第9話 時をかけるファラオ

「何じゃあれは!?」

「わかりません!!」


 クフ王とツタンカーメンが叫んでいる間に、ヘリコプターは、二人の目の前にそびえる岩壁の向こうに消えていきました。


「先輩はここで待ってて! 今度こそ絶対に動かないでくださいよ!」

 ツタンカーメンは、ヘリコプターに近づいて正体を確かめようと、体をふわりと浮き上がらせました。



「!?」

 二〇メートルほど昇ったところで、ツタンカーメンの前に、巨大な顔が現れました。


 時刻は黄昏たそがれ

 暗いせいで今まで気づいていなかったけれど、岩壁には巨大な像が四体も彫られていました。


(あの冠はエジプトの神々! それじゃあここはやっぱりエジプトなのか? だけど……)


 下方には巨大な湖が広がっています。


(こんなのがエジプト国内にあるなんて、聞いたこともない……)


 これだけ大きな像や湖なら、それだけ有名になっているはずなのに。





 ヘリコプターは夕闇の中、衝突防止の赤や緑の灯かりを点滅させながら、ツタンカーメンから遠ざかっていきます。

 追いかけようという気持ちは、すぐになくなってしまいました。

 だってヘリコプターの他にもいくつもの光が、町の明かりよりも高く、星空よりも低いところを飛び交っているのですから。


(いや、待て! あれは本当に町の明かりなのか!?)


 古代エジプトで見かけるような、かまどやランプの炎とは比べ物にもなりません。

 もしや知らないうちに上下を間違えてしまっていて、あれは町の灯ではなく星ではないかと思って体を反転させてみても、そこにはやっぱり星空があります。


 上も星空。下も光の海。


(おれ、宇宙に出てしまったのかな? でも空気はあるよな?)


 けれどその空気すらも、先ほどまでのメンフィスの都とも、ツタンカーメンが良く知るテーベの都とも、においが異なっています。


(異世界? まさかな……)


 未来だとはまだ気づきません。


(光の扉を使ったら、もとの場所に戻れるかな? だけどここがどこかもわからない状態で使ったら、また暴走してしまうかもしれないしな……)




 ツタンカーメンは、飛行機の音にギョッとして振り返りました。

 町も空も、ツタンカーメンの時代のエジプトよりも騒がしいです。

 月だけが変わらずに、優しい光を投げかけてくれています。


(やっぱ困った時はトート神だよなっ)


 トート神は、知恵の神にして、月の神。

 しかも時の神さまでもあります。

 ツタンカーメンはまだ気づいていませんが、この状況で助けを求めるのに、トート神以上にピッタリな神さまは他に居ません。





 ツタンカーメンは月を目指して高度を上げていきました。

 バーだけの体には、重力も、大気圏突破の衝撃も、何にも影響ありません。


 地球は青かったです。

 ツタンカーメンは、宇宙船ソユーズとすれ違いました。


 気になったので、ツタンカーメンは窓からちょっとだけ宇宙船の中を覗いてみました。

 宇宙船の中では人間たちが何か難しそうなことをしていたけれど、神さまの姿は見当たりませんでした。




 遠くから見た月面には、ピラミッドのような形の影がありました。

 だけどツタンカーメンが近づいたら、その影は消えてしまいました。

 どうやら光の加減のせいで、ただの岩がきれいな三角に見えただけだったみたいです。

 月にも神さまは居ませんでした。




(そういえば、ここに来るまでに、大気の神のシュウさまにも天の女神のヌウトさまにも逢わなかったな……)


 ツタンカーメンがしょんぼりしていると、足もとから声が聞こえてきました。


「古のファラオよ、我とセネトをしにきたのだな」

「月がしゃべった!?」

 月の神さまがではなく、月そのものが、です。


「セネトをせよ。セネトをせぬ者に用はない」

 セネトとは、ボードゲームの一種です。

 遠い昔の神話では、月はトート神ともセネトで戦っています。


「あの、おれ、トート神に……」

「状況は把握している。助けてほしければ、我にセネトで勝ってみよ」


 月が、何もない空中からセネトのゲーム盤を呼び出しました。

 それを見て、ツタンカーメンの目つきがスッと鋭くなりました。


「わかったぜ。ならば、いざ……」

 ツタンカーメンの手もとに、何もない空間から、セネトの駒が現れます。

 歴代のファラオの多くも、このゲームが大好きです。


「「決闘ッ!!」」


 古代のサイコロ……

 表側を赤く塗った、アイスの棒に似た板切れが、四本セットで宙を舞います。

 出たのは表が三枚に、裏が一枚。

 これがサイコロの目に当たります。


 ツタンカーメンは、チェスのようにたくさん並んだ駒の一つを選んで、すごろくのように三マス進めました。

 セネトでは、自分の駒を進められるマスと進められないマスが、相手の駒の位置によって変わってきます。

 先頭を進んでいると思ったら、追いついてきた相手の駒に押し戻されたり。

 押し戻されないように自分の駒同士でくっついて固まって通せんぼをしたり。

 通せんぼしているところを、相手が大きな目を出して飛び越えていったり。

 それらをうまく考えながら駒を動かして、自分の全部の駒を先にゴールさせたほうの勝ちです。




 結果はギリギリでツタンカーメンの勝利でした。


「我は月。我は暦を司る存在。ツタンカーメンよ、汝の疑問に答えよう。汝は今、汝の時代よりも三三〇〇年後の未来に居る」


 月が教えてくれました。


「トート神には我から連絡しておく。迎えが来るまで観光でもしていると良い」


 月にそう言ってくれたので、ツタンカーメンはお礼を言って、クフ王を置いてきた場所に戻りました。




(もしもクフ王がまた居なくなっていたらどうしよう)

 ツタンカーメンはちょっぴり心配していましたが、そんなことはなく、クフ王は観光客に囲まれてカメラのフラッシュを浴びていました。


 観光客は、誰もこれが本物のミイラだとも、本物のファラオだとも思っていません。

 その理由は、この時代における常識……というのもありますが……

 一番の決め手は、クフ王のピンクの花柄の腰布でした。

 ピンクの花柄なんて、本物のミイラっぽくも、本物のファラオっぽくもないって思われているのです。





 夜のアブシンベル神殿では、四体の巨大な像が、鮮やかにライトアップされていました。

「プタハ神にアメン神にラー・ホルアクティ神はわかるが、あとの一人は誰じゃ?」

「わかりません」

 クフ王に訊かれて、ツタンカーメンは首をひねりました。


 四体目の像は、大王ラムセス二世。

 ツタンカーメンから見れば未来のファラオ。

 ツタンカーメンの時代には、まだこの世に生まれてもいないファラオです。



「この湖はどういうことじゃ?」

「わかりません」

 人口の湖。

 アスワン・ハイ・ダムのダム湖です。



「やれやれじゃのう。近頃の若いモンのくせに近頃のことをまるで知らんとは」

「ムッ」

 クフ王の言い方に、ツタンカーメンはムカッとしてしまいました。




 観光客を乗せた自動車が走り去ります。

「あれは何じゃ?」

「フンコロガシの子孫です」

 近頃の若いファラオはデタラメを言いました。


「フンを転がしておらんかったぞ」

「足もとでクルクル回ってるものが四つあったでしょ? あれがフンです。一つ一つが小さいから、一度に四つも運ぶんです」



「そこで売られとる、トゲの生えた緑のものは何じゃ?」

 サボテンの一種のウチワサボテンです。

 サボテンはアメリカ大陸原産で、古代のエジプトにはまだ入ってきていません。


「アポピスのうろこです」

「なんと! あの邪悪な大蛇の! そんなものをいったい何に使うんじゃ!?」

「武器にするに決まってるでしょう? 悪い奴に投げつけるんですよ」

 ウチワサボテンは実が食用になる他に、家畜を守るための柵として植えられることもあります。



「ところでこちらにられるのは……」

「湖の主です。巨大な湖に住む、巨大な魚の化身です」

「コラコラ! 何を言うか! このかたはマアト女神であらせられるぞ!!」

「へ?」



 マアト。

 その名前は、正義・真実を意味します。

 由緒あるエジプトの女神さまです。


「ウソはアァーーー、罪イィーーー!!」


 マアト女神の外見は、頭にダチョウの羽の飾りをつけた、美しい人間の女性です。

 ですがその顔は今は、ツタンカーメンのせいで怒りの形相になっていました。


「罪はアァーーー、許しまーーーせーーーんーーーッ!!」

「ひええええっ!?」


 震え上がるツタンカーメンに、クフ王がヤレヤレと肩をすくめました。


「なっとらんのう。ワシが若い頃はウソなぞかんかったぞい」

「それもオォーーーッ!! ウソオォーーーッ!!」


 マアト女神が頭を一振り。

 二人のファラオは羽飾りになぎ倒されました。

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