第22話 じごくのしろくろ

 人間の本質、バーは、心臓に宿ると、古代エジプトの人々は信じていました。


 ツタンカーメンもそうですが、死んだ人間は冥界を旅して、冥界の王のオシリス神の宮殿を通って、永遠の楽園・アアルの野に迎えられます。


 オシリス神の宮殿では、死者が生前、いい人だったか悪い人だったかだったかを調べられます。

 天秤の片方に死者の心臓を、もう片方に正義の女神マアトの羽飾りを乗せて、釣り合うかどうかを計るのです。


 釣り合えば、心臓は死者に返され、死者はアアルの野で永遠に幸せに暮らせます。

 重すぎたり軽すぎたりした心臓は、オシリス神の足もとにはべる聖獣アメミットにむさぼり食われ、心臓を失った死者は地獄に落ちてしまいます。


 ミイラにとって心臓は、それほどに大切なものなのです。



 ツタンカーメンとセティが謎の足跡を追って路地を進んでいくと、そこにはアメミットが――ワニの頭にライオンの体に、他にも何種類かの動物を混ぜたような姿の怪物が、飼い主を待っているかのようにちょこんと座っていました。



 怪物の恐ろしい外見に、セティが悲鳴を上げました。

「落ち着けよ。こいつは見た目が怖いってだけで、悪いやつじゃないぞ」

 ツタンカーメンがなだめます。

 が。


 アメミットがゲップをしました。

「こいつは……悪いやつではないんだけど……だけど……」


 アメミットは気まずそうに舌を出しました。

 普段は冥界に居るアメミットですが、地上の世界が騒がしいので様子を見にきたら、おいしそうな心臓が落ちていたので、ついつい食べてしまったといったところでしょうか。


 ツタンカーメンは真っ青になりました。

「クフ先輩の心臓おおぉぉぉっ!」


「知ーらない!」

 セティとツッチーは逃げてしまいました。




「どうしよう、どうしよう……アヌビス神ーーーっ!!」

「どうしたツタンカーメン!?」


 かの神は、呼ばれるとすぐに飛んできてくれました。

 ツタンカーメンが半泣きで状況を説明します。

 アヌビス神は、アメミットの口に鼻を近づけてにおいを嗅ぎました。


「確かに食われているな。しかし大丈夫だ。心臓の物質面はこちらで何とかする。ツタンカーメンは地獄へ行って、クフ王のバーをサルベージしてきてくれ」

「わかりました!」


 ツタンカーメンは光の扉を開きました。

 いつもながらの白い光……

 けれどそれは一瞬で赤色に染まります。


 光の扉の中では、地獄の炎が燃え盛っていました。

 それでもツタンカーメンは、臆することなく光の扉の向こうへ飛び込みました。



 浮遊するツタンカーメンの眼下には、炎の池が広がっています。

 炎の池から、炎の魚が飛び出して、ツタンカーメンに襲いかかります。

 ツタンカーメンはそれをひらりとかわして、地獄の奥へと進んでいきました。




 光の扉が閉じて、テーベの路地を冷たい夜風が吹き抜けました。

 アヌビス神は、セティが曲がり角に隠れてこちらを覗いているのに気がつきました。

 アヌビス神と目が合うと、セティは脅えた顔で走り去ってしまいました。






 自宅に戻ったセティは、ツッチーと一緒にベッドにもぐったものの、目はパッチリと開いていました。

 帰りが遅かったので、パパやママに怒られて、一度は眠ったのに怖い夢を見て目を覚ましてしまったのです。



 夢の中では、炎の魚の群れを振り切ったツタンカーメンが、炎の池を越えた先で、クフ王の幽霊と再会していました。

 けれど心臓を失ったクフ王は、理性を失くした悪霊みたいになっていて、ツタンカーメンに噛みついたり引っかいたりしてきました。

 クフ王がツタンカーメンの足にしがみついて、重さでツタンカーメンが飛べなくなったところに、本物の悪霊が牙を剥いて……



(……眠れない……)

 セティは身をよじり、何度も寝返りを打ちました。


 カーテン越しに月光が射します。

 ツッチーがセティに鼻をすり寄せました。


 セティは起き上がって、あしくきのペンを手に取りました。


 ツッチーにうながされるままに新品のパピルス紙を広げて、ツタンカーメンが使っていた光の扉を描きます。

 扉の中に、見えた光景も絵にします。

 描いているセティ自身にも、自分がどうしてこんなことをしているのかわかりませんでした。



 白い紙に墨で描かれた景色が、突然、真っ赤に燃え上がり、まるでブラックホールのようにセティとツッチーを吸い込みました。



「わああっ!?」

 放り出されたその場所は、いきなり悪霊の群れの真ん中でした。


「ばーかばーか」

「しねーしねー」

 全身灰色で、人間の形をかろうじて保っているだけの、薄ぼんやりした煙のような悪霊の群れが、汚い言葉を吐きながらセティとツッチーを取り囲みます。


「おれがこんな悪霊なんかになった理由はグギャギャギャパ!!」

「みんなみーんなギョギュギャゲゲ!!」

 悪霊の言葉は汚すぎて、幼いセティには半分も理解できませんでした。


 けれど……

「オマエもオレたちみたいになれーーー!!」

 それだけは駄目だというのはわかりました。



 邪神セトは、悪霊たちの王さまです。

(ボクはこんなやつらの親玉を崇めていたの……?)

 セティは泣きながら逃げ出しました。


 悪霊は空を飛んで追ってきます。

 セティとツッチーは地面を走ることしかできません。


 岩場に転がり込んで隠れて、悪霊たちが頭の上を通り過ぎるのが見えて、セティはほっと胸をなで下ろしました。

「ツッチー、大丈夫だった?」

 居ません。

「ツッチー!」

 いつの間にはぐれたのでしょう。



 セティの足もとで、地面を破って、ボコッ、ボコッ、と何かが出てきました。

 ツチブタの頭です。

 目が赤く光っています。

 邪悪な表情をした、悪霊の一種です。

(ツッチーと同じ種類みたいだけど、ツッチーじゃない……!)

 それが、何頭も何頭も現れました。



 笑い声がして見上げると、去ったはずの人型の悪霊たちが宙をただよい、セティを眺めてニヤニヤしています。

 逃げ道はありません。


 ツチブタ型の悪霊が、嫌な鳴き声を上げました。

 群れの中にツッチーは居ませんでした。


(ツッチーも悪霊だけど……でもツッチーは、こんなやつらの仲間じゃない!)

 それだけ信じて、セティはギュッと目を閉じました。




 聞こえたのは、悪霊の悲鳴。

 セティが目を開けると、ツタンカーメンが光の杖を振るって悪霊を退けていました。


 ツタンカーメンの足にはまだクフ王がしがみついたままです。

 それでも飛べているのは、ツッチーの背にまたがっているから。

 ツッチーの背中からは、白と黒の繊細な縞模様を持つ、ハヤブサの翼が生えていました。


「何で!? ハヤブサって……」

「ああ。邪神セトの天敵、光の神ホルスのシンボルだ」

「それが何でツッチーに!?」

「話はあとだ!」


 ツタンカーメンがセティの腕を掴んで、ツッチーの背中に引っ張り上げます。

 その直後、先ほどまでセティが居た場所を……

 人間ぐらいならば大人でも一飲みにできそうなほどの、巨大なヘビの頭が通り過ぎました。

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