第6話 お前はア、舵をオ、とるなア~!

 漁師さんが、魚を売り終えて帰ってきました。

 漁師さんはイムホテプが直した船を見て大喜びしました。


 クフ王とツタンカーメンを葦舟に乗せて、ナイル川にぎ出します。

 川上に向かって漁師さんがかいを漕ぎます。



「よし。ワシも手伝ってやるぞい」

 クフ王は、漁師さんから櫂を受け取りました。

 クフ王が櫂を漕ぐと、葦舟はその場でグルグル回り出してしまいました。


「ちょ! ダメですよ先輩!」

 ツタンカーメンがクフ王から櫂を取り上げましたが……

「おっと!?」

 櫂はツタンカーメンが想像していたよりも重くて、ツタンカーメンは櫂を川に落っことしそうになってしまいます。


「うわー! 危ないべなー!」

 漁師さんが慌ててツタンカーメンから櫂を取り上げました。




「ここはファラオらしくしておくかのう」

「おとなしくしておきましょう」


 二人がファラオであることも、ミイラと幽霊であることも、バレたら大騒ぎになってしまうので、漁師さんに聞こえないようにヒソヒソ声です。



「ところでお前さん、昨夜はどうしておったんじゃ?」

 ひまになったクフ王が、ツタンカーメンに尋ねました。


「王家の谷にある、自分のお墓に帰ってました」

「遠いんじゃないのかえ?」

バーだけなら一瞬で行って戻ってこられますよ。黄金の棺の中の新品のミイラに入って、グースカピーで霊力カーのチャージ完了です」

「めんどくさそうじゃの」

「全然そんなことないですぅー! クフ先輩こそ、他の人の棺なんかで寝て、落ち着かなかったんじゃないんですか?」

「ファラオに宿を貸せたんじゃ。棺の主も誇りに思ぅとるわい」

「とか言って先輩、そろそろ自分の棺が恋しくなってるんじゃありませんか?」

「そんなことないわい」

「本当はもうピラミッドに帰りたいって思ってるんじゃ?」

「ないない」




 アオサギが魚をくわえて川面を飛び立ちます。

 ガゼルの群れが葦を掻き分けて水を飲みにきています。

 ワニはもちろん、カバも軽々しく近づくのは危険です。

 葦舟は昼前に隣町に着きました。



 川岸で網を引き上げます。

 ボラにナマズにティラピアと、漁の成果は上出来です。

 淡水フグは食べずに川へと投げ返します。

 ツタンカーメンとクフ王は、ここで漁師さんと別れて、テーベの都へ向かう船を探しました。




「ありませんね」

 ツタンカーメンが頭を掻きます。

「あれはどうじゃ?」

 クフ王が、大きな船を指差します。

「メンフィスの都へ行くって言っていますよ」

「テーベもメンフィスもここより川上にあるんじゃったら方向は同じじゃろ」

「メンフィスはテーベよりもずっと手前ですよ」

「メンフィスより先のことは、メンフィスに着いてから考えれば良いわい」

「んー、まあ、そうですね」



 船に乗るには船賃が必要です。

 ツタンカーメンは光の扉を墓所に繋いで、支払いに使えそうなものを取り出しました。

 副葬品の香油です。

 とてもいい香りのする、スキンケア用のオイルです。

 エジプトではミイラもスキンケアをします。

 たくさんあるので、二人分の船賃ぐらいは余裕です。



 さあ、大きな船での優雅な船旅の始まりです。

 帆を張って、風を受けて、緩やかなナイル川の流れをさかのぼっていきます。




「ねえねえ、あの人、かっこいいわね」

「あーん、お近づきになりたいわ」

 乗り合わせたご婦人方のささやき声が聞こえます。


「ワシのことかの?」

 クフ王が身を乗り出すと、ご婦人方はせまい舟の中でめいっぱい身を退しりぞけて、嫌そうな顔をしました。


「クフ先輩。みんな、ミイラに近寄られるのは嫌みたいです」

 ツタンカーメンがクフ王の背中の包帯をちょんちょんと引っぱりました。

 誰もクフ王が本物のミイラだと気づいてはいませんが、それでもじゅうぶん気味悪がられているのです。




 ご婦人方の注目を集めているのは、まるで彫刻のように美しい顔をした青年でした。


「何じゃ、あやつは」

 クフ王は露骨にやきもちを焼きました。


 ご婦人方の話によれば、ギリシャから来たアスクレピオスさんだそうです。

 メンフィスの神殿に医学を学びに行くのだそうです。


「ふむ。やはりエジプトは全てにおいて最先端じゃな」

 クフ王の機嫌は簡単に良くなりました。


 ツタンカーメンの時代には、エジプトのほうがギリシャよりも発展していて、エジプト人はギリシャ人から尊敬されています。

 だけど千年ぐらいすると、ギリシャがエジプトを追い越して、ギリシャ人はエジプト人をばかにするようになります。

 ちょっと寂しいですが、歴史の上では良くあることです。

 いろんな国のいろんな人が、似たようなことをくり返しています。





 日の光を浴びて、川面がきらきらと輝きます。

 のんびりと川面を眺めていたツタンカーメンとクフ王の目の前を、川上から流れてきた棺おけが通りすぎました。


「棺おけ?」

「棺おけじゃな」

「何で?」

「さて」

「誰の?」

「はて」


 他の乗客も棺おけに気づいて騒ぎ出しました。

「おいおい、川を流れる棺おけだって? そんなのまるでオシリスさまの神話みたいじゃねーか」

 誰かの声に、みんなが笑い声を上げました。





 はるか昔。

 ツタンカーメンもクフ王も生まれる前。

 エジプトにまだピラミッドが経っていなかったころの話です。


 オシリス神は、今は死者の国の神さまですが、そのころは農業の神さまであり、地上の王さまでもありました。

 ですがオシリス神に嫉妬した弟のセト神は、オシリス神を騙して棺おけに閉じ込めて、そのままナイル川に流してしまいます。

 そこからたくさんの神様が右往左往する長い長い神話が始まるのです。





「これ、中に本当にオシリス様が入っていたらヤバイよな」

 誰かの声に、またまた笑いが巻き起こります。


 その時、不意に……


 ガタッと棺のふたが揺れました。




 船上が静まり返って、それからすぐに大騒ぎになりました。


「大変だ!」

「オシリスさまだ!」

「助けなきゃ!」


 棺おけが動くなんて怖い、なんていう風には思いません。

 だってオシリスさまは、みんなの大事な神さまなのですから。




 棺おけが甲板に引き上げられます。

 乗客の一人がふたに手をかけます。


 ツタンカーメンとクフ王は、慌てて身だしなみを整えました。

 一般人ならばまだしも、二人はファラオで、しかも死者です。

 かつての地上の王にして、現在の冥界の王であられるオシリス神に、失礼があっては一大事です。


「おい若僧、ワシの包帯、乱れてはおらぬか?」

「大丈夫ですよ。きれいに巻けてます。それより先輩、おれの腰布はどうですか?」

「やはり丈が長すぎるわい」


 棺おけのふたが開くと……


 中から一匹の猫さんが元気良く飛び出してきました。

 他には誰も入っていません。


 どうやら棺おけ屋さんの新品の品物を運んでいる最中に、猫さんがいたずらをしてしまったみたいです。


 神さまではなかったけれど、エジプト人は猫さんが大好きなので、みんなとっても喜びました。

 しばらくすると、運送屋さんの小舟が追いついてきて、棺おけと猫さんを引き取っていきました。







「それにしても、びっくりしたわー」

「ほぉんと、本物のオシリス神さまかと思っちゃったー」

 乗客たちが、きゃっきゃとはしゃぎます。




 神話では、セト神に殺されたオシリス神は、アヌビス神によってミイラにされて、イシス女神の力で生き返ったとされています。

 生き返ったオシリス神は、一晩だけ地上で過ごしたのち、地上の王の役目を息子のホルス神に託して、冥界に戻って死者たちの王さまになりました。 

 エジプト人がミイラを作るのは、この神話にあやかって、神々の加護を受けるためです。




「フンッ。神だろうと何だろうと、死んだ者が生き返るわけないさ」

 アスクレピオスの突然の言葉に、船上が再び静まり返りました。


 櫂の先で水が跳ねる音が、やけに大きく聞こえました。

 ギリシャ人のアスクレピオスは、ギリシャでは普通に言われていることを言っただけだったので、エジプトの人々がここまで反応するとは思っていなかったようです。

 アスクレピオスは気まずくなって、視線を川面へそらしました。


 みんなはまだ、怒った顔でアスクレピオスを見ています。


「異国の教義は寂しいのう。やはりエジプトが最高じゃ」

 クフ王の一言で、怒っていたみんなが和やかに笑い出しました。

 どうやらもう大丈夫なようです。


「見よ、これがファラオのカリスマじゃ」

 ミイラ王がニヤニヤしながらツタンカーメンを小突きました。


「はいはい。えらいえらい」

「わかればヨロシイ」

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