5.ゴミとゴミ


 ふかふかの椅子に腰かけていると、お金持ちになったような錯覚を覚える。それは悪い気分ではなかった。しかし、隣の瑠衣は何かにイラついているようで、ぴりぴりした空気にライカは閉口した。


 どうしても、ライカが誰と関わっているかが気になる様子の瑠衣の問いかけに、考えてからこう答えた。 "似たもの同士なのだ" と。そうとしか言いようがなかったのだ。そしてライカは、ついでのようにユイのことを考える。


 ああは言ったが、ライカとユイは根本的なところが違うように思えた。ライカはそう簡単に他人を必要としていない。初めから信頼せず、期待せず、離れた瞬間に忘れてしまえば、面倒なことも起きない。そう思うように努めてきた。

 ユイはそんなライカと対極にいるように思えた。こちらの都合も聞かない彼女が『また遊ぼ』と威圧的に押しつけてきた約束を守るために再びあのクラブを訪れ、二度目に会ったとき、ユイは最初とは別人のようにすり寄ってきた。そして、何にも臆することなく『楽しいから一緒にいようよ』などと言ったのだった。


 鈍感だと文句を言ってくるユイが、自分に何かしらの好意を抱いているのはライカも感じ取っていた。それがどういう種類のものなのか見当もついていないうちから、ユイのスキンシップの激しさは、会うごとに増していった。そして、戸惑いながらも、ライカは自分よりも少し大人な彼女が何をしようとしているのか、その直前にやっと理解が出来た。

 クラスでそういった本が回ってきたことだってあったし、セックスに興味がないわけではなかったのだ。どんなもんなんだろう? 程度ならライカだって思うのだ。

 結果としてそれは、考えていたよりずっと面白かった。わけが分からない自分にユイは逐一指導してくれたからだ。何より、甘えてよがるユイはかわいらしかった。


 あの結果が恋愛感情から生まれたものなのかは、ライカには今でも分からない。ただ、経験として意義があったと納得してしまったようなところがあった。何においてもユイは強引で、とてもではないが、気持ちでは理解が出来ないのだ。


 あの乱暴なキスも含めたすべてが、ユイに言わせれば『つまんないときのおまじない』らしい。そんなもの、いくらでも無視することは出来たのに、なぜ彼女の要求に応じてしまったのか。


 それは、単純にユイを捨て置けないからだった。誰かに拒まれたら潰れてしまいそうな、そんな儚さがユイにはあった。


 ――こういうの、馴れ合いっていうんじゃなかったっけ――


 ふとそんな思いが頭をよぎって、ライカは笑ってしまう。嫌だ嫌だと口では言っているし、利用されているのが分かっていても、結局のところ、ライカだって彼女を利用している。

 やみくもに他人を求めたがる彼女の気持ちは分からないのに、求めたい気持ちの感覚だけは、理解が出来るのだ。捨て置けない、というのは、そういうことに違いなかった。


『みんな利用するだけじゃん。あたしみたいなやつ』


 ユイの呟きと、遠くで流れるダンサブルな音楽の振動だけが、そこに響いていた。同じ建物の中にいるとは思えない、掃除用具が詰まった狭い部屋で、彼女はぼうっとしていた。


『あたしがゴミみたいなもんなんだよね。だからここに逃げるの。なんかお似合いでしょ?』


 虚ろな瞳で、ふふっと笑いながら、彼女は吐き捨てるように言った。ライカはその言葉を聞いたとき、なぜだか『人間がゴミなわけないだろ』と返していた。家を飛び出したはいいが、どこに行ったらいいかも分からずに、ゴミ捨て場に座り込んでいた男が、だ。


 自分も似たようなことを瑠衣に言ったのに、他人の言葉として聞くと、何だか気分が悪かった。そして瑠衣がなぜ自分を放っておかなかったのか、少しだけ分かったような気がした。


 決して似ているとは思えない彼女のことを『似ている』と言ってしまったのは、お互い、ゴミだからかもしれない――自然とそういう答えにたどり着く。

 つまりは、ゴミとゴミが慰め合っているのだ。それはライカにとって、皮肉なことだった。きっと彼女も他人を信用してはいないのだろう。どこの誰だか分からない人間になら、何を言っても後腐れがない。だから、あの店に来る人間とつるむのだろう。


 よく『誰でもいいから』と言うユイだったが、それでも本当は誰でもよくはないに違いない、とライカは思う。 "どうでもいい存在" と "気になる存在" の狭間にいるのが、来夏という男なのかもしれない。だからあんなにも、彼女は "来夏" に固執するのだ、と。


 見ていたようで見ていなかったスクリーンにライカが視線を移すと、どういう仕組みなのかは分からないが不自然に膨らんだスカートの女と、無邪気な表情の男が楽しそうにテーブルの下でじゃれ合っていた。

 メインキャストらしい俳優が、今までに聞いたことがないように甲高く、知性の欠片も感じられない声で、ケタケタと笑うものだから、ずっと心が乱れている。


「大人なんて、こんなもんだよな、実際」


 思わず口からそう漏れた。オーケストラの音に掻き消され、誰にも聞かれないその言葉が、いつまでも空中を漂っているような。そんな気持ちのまま、ライカは目を細めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る