4.ろくでもないのはどちらでしょうか


 急いでライカに支度をさせたというのに、結局すぐには出かけなかった。

 ふたりは、瑠衣の作った適当な夕食を食べながら、どこに行くか考え、レイトショー鑑賞することに決めた。何を提案してもいまいち乗り気でない様子の彼の反応が一番よかったからだ。

 映画館に向かうと、古い映画がリバイバル上映中だった。それはどう考えてもライカが興味を持つとは思えないクラシック音楽を題材にしたものだったが『懐かしい!』と思わず騒いだ瑠衣に向かって、彼は『これでいいじゃん』と呟いた。


 チケットを購入している瑠衣を置いてけぼりにして、ライカはスタスタと先を歩いて行ってしまう。そんな彼を追いかけながら、瑠衣は叫ぶ。


「ちょっと待ってくれてもいいじゃない! 私はお会計があるんだから!」


「先に行っても待ってても、どうせ部屋は同じじゃん。どっかで会うよ」


「なによもう……。意外とせっかちなのね」


「なんか……落ち着かなくて」


「ん? 映画館が?」


「……だって、あんま来ないし」


「ふーん……」


 そんなやり取りをしながら、階段を降りる。下の階はエアコンが効いていて涼しい。上に羽織る物を持って来なかったことを後悔していた瑠衣を、ふいにライカが振り返る。


「そういえば、瑠衣ってさ。彼氏とかいるの?」


「えっ? ……突然なに?」


「いや……なんとなく」


「いないわよ。彼氏とかいたら、きみに部屋なんて貸してないでしょうよ」


「あぁ……そっか。なんで作んないの?」


 瑠衣は言葉に詰まってしまう。なぜだと聞かれても困るのだ。正直、教えて欲しいのは瑠衣の方だった。


「きみはまだ子供だから、わかんないのかもしれないけど。彼氏ってさ、作るとか作んないとか、そういうもんじゃないでしょ? それに、男なんてろくなやついないじゃない」


「……おれも男なんだけど」


「そうよ! だから、ろくなやつがいないって言ってるの!」


 言ってしまってから、それが完全なるやつ当たりであることに瑠衣は気が付く。

 ライカがろくでもない男かそうでないかは、分かるわけがない瑠衣だが、東京に出てきてからの恋愛の全てがナンパから派生したもので、相手は百パーセントの確率でろくでなしだった。熱っぽく綺麗ごとを言うわりに、自分勝手な人間ばかりだったのだ。職業柄、瑠衣の周りには女性が多い。そのせいか、自然に恋に落ちる男性がいつも思い浮かばないのだ。


 そんなことを考えていた瑠衣がふっと気付くと、前にいたはずのライカがいなくなっていた。さっき言われたように "どうせ部屋は同じだからどっかで会うわね" などと思いながら、案内された番号の部屋の扉を開く。


 予想に反して中はガラガラだった。曜日的なものなのか、この映画が新作ではないからか。中段の真ん中を陣取って腰かけつつ、時折当たるエアコンの風に腕をさすっていると「ん」という声と共に突然、目の前に茶色い膝掛けが差し出される。


「はい……。え、なに?」


「使えば?」


 早く受け取れよとばかりにそれを瑠衣の胸に押しつけると、ライカはこちらも見ずに隣に座り込んだ。


「……あ、あぁ。ありがと。……気が利くわね」


「見るからに寒いって動きしてたし、掛けるもんが途中にあったから」


「そんなのあった?」


「気づけよな、寒いの自分なんだから」


「あぁ……すみません」


 反射的に謝ってしまった瑠衣が、膝掛けを羽織りながら隣のライカを見ると、何だか怠そうに頬杖をついてスクリーンを凝視している。考えてみると、彼が楽しそうにしているところを瑠衣は見たことがなかった。


「……ライカって、楽しいときある?」


「あーぁ……」


 頬杖のまま瑠衣をちらりと見たあと、一瞬、空を睨んで目を伏せる。そして、少しの沈黙のあと彼は口を開いた。


「楽しいよ、今とか」


「ウソつきなさいよ。全っ然、楽しくなさそうよ?」


「楽しいって。映画とか久々だもん」


 ライカが本当のことを言っていないのは、聞かなくても分かる。

 学生であろう彼の年頃を考えれば、何もかもが楽しい盛りだろうに、ライカは何に対しても興味がなさそうで、退屈しているように見えた。変な子供だ、と瑠衣は思う。


「さっき瑠衣が言ってた話なんだけど。……ろくでもないってあれ。単純に、瑠衣に男の見る目がないってことなんじゃないの?」


「……それって、私が悪いってこと??」


「違うでしょ、そうは言ってなくて。ちゃんと選べば? って話」


「……そんな簡単に言わないでよ。まったく……」


 瑠衣の唇に苦笑いが浮かんでしまう。それが出来たらこんな苦労はしていない。世の中、そんなに上手くはいかないのだ。


「そんなこと言うんなら、ライカはまともな男になりなさいよ?」


「……うん。うーん……。うん」


「なによ、その『うーん』って」


「あのさ……。どういうのが "まとも" なの?」


「どういうって、それは……」


 そこまで言った瑠衣は、言葉が続かない自分に気付く。まともというのはどういう状態を指すのだろうか。思い返せば彼女は、一度だって "楽しい恋愛" というものをしたことがないのだ。


「わかんないけど!!」


 結局言葉を選べずに『わからない』で誤魔化した瑠衣に、ライカは口元だけ歪めた笑みを浮かべる。


「わかんないけど! って怒る瑠衣に説教されたくねぇな。さぁ、具体的な "まとも" を教えてくれ」


「意地悪ね! その言い方。……わざとでしょ!」


 ムッとした瑠衣が、思わずその頭をはたくと、後頭部をさすりながら彼は口を尖らす。


「なんで殴んの、みんな。おれ、サンドバックじゃねぇよ」


「だからね。みんなって誰なの? その、凶暴なやつっていうのは」


「……なんなんだろな、あいつ」


 呟いたライカがそれきり黙ると、辺りが暗くなり、コマーシャルが投影され始める。 "盗撮は犯罪です!" と怒り狂う勢いのその忠告をぼんやりと見つめていると、映像と映像の隙間で、彼がぼそりと言うのが聞こえた。


「……似たもの同士なのかな、多分」


 呟いた彼に何か言おうと、ちらりと視線を送る。その先にある彼の横顔に、スクリーンの光が反射していた。そんなライカの表情が何だかとても寂しそうに見えて、瑠衣は口をつぐみ、静かに前を向いた。そして、チラチラと黒い点が散るスクリーンにタイトルが映る頃にはもう、何を言おうとしたか分からなくなっていた。かける言葉はどこにも見つからなかった。


 ろくでもない、でひとくくりにしてしまったことを瑠衣は少し悔やんだ。自分だってまともな人間かどうか、はなはだ疑わしい。真意はどうあれ、明らかに未成年の少年を家にかくまっているわけなのだから。


 よくよく考えればおかしいことだらけだった。まるで、ずっと前からそうだったように、ライカと寝食を共にしている。いつの間にか瑠衣も彼の家のことに触れなくなっていた。今後について考えなくなっているのだ。というよりは、考えないようにしていた。どうすることが正解なのか考えあぐねている、といった方が正しいのかもしれない。


 特に触れなかったが、先ほど ”凶暴なやつ” と瑠衣を『女ってしつこい』と漏らした。つまりライカの言う "似たもの同士のあいつ" は、女だということだ。何だか変な気分だった。ライカはただの同居人で、見えない場所でどう過ごそうと知ったことではない。犯罪行為さえしなければ、何だっていいはずだった。それなのに瑠衣は、自分でも知らぬうちに、彼に対して妙な所有欲を感じているのだ。


 変な気分、としかいいようのない気持ちに、瑠衣の心は支配されていた。

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