5話:アバターネーム(④)
「……さすが、『Lの世界』」
そう言って笑うと、ひょうも振り向いて笑う。今度はどこか不敵な笑い。きっと僕も同じように、悪い顔をしているのだろう。
――僕は今回、ここに来るにあたって、ものすごく単純な一つの実験をした。
それは、「Lの世界に着いたという感覚があった後にも、目を閉じている」という試み。どうしてそんなことをしたか。これも単純だ。もし、Lの世界が僕の「視野」の世界――「View」の世界であれば、僕が「目を閉じていれば」広がらない。始まらない。もしそうであるとしたら――僕は「僕の目を閉じている」限り、Viewの世界が始まるまでの時間稼ぎをすることができると考えた。
僕は牧田先輩に出会った時から、彼女の言葉に導かれるままに、「創作部」との接点を持ち、「世界の交差」を起こしてきた。そして紆余曲折を経て、今がある。
最初は確かに心地よかった。僕だって何か、「運命」のように振り回される、激しいけど楽で、他の人とは違う面白い生き方ができるんじゃないかと期待した。けど、それはきっと間違っていた。
ただ考えなしに進んだり、首を突っ込んだりするだけでは駄目だ。「運命」なんて都合のいい言葉を言い訳にして、思考を放棄し、調査を諦めて出した結論が合っていることなんてなかった。牧田先輩は僕の「運命」を信じてくれていると言ったけど、それは、考えなしで無責任な僕を信じてくれているわけではない。彼女が僕に期待しているのは、僕が僕の言葉で、「よく考える」ことだ。僕は彼女に、「想像する」ことを期待されているんだ。
だったら――僕はそうしなければならない。あらゆる可能性を想定し、冷静に、自分にとって何が必要か、自分は何をするべきかを、この頭で考えなくてはいけない。
しかし、僕は、Lの世界に着いたらすぐに仁――Lの世界に存在する、頭のいかれた殺人鬼と対峙してしまうことを予感していた。となると、僕には思考する時間がなくなってしまう。牧田先輩がせっかくくれたチャンスを無下にしてしまう。
だから、思考するための時間を作るために、さらに思考した。
「Lの世界」は「視野」の世界というより、「認識」の世界だと僕は思う。Rの世界――僕がいつも過ごし、生きている世界は、僕が目を閉じ、寝ている間にも、そこには確かに存在している。僕の「認識」とは一切関係のないところで勝手に存在し、回り続ける世界に対して。Lの世界はその逆だ。Lの世界は僕が「想像」、あるいは「意識」をすることによって初めてその存在を現わす。つまり、僕の「認識」から始まる世界がLの世界なんだ。二つの世界の成り立ちは真逆になっていて、Rの方はまず世界があって、そこから認識が生まれる。逆に、Lの方はまず認識をすることによって世界が生まれるんだ。
と、いうことはつまり。
僕は、「世界の交差」を終え、「Lの世界にやってきた」という感覚を得る。その時、浮上した意識で辺りの様子を探りつつも、決して目を開かない。もし、目を開かずとも世界が始まり出すようなら素早く目を開いて状況を把握するべきだが、やはり、僕の予想通り、目を閉じている間は何の音も、匂いも、熱さや冷たさの感覚だって現れなかった。それは自分の思考に集中し過ぎて、周りの音が一切聞こえなくなるあの感覚によく似ていた。
そういうわけで、僕は僕の実験によって、Lの世界が僕の認識の世界である、という一つの仮説の立証と、仁との決闘前の思考の整理を一気に済ませてしまったのである。
僕は目を閉じる。さらさらと頬を撫でていく春風の感覚、靴底で感じるコンクリートの粗さ。どうやら一度目を開いてしまうと、世界はスタートしたまま止まらないらしい。それならそれで大丈夫だ。
ガシャンという音に目を開くと、再び乾いた春の屋上が広がる。そして気づいた。この屋上、おそらく前回と同じ場所ではあるけれど、僕が地面にこぼした水や氷柱の跡が一切ない。
よく見れば、仁にも服の汚れや髪の乱れは見当たらない。何か、リセットがかかった? それともあれから時間が経過した? 仁の様子を窺うと、彼は口元に薄笑いを浮かべながら、金色の瞳でこちらをぎょろりと舐める。僕は後者だと思った。仁は僕たちを覚えている。
「巴様」
少し強くなった風に後ろ髪をなびかせ、ひょうが振り向く。透明で、薄く水色のかかったビー玉のような瞳に捉えられた瞬間。
「……っ、あれ……?」
「大丈夫ですか?」
僕はなぜか、今まで考えていたことのすべてを瞬間的に忘れてしまう。ひょうを見れば、ひょうは細い眉を心配そうに下げて僕のことを見つめていた。その時僕は、急に自分の顔に血が集まるのを感じた。なんでだよ。さっきまでは普通に会話できていたじゃないか!
「焦らず考えてくださって結構ですよ。あちら、しばらく動かないみたいですから」
その言葉に仁の方を見やると、確かにこちらを見ているが動かない。僕は原因不明の顔の火照りを抑えつけながら、なんとか作戦を練ろうと思考を回す。原因について考えるのは後回しだ。とりあえずは、「仁が動き始めるまでの間」、なんとかこちらが有利になるような作戦を立てて、ひょうと共有して、それから――。
――「仁が動き始めるまでの間」って、いつまでだ?
僕は何度か瞬きをする。もちろん仁は消えない。が、僕はその違和感に気づいた。
どうして、僕たちが目の前にいるのに、仁は襲いかかってこないんだ? 前回の仁と同じであれば、僕たちを見た瞬間に会話を吹っかけてきたり、場合によっては襲いかかってきてもおかしくないのに。
世界は「もう始まっている」。なのに、僕とひょうは普通に話せているにもかかわらず、仁だけが「始まっていない」みたいにその場に硬直している。まるで、屋上の景色に同化してしまっているかのように。
そんな自然な不自然さ、不自然な自然さの既視感の原因を探っていた僕は、急に、真面目に説明するのもバカらしい、ある現象に思い至る。
これって、アニメとか漫画とかでよく見る「登場人物が仲間と重要な話をしている時に、敵側のキャラクターは話を遮るような攻撃を仕掛けてこない」、あれじゃないか?
ほら、漫画とかでよくあるやつだ。明らかにその会話の途中に攻撃をすれば不意を突くことができるにもかかわらず、あるいは、話が最後まで進んでしまうと誰かが覚醒してしまうから、それを阻止する意味でも早く遮ったほうがいいにもかかわらず、漫画の敵キャラクターというのは多くの場合で、律儀にも、その話が終わるのを待っている。
逆に「演出として」、ヒーローの口上中に行動を仕掛けて「卑怯だぞ!」なんて罵られているギャグもあるけれど、普通に考えて、そっちの方が理に適った行動じゃないか? だって敵のキャラクターからしたら、それらの時間は攻撃を仕掛けるための隙でしかないのだから。
それでも敵キャラクターがヒーローたちの会話を遮らないのは――「作者がそうさせてくれない」のは、それらの口上や会話が、その主人公、そしてその主人公の世界、それらを作り出す作者の「認識」にとって必要であると判断されているからだ。その物語の「世界」の時間は、敵ではなく、「主人公のために流れている時間」なのだ。
と、いうことは。「認識」の世界であるLの世界において、敵である仁がこちらの会話中に攻撃を仕掛けてこないということは、この一連の会話や思考整理が、この「認識」の世界の主体であり「主人公」である僕にとっては必要な時間だということだろう。
「――確かに、君の言うとおりかもしれない。彼はしばらく動く様子がないね」
返事をすれば、ひょうは首を縦に振る。僕は話を続けた。
「僕たちは、ここで意思疎通をすることを『許されている』みたいだ。このボーナスタイムに君と僕の目的を擦り合わせる必要があるのなら、ありがたくさせてもらおうじゃないか。君は僕が口に出さないと、僕の考えていることがわからないようだからね」
「ええ、ぜひお願いします」
僕は唾を飲み込む。念のため一瞥するも、仁は微動だにしない。……大丈夫、僕たちは話すことを「許されている」。
「まず、僕が今回Lの世界に来たのは、『仁と会って話がしたい』と思ったからだ」
ひょうは黙って話を聞いている。
「仁と話すことが、『マスターの世界をぶっ壊す』という僕の願いを叶えるために、必要になるはずなんだ」
「あの男が鍵となると?」
僕が頷くと、ひょうは真面目な顔をした。
「ですが巴様、以前、彼は狂気に陥っていて、とても話の通じる状態ではありませんでしたよ。たぶん、それは今回もさほど変わらない。……果たして、話をすることができるのでしょうか」
そこはかとなく心配そうな表情のひょうに――僕は思っていることを正直に言う。
「……確かにそうだ。前回、僕たちは仁とまともに話をすることはできなかったよね。きっと、『前とまったく同じ』だったら、僕たちは同じことを二度繰り返す。……だけど、」
ひょうの瞳をまっすぐ見据えると、その透明さに、自分の迷いや不安が、洗い流されていくような心地がした。
「状況が変わったんだ。僕の持ってる情報も増えたし、僕の心境も変わった。それに、」
……僕の運命を信じてくれている人がいる、だなんて小恥ずかしいことを言いそうになって、やめる。
「それに――ここは、『願えば叶う』世界なんでしょ? だったら、大丈夫。僕が願って、上手くいくように願いながら、話してみる」
「でも、巴様は――」
「そうだ」
僕は言葉でひょうの腕を掴まえる。
「そのために、君の力が必要だ」
ひょうの目が見開かれる。僕は自分の体の真ん中をひょうに向けた。ひょうは決して逃げないとわかっていながら、僕はひょうに逃げないでほしいと思っている。これが、喉の奥がひりつくような、僕の本音だったから。
ひょうには言わなきゃ伝わらない。同時に、言えば伝わるんだ。僕が臆病なことも、無力なことも、ひょうはすでに知っている。だから全部伝えてしまおうと思った。一切取り繕うことなく。
「僕は仁と話したい。だけど、僕が仁を力づくで取り押さえることは、できない。そんな力は僕にはないし、……死ぬのは、怖いから」
ひょうは静かに頷く。こんなことを口に出して、情けない。ただ、こんなに情けなくて、自分の嫌なところや人に見せたくないところを晒しているというのに、僕の心は痛まなかった。考えられないくらい穏やかだった。
「君はすごい。仁と同等――いや、それ以上の力を持っていて、仁を圧倒していた。僕は君のこと、本当にすごいと思ったんだ……」
ひょうは目を細めて微笑み、頷く。僕は気恥ずかしい気持ちになりながらも、ちゃんと、言葉にしてひょうに伝える。
「だから、情けないけど、君に頼みたいんだ。君にはあの氷の力を使って、仁の動きを封じてほしい。前みたいに気絶させるんじゃなくて、きちんと話ができる形で、どうにか」
「……もし、あなたの身に危険が迫った時には?」
ひょうの言葉に少し驚くが、すぐ続ける。
「君の判断に任せるよ。もし君の攻撃で彼の意識が飛んじゃっても、また意識が戻るまで待てばいいんだから。きっと僕が『絶対に聞き出す』っていう気持ちを持っていたら、この前みたいに強制的にRの世界に送還させられるなんてことはないはず。だから――」
……他人の力を借りるため、頼み事をしたことなんてあっただろうか。
「君の力を貸してほしい。君ならなんとかしてくれるって、信じてるから」
僕はそう言い切る。……言いながら、言ったことのない言葉にのぼせてしまいそうだった。
ひょうが僕を見つめている時間はわずかだったはずなのに、ものすごく長く感じる。屋上を抜けていく風がびゅうと鳴った。
「……わかりました」
胸に自分の左手を重ね、ひょうは僕に首を垂れた。洗練されたその動きに、僕は小さく息を吞む。
「その役目、引き受けましょう。巴様が信じてくださるのなら、私に断る理由は一つもありません」
そう言うと、ひょうは顔を上げ、いつものようにやわらかく笑う。僕は、この笑顔なら信じられると思った。信じたいと思う。
「……ひょう」
「私が仁を押さえます。作戦としては、私が仁を押さえたところで、巴様が仁と会話を試みる。そこで、巴様が自分の願いを叶えるために必要な情報を聞き出す……、といったところでしょうか?」
「まあ……そうなるね。かなりアバウトだけど、いける?」
ひょうは僕の言葉を聞くと、微笑みながら頷いて、静かに僕の元を離れた。そして、くるりとエプロンを翻し、仁の方に体を向ける。
「巴様が望むなら、完遂してみせますよ。なんてったって、私はあなたの従者なのですから」
ひょうはにこりと微笑むと、歩き始める。
いつから僕は、こんなにもひょうを――綺麗で美しくて、そして完璧な「道具」を信頼するようになったのだろう。
本当に短い時間しか接していないのに。二人でお茶をしながら話したり、ひょうのすごいところを見たり、逆にとんちんかんなところに呆れたりしたことがあるだけなのに、僕はひょうのことを身近に感じ、いつの間にか頼もしく思うようになっていた。
今だって僕は、簡単に人を信じることはできないし、信じたくない。他人に欺かれたり裏切られたりするのは、きっと誰だって嫌だと思う。
だけど、言動に噓偽りのないひょうと一緒にいると、その考えを揺るがされそうになる。それほどにひょうの存在や僕に対する返答は完璧だった。世界中の人がひょうみたいだったら、僕も他人を信じられるようになるんだろうかと思うほどに。
でもそれは、ひょうが僕の願いを叶えるための、僕にとって都合のいい「道具」として生まれてきたからなのかもしれない。傷つけてもいいとわかっているから素直に話すことができるし、とんちんかんな「道具」の言葉だから真に受けなくてもいい。そもそも、このLの世界は僕の現実ではないから、ここで何がどうなろうとも僕にとっては何の関係もない。そう思っているからこそ、僕は傷つくことを恐れずに、ひょうと向き合うことができるのかもしれないと思った。
ひょうもLの世界も所詮、僕にとっては僕がリアルだと実感することのできない、冷たくて噓っぱちの「道具」なんだ。これはきっと僕が「人間」を信じることができないことの裏返しなんだ。僕はきっと僕の「認識」と、その中で生み出した「道具」のことしか信じることができない、寂しい人間なのだろう。
――一つの結論に達したところで顔を上げる。そして、脳に酸素を送り込む。
いけないな、今から仁と話すというのに無駄に頭を使ってどうするんだ。
僕は再び意識を仁と、仁に向かって歩いていくひょうの方に向けた。その時、違和感に気づく。
「あれ……?」
なんだろう、この、気持ち悪い感じ。ひょうはまさに、仁へと歩を進める途中。一方、仁はその場に立ったままで、ひょうが来るのを「待ち構えている」。
何がおかしいんだろう? 二人の様子を見ながら、上手く説明できない気持ち悪さに胸の辺りをさすっていると、はっとあることに気がついた。
「仁が……動いてない……?」
ひょうの向こうに見える仁は、僕たちの会話が終わったにもかかわらず、まだ、一歩も動いていない。完全に「固まっている」のだ。まるで先ほどと「状況が変わっていない」かのように。
急に鼓動が早まるのを感じた。そして、謎の焦りが僕を支配する。
一体どういうことだ。考えろ。「状況が変わっていない」っていうのはつまり、どういうことだ。逆に言えば、「何が起きていない」んだ? 先ほどの状況は、「僕たちが『必要』なやりとりをするために、仁の時間が止まっている」という状態だったはずだ。いや、本当にそうだったんだろうか? 仁の方が意識的に待っているか、僕たちの会話を盗み聞きしようとして黙っていただけではないか。それで、今もこちらの出方を窺っているみたいな。
でも仁の様子を見ていれば、それは違うとわかる。仁はまるで、そこだけ時間が止まっているかのように――自分の意志以外のなんらかの導きで行動することを制御されているかのように――不自然に固まっていた。
じゃあ、何だ。まだ僕たちの時間だけが動いていて、仁の時間が止まっているのはもしかして、「僕たちが『必要』なやりとりをするために、仁の時間が止まっている」という状況を打開できていないからだとしたら……?
それって、まだ、「必要」なやりとりが終わっていないことにならないか?
「……ひょう‼」
「何ですか? 巴様」
ひょうは能天気な声で振り向くと、不思議そうにこちらを見つめた。やはり、仁は動かない。冷たい汗が、背中を垂れていく感覚が気持ち悪い。
もしかしたら僕は、「まだ」、間違えた道を歩いているのかもしれない。きっと何かが足りていないのかもしれない。でも、何が足りてないのかわからない。そのことが怖かった。何だろう。何に僕は気づくことができていないのだろう。
ひょうを呼び留めたはいいものの、何を言えばいいのかわからない。でもきっと、このままひょうを行かせても、前回と同じように情報は得られず、失敗してしまう。僕は必死に打開策を探る。
「ひょう、その、どうやって仁を取り押さえるか決めてるの? ……いや、氷で動きを止めるってのはわかってるんだけど、ええと……」
僕はとりあえず思いついたことを口にする。自分でも何を言っているのかわからないが、とにかく、何でもいいんだ。口から出まかせで喋っていれば、何かに引っかかるかもしれないから。
前方のひょうは、少し予想外なことに、僕の質問に対して首を微かに傾げる。
「何? どうしたの、」
「巴様」
僕が声をかけると、ひょうは遠慮がちにこちらを見てくる。僕も、ひょうに向かって首を傾げる。
「それがですね、巴様に言われて、今しがた私も気づいたのですが――」
ひょうは振り返って胸に手を当てると、あっけらかんと言った。
「今回、私の能力は使えませんね」
「…………へ?」
僕の間抜けな声が、アスファルトの上を滑っていく。
「……なんで?」
ひょうは、どうしてだろう、歌うように言葉を紡ぐ。
「『液体を凍らせる』能力ですからね。さっき確認したら、私、水筒を持って来ていないみたいで。巴様も持っていませんよね?」
――ええと、つまり?
「水がなければ、『液体を凍らせる』能力を使って仁を押さえることはできませんね。いやはや、うっかりしていました」
「あのっ、さぁ……!」
いつの間にか僕はこぶしを握り、滅多に出さない大声で怒鳴っていた。いや……ひょうに対してはそんなこともないか。Lの世界の僕はよく怒鳴っている。
「そういうのは先に言ってよ! だめじゃん、戦えないんじゃん! どうすんの、今からどっかの水道で水を汲んできた方が……!」
「まあまあ、落ち着いてください。別に『戦えない』とは言ってませんから」
「なんでそんなに落ち着いてるわけ! 勘弁してよ、能力がなかったら――」
「なくても、私は戦えますよ」
ひょうは僕の言葉を遮ると、おもむろにその場に屈み、「何か」を拾い上げる。いつからその場にあったんだ? ひょうの身長と同じくらいか、それよりも少し長いくらいの銀色の棒がひょうの手にしっかりと握られている。
「何? それ……」
「どうやら、物干し竿のようですね。ほら、見てください、ここの先端の――」
「物干し竿……?」
思わずすっとんきょうな声が出る。相変わらず平然としているひょうは、その棒の中央を掴んで軽々と僕に差し向けた。
「先端のプラスチックが、巴様のお宅にある物と一致していますね。理由はわかりませんがこちらに移動してきたのでしょうか」
そう言うと、慣れた手つきでそれを回転させる。ヒュンヒュンッと風を切る音は確かに頼もしい、けれど。
「これだけあったら何とかなるでしょう。信じてください、巴様」
「いや……!」
普通におかしいから! なんであの家の物干し竿がここにあるのかとかそれでどうやって戦うんだとか、言いたいことは山ほど言いたいことがあるのに!
口を開こうとした瞬間、ビュウと強い風が吹いて瞼を閉じてしまう。そして同時に直感した。今、ボーナスタイムが終わったんだ!
おそるおそる目を開くと、ポケットに手を突っ込んだ仁が、僕たちの方へと一歩、踏み出す瞬間だった。
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