第10話 バスルームから女神の怒りを込めて
「……お清めをしなければ……」
マアト女神が低い声でうなるように言いました。
「ウソつきの罪に汚れた体を、一刻も早く清めるのです」
お清めの儀式といえば、お祈りをする、お供え物をささげる、などなど、方法はいろいろあります。
お風呂で体を洗うのも、効果の高いお清めです。
ツタンカーメンは手っ取り早く、両手を上げてお祈りのポーズを取りました。
が……
「ここはお風呂に入るべきでありましょうな」
クフ王は神妙な声で言いました。
それだけウソ吐きの罪を深刻に受け止めているのかと思いきや、声は神妙でも口もとはニヤニヤを隠し切れずにいます。
クフ王の手には、旅行会社のパンフレットがにぎられていました。
パンフレットの表紙には、見慣れない外国の文字と一緒に、一流ホテルの超豪華なお風呂の写真が載っていました。
「何この絵!? どうやって描いてんの!?」
ツタンカーメンは、それこそ絵に描いたような、マンガに出てくる古代人に文明の利器を見せたような反応をしました。
「フッフッフ。すごいであろう」
「何でクフ王がいばるの?」
マアト女神がパンフレットを覗き込んで首をかしげます。
「何と書いてあるのでしょう?」
「借り受けよう」
いったいいつからそこに居たのか、トート神がいきなり横から手を伸ばしました。
知の神であるトート神は、どんな文字でも読むことができます。
トート神がパンフレットに目を通す姿を、マアト女神は「さすがですね」という感じで眺めています。
その間に、ツタンカーメンとクフ王は二人でひそひそ話です。
「トート神ってば、もしかして……」
「もっと早くから近くにいたのに、マアト女神の怒りが収まるまで隠れておられたのじゃろうな」
トート神が「んんっ」とせき払いをしました。
「これは“にほんご”と呼ばれる文字だな」
パンフレットを閉じて、トート神が説明を始めます。
「異国の客のためのものなのだろう。“クレオパトラの美容体験ツアー”とある。クレオパトラは、お前たちよりもずっとあとの時代の女王だ。
今日は薔薇風呂の予定……しかしツアー客はこの時間は別の場所を観光しているようであるな。良し、今のうちに行ってみよう」
トート神が両腕を広げると、光の扉が現れて、ファラオたちを飲み込みました。
超一流の高級ホテル。
アロマキャンドルが照らす大理石のバスルーム。
ツタンカーメンが光の扉を抜けて出てきた先は、湯船の真上でした。
ツタンカーメンはそのままドボンと水しぶきを立ててお湯の中に落っこちました。
(わわわっ!?)
一瞬だけ慌てます。
(……って、幽霊は溺れないんだっけ)
すぐに思い出しました。
ツタンカーメンが水の中から仰向けになって見上げた水面は、真っ赤な薔薇の花びらで埋め尽くされていました。
(きれいだ……)
お湯の温度も最高に心地良いです。
(このまま眠ってしまいそうな……でも目を閉じるのももったいないような……)
亜麻の腰布が、お湯の中で揺らめきます。
服のままでお風呂に入ってしまったけれど、エジプトの気候ならば、腰布ぐらいすぐに乾くはずです。
(このままずっと見ていたい……でも、湯船の外がどうなっているのかも気になるな……)
ツタンカーメンは体を起こしました。
水面をくぐる際に、頭に花びらが張りついて、これもまたきれいな姿になりました。
お湯から出てすぐにツタンカーメンの目の前に現れたモノがいったい何なのか。
ツタンカーメンが理解するのには、五回、まばたきをするぐらいの時間がかかりました。
それは、クフ王の股間でした。
クフ王も、ツタンカーメンと同じように、バスタブの真上にワープしていたわけなのですが……
自分で来たいと言ったくせに、ミイラの体を濡らすわけにもいかなくて、クフ王はバスタブのふちに両手両足を引っかけて、必死で踏ん張っていました。
それはちょうど、ツタンカーメンの顔面に覆いかぶさるような位置でした。
ミイラの包帯を巻いているので、ツタンカーメンが直接、クフ王の“それ”を見たわけではありません。
けれど何だか、クフ王のピンクの花柄の腰布の中を覗き込んでいるような体勢になって、ツタンカーメンはお清めの意味がわからなくなってしまいました。
「待たせたな」
トート神が大きなビニール袋を持ってバスルームに入ってきて、クフ王をビニール袋の中に入れました。
ク「息苦しいのう」
ト「ミイラでなければ窒息死する」
ク「だいぶ前に死んでおいて良かったわい」
ト「ミイラでなければ普通に入浴できる」
ク「これでお清めになるんですかのう?」
ト「
ちなみにマアト女神は外で待っていました。
ツ「これでお清めはじゅうぶんですね?」
ク「いやいや、まだまだ足りんぞい」
そこで一行は、トート神の力でタイムスリップして、一日後の同じ場所に移動しました。
薔薇風呂だったバスタブは、今度はワインで満たされていました。
ワイン風呂もたっぷり楽しんだのに、クフ王はまだまだお清めが足りないなんて言っています。
クフ王にねだられるままに、またまたタイムスリップすると、次の日はミルク風呂でした。
そんな調子で、柚子湯、レモン湯、ニガヨモギにショウブ、チョコレート風呂からコーヒー風呂まで。
古今東西、ありとあらゆるお風呂のフルコースを堪能。
湯上りにみんなでココナッツオイルでスキンケアして、アロエベラのゼリーをいただきました。
「クレオパトラの時代のエジプトにはなかったはずのものが山ほど紛れ込んでいるな」
ハイビスカス・ティーを飲み干してから、トート神が言いました。
ト「まあ、未来ではクレオパトラは人気者だからな。名前を借りてあやかろうとしたのだろう」
ツ「えー? どれがですか?」
ト「いろいろやりすぎたので、どれがどうだったのかもう覚えていない。全部ではないが、一つや二つでもない」
ツ「ええー?」
ト「一つ目の薔薇風呂からして、こちらの時代で品種改良されたものだな。香りが良すぎる」
ツ「それじゃお清めの効果はどうなるんです?」
ト「最初から未来の風呂として入っていれば良かったのだが、クレオパトラの風呂と言ってしまったからな。これでは……」
トート神、ツタンカーメン、クフ王の三人の上に、不意に影が差しました。
天を指すようにスッと伸びた、ダチョウの羽飾りの影でした。
「ウソはアァーーー、罪イィーーー!!」
マアト女神が怒りの形相で叫びます。
「待て、マアト女神! ウソとは限らぬぞ! クレオパトラは冥界に来てからこれらのものを使っているかもしれない! 誰かがお供え物としてどこかの神殿にささげていれば、クレオパトラの霊魂の手に渡っている可能性はある!」
トート神がマアト女神をなだめようとしますが……
「罪はアァーーー、許しまーーーせーーーんーーーッ!!」
「マズイッ!」
トート神は、ツタンカーメンとクフ王の腕を掴んで、光の扉に逃げ込みました。
飛んだ先は、本物のクレオパトラ女王の時代の薔薇風呂でした。
絢爛豪華な宮殿を、大勢の人が慌ただしく駆け回っています。
お鍋で一杯ずつ沸かしたお湯を、奴隷たちがせっせとバスタブへ運んでいるのです。
電気、ガス、水道といったものの通っていない時代では、バスタブ一つ満たすだけでも大変なのです。
「未来の風呂のほうが良いな」
クフ王が、お風呂に浸かってつぶやきました。
「昔は良かったなんてウソですね」
そのクレオパトラも、二人から見れば未来人なのですが。
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