ。

 俺は「ラブ」とか「ピース」とか意味もなく叫びまくるし、ギターはこれまでにないほど超速弾きだし、ベースはもうリズムなんて刻んでないし、ドラムは力任せに叩かれてる。

 そして俺は叫んだ。

「テツ! 俺たちはビッグになるぞ! だからお前は安心して成仏しろ! いいな、わかったか! お前は成仏するんだぞ!」

 そうして、俺はステージ上でジャンプして、それに合わせて演奏はやっと終わった。

 全員、ステージに倒れこんだ。

 俺たちにはわかっていた。

 テツが、成仏したってことを。

 その証拠に、ドアの向こうにあったはずの気配が、今では消えていたんだ。

 伊吹さんがパチパチと手を叩いた。

「いやあ、僕は『ろっくみゅーじっく』というものには、からきし疎いのですが、良い演奏でしたねえ」

「テツは成仏したんだな?」

「はい。もうライブ会場に現れることも、ノブさんを苦しめることもありません」

 そう言って彼は、ぺりりと、お札を剥がしたんだ。



 4

 そうしてノブは復帰した。

 あれこそ、憑き物が落ちたような、ってやつさ。

 それ以降、何度か俺たちは、あのテツの残してくれた曲を演奏した。

 だがな、何かが足りねえんだ。

 あの晩の演奏には、まるで遠く及ばねえ。

 あの曲は、テツが作った、テツが弾くための曲なんだな。残念だけど、ノブじゃねえ。

 ノブの方が、テツなんかより、何倍もギターが上手いってのによ!

 だから結局、俺たちは、あの曲をやめちまったというわけなのさ。

 それにこうも思うんだ。

 テツは確かに成仏したかも知れないけど、あの曲を演ったら、また戻って来るかも知れねえ、ってな。

 俺には何だか、そんな気がしてしょうがねえんだ。

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