第2話 クフコのファッション・チェック

 クフ王と目が合って、幽霊は改めて背筋を正しました。

「はじめまして、先輩! おれ、こないだまでエジプトを治めてました、ツタンカーメンって言います! 有名な先輩にお会いできて光栄です!」


 クフ王とツタンカーメン王。

 どちらも古代エジプトのファラオですが、二人が生きていた時代には千年以上の開きがあって、途中でいろいろなことがあったので、クフ王はツタンカーメンにとって、先輩ではあってもご先祖さまではありません。


「何じゃお前! バーだけか!? 肉体ミイラはどうした!?」

 ミイラのクフ王がわめくと、包帯の隙間から乾いた粉が飛び散りました。


 幽霊であるツタンカーメンは、ちょっと得意げになって、空中にふわんと浮き上がってみせました。

バーだけだと便利ですよ。こんなこともできちゃいますからね。我はツバメなり!」

 祈りを唱えて変身して、クルリと宙返りして、パッともとの姿に戻ります。


「かーっ! 近ごろの若いモンはフワフワしよってけしからんわい!」

 クフ王は、自慢されたと思ったようで、ますます不機嫌になってしまいました。



「おれのミイラなら、王家の谷のお墓に置いてありますよ。今時、外に出るのにいちいちミイラを持ち歩いたりなんかしませんから」

「ナニをバカな!? ミイラがなければ霊力カーが尽きてしまうぞ!? 霊力カーが尽きればバーも動けなくなってしまうぞ!!」

「尽きる前にお墓に戻って、ミイラの中に入って霊力カーをチャージします。今の人にとってのミイラは、霊魂アクが休むためのベッドというか充電器ですね」

「何じゃソレは!? わけのわからん言葉ばかり使いおって!!」

「だからー」

「ええい、くだらん!! そもそもミイラというものは……」


「……もう。さっさとピラミッドに戻りましょう」

 さすがにちょっとウザくなってきて、ツタンカーメンの声に元気がなくなります。


「待て待てツタンカーメンよ、お前さん、アアルの野に来たのは最近じゃな? 今のファラオは誰が務めておるのじゃ?」

「アイっていう、おれの育ての親だった大臣です」

「ふむ、何やら複雑じゃのう。よし! 今からそのアイとやらに会いに行くぞ!」

「えー? 首都まで遠いですよー?」

「首都はギザここじゃぞ?」

「今はテーベが首都ですよ。ここよりずっと南にナイル川を上った先です」

「何と!? いったいいつの間に!?」

「テーベに“戻した”のはおれですけど、その前にもメンフィスだったり他の町だったり、結構ころころ変わってますよ。おれの実の父上なんて、アケトアテンって町を一から作ったりしていましたし」

「何じゃい何じゃい、せっかくわしが良い町を作ったというのに。ええい、まあ良い、テーベとやらへ案内せい」

「今の時間じゃ船が出ていないから無理です。さ、ピラミッドへ帰りますよ」

「むー」




 二人で連れ立って歩き出します。

 だけどツタンカーメンは、地面すれすれを浮遊しているので、実は歩いていなかったりしてます。

 一方のクフ王のひざは、一歩ごとにミシミシと、きしんだ音をさせています。


「気に入らんわい」

「何がですか?」

「何もかもじゃわい」


 クフ王はツタンカーメンの足をジロジロと見ました。

 最高級の“王家の亜麻”をふんだんに使った腰布は、贅沢に足首まで届き、その先から護符のアンクレットと黄金のサンダルが覗いています。

 このサンダルは、もしも昼間に履いていたら、ちょっと目立ちすぎていたかもしれません。



「ピラミッドは……こっちですね」

 ツタンカーメンが角を曲がると、たっぷりと取られたひだが、ふわりと優雅に広がりました。


「お前さんの腰布、すそが長すぎんか? 腰布言うたら普通はこれぐらいの丈じゃろうに」

 クフ王は、自分の太ももの辺りの包帯を、チョンと摘んで見せました。


「それじゃマイクロミニじゃないですかっ? そんなの恥ずかしいですよぉっ!」

「何を言うか!? 男は脚線美じゃ!!」

 クフ王に何故か怒られて、ツタンカーメンは思い切り嫌そうに顔をしかめました。




 通りを進みつつ、出店を眺めてみたりします。

 道の両脇に、あしくきを編んで作られた敷物が並んでいて、その上で焼きたてのパンや捕れたてのお魚が売られています。


 この時代のエジプトでは、いわゆる“お金”というものは使われていません。

 ではどうやって買い物をするのかというと、物々交換という方法があるのです。


 商品のパンや魚が、お客さんが持ってきた野菜やフルーツと取り替えっこされていきます。

 この魚は大きいから野菜二つ分だとか、このフルーツはとてもおいしいんだぞとか、いろんな声が飛び交っています。

 みんな、自分の品物はすばらしい物だと思っているので、安物扱いされないようにがんばっているのです。



「ツタンカーメンよ、ワシゃ、あの焼き鳥が食べたいぞい」

「ダメですよ、クフ先輩。商品の代わりに渡す物の用意がありません」

「ケチ!!」

「何でおれが!?」




 人ごみを掻き分けて進みます。

 ちょっと遠くにスフィンクスが見えます。

 ピラミッドばかりが大きくて目立っていますが、実はピラミッドの周りには、たくさんの神殿や、王さま以外のいろんな人のお墓が建っています。


 ピラミッドへ続く参道に入って、ツタンカーメンはちょこんと首をかしげました。

 ピラミッドはミイラを守るための場所です。

 それなのにそのミイラが勝手にピラミッドを抜け出しているのだから、辺りはもっと大騒ぎになっていそうなものです。

 だけどそんな様子はありません。

 どうやらまだ誰も、クフ王が居なくなったことに気がついていないみたいです。


 それでちょっとツタンカーメンが油断していると……


「こりゃ! そこを退かんか! ワシを誰じゃと思うておるか!?」

 二人の前を横切ろうとした貴族とお連れの一行に向かって、クフ王が怒鳴りつけました。




 騒ぎを聞きつけて警備兵が飛んできました。

 警備兵は貴族とクフ王を見比べて、当然のようにクフ王のほうを捕まえようとしました。

 だってミイラですよ、ミイラ。

 いかにもあやしげじゃありませんか。



 困ったツタンカーメンが、天に祈りをささげます。

「大気の神シュウよ! 我に加護を!」


 するといきなり突風が吹いて、警備兵の腰布が、ぶわっとまくれ上がりました。


「きゃーっ!」

 警備兵が、とっさに裾を押さえます。


 その隙に、ツタンカーメンはクフ王の手を取って走り出しました。




 路地を駆け抜けます。

 角を曲がります。

 追いかけてきた警備兵の前に、なぜかいきなり現れた大きなカバが、どーんと立ちふさがりました。


 立ちふさがったといっても四本足です。

 足が短いので、横たわっているのとあまり変わりません。

 大きなカバが、せまい路地をふさいでいます。


 エジプトにはナイル川という大きな川が流れていて、たくさんのカバが住んでいます。

 ギザの町はナイル川のほとりにあります。

 ですがこんな町なかにカバが居るのはおかしいです。


 カバが警備兵に通せんぼをしている間に、クフ王は道の向こうの夜の闇へと走り去りました。



「そっ、そこを退け!」

 警備兵はおそるおそるカバに槍を向けました。


「あー、でも、カバを傷つけちゃマズイかなー。カバっていえば、タウレト女神さまの聖獣だもんなー」

 タウレト女神は、二本足で立って歩くカバの姿をしています。

 四本足の完全なカバの姿になることもあります。


 警備兵は槍を下ろそうとして、でもそこでハッとなりました。


「待てよ待てよっ。女神さまはメスのカバで、オスのカバだったら邪神のセトの化身なんだよなっ」

 悪い神さまのセトは、エジプトの守り神であるホルス神に、何度もひどいことをしています。

 邪神セトはカバに化けて、ホルス神をナイル川に引きずり込んで溺れさせようとしたことまであるのです。


 警備兵は悩みます。

「邪神をやっつければ大手柄だ! ……だけどタウレト女神さまを攻撃するわけにはいかないんだよなー」


 警備兵が一人でブツブツつぶやいていると、なんと不思議なことに、カバの胸が目に見える勢いで膨らみ始めました。


 実際のカバは、後ろ足の近くに乳首があります。

 ですがタウレトさまは女神なので、人間の女性のような位置に乳房がついています。


 カバは寝転んだまんま体をくねらせて、セクシー・ポーズでメスだとアピールし始めました。

 タウレト女神は多産を司る女神で、言ってみればこれは“きもったまかあちゃん”のセクシー・ポーズです。


 警備兵は多大な精神的ダメージを受けて、戦う気力がゴッソリなくなって、回れ右して去っていきました。






「やれやれ」

 ぽわんぽわんと噴き出した煙がカバを包みます。

 煙が消えると、カバは消えて、ツタンカーメンが現れました。

 実はカバはツタンカーメンが魔法で変身した姿だったのです。


「クフせんぱーい! もう出てきていいですよー!」

 ツタンカーメンが呼びかけます。

 クフ王は、近くに隠れているはずです。


「?」

 返事がありません。

 クフ王は近くに隠れているはずなのに。


「クフせんぱーい?」

 近くを捜しても居ません。

 はて? クフ王はどこへ行ってしまったのでしょう?


「……ちょっと待ってよォ。まさか最初からやり直しィ!?」

 ツタンカーメンは情けない声を上げました。

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