02

「…またそのようなご格好を」

 背中にアマキをくっつけたまま、タカトヲは嗜めるように呟いた。彼がすると大きなため息さえ、色をもって美しく思える。


「久しぶりだねタカトヲ」

 振り返る彼の顔を見上げて、アマキは嬉しさに笑顔をこぼす。

 冬間でもほんのりと日に焼けた肌、はっきりとした目鼻立ちは諸刃のように鋭い――きれいな、整った大人の顔がアマキを見つめた。


「寒くなかった? 遠かったでしょ。あ、待って、見せたいものがあるんだ」

「…アマキマル」

「なに?」

「…お御足が冷えます」

 裸足だった足を見下ろして、タカトヲが呆れたように言う。


「だって、」

「お父上に貴方の様子もご報告するように仰せつかっているのですよ」

「――ああ、ごめん」


 〝様子も〟か――。

 この辺り一体の領主であるタカトヲは、月に一度か二度は政務をしに領地を訪ねる。そのついでに、山すその屋敷に住むアマキの様子を父に報告しているらしい。

 自分はいつも、「ついで」の存在。


 反論しようにも、鋭い瞳で睨まれてしまっては、すごすごと縁側にのぼるしかない。両足についた雪のしずくを小袖で拭って、後から歩くタカトヲを振り返り見上げた。


 感情の起伏が見えない、淡とした灰の瞳。縁側に立っても、見上げる余裕のあるほど背丈がある。

 この人に届くためには、いったいどれだけの努力と年月が必要なのだろう。


「風邪をひかぬようになさいませ。近ごろ都でも流行り病が出始めていますから」 「父上は元気?」

「はい。今日はご報告が」

 静かに言うタカトヲを見上げて、アマキは首をひねる。

「報告?」


「……お父上に、男児がお生まれになりました」

「男児…? ご側室が?」

 タカトヲが頷く。

 では、父にもとうとう跡目ができたのだ。自分のようなまがい物でない、正式な嫡子が―――。


「アマキ丸、すぐにお迎えに参じることになります」

「え…? だって、どういう意味」

 父にはずっと、男のお子が生まれなかった。死した正室が残した唯一の「男子」は名だけのもので、男の作法と勉学をたたき込まれた女子――つまり自分だ。万が一跡を継げる男児が生まれなかったときのための〝保険〟でしかない。

 そんな父に男児が生まれたのなら、彼らにとっても万々歳のはず。


 ここでこうしてひっそりと、替え玉の訓練をしている謂われもなくなろう。

 ……なのにここで宮廷に来いだなどと。


「貴方様も宮廷にあがるのです――皇子」

「…なぜ? 本物の皇子が生まれたんでしょう」

 ここで自分が出て行っても、宮廷に混沌を招くだけ。父上だって、よけいな内部闘争は好まぬはずではないか。


「では、どうするのです。貴方がこうして暮らしていられるのも、亡き母上のご御光あったればこそ。ご側室に権力が集まる今、この生活はいつまで続くか保証できかねます」

「そんなの……どうとでもなる」


 そも、贅沢な暮らしをしているわけではない。たとえ大きな屋敷を取り上げられたとしても、村なかの小さなあばら屋を借りられれば十分なほどの生活だ。

 ここには友もいるし、山すそに近いから食料にだって困らない。空気もおいしい。

 例え宮廷の加護がなくなっても、アマキには失うものがないのだ。


 ――ただひとつ、タカトヲという青年を除いて。


「加護を失ったら、テマもいなくなるかもしれません」

 乳母の名を挙げられアマキははっとするが、それでも首を横に振った。

「畑仕事をすれば、ひとりで暮らせる。ああ、イサダあたりの嫁に行ってもいいかな」


 イサダは村の友人の一人だが、十五の元服を終え二年も経つ。なのに嫁のひとりもいないのは、一般的に見て珍しいことだった。

「――貴方はまだ子供だ」


 タカトヲは憮然としてこちらを見下ろしてくる。

 そうだ、この男も〝一般〟に含まれぬ独身だった。思い起こして、アマキは眉をひそめる。


「わたしはもう十五だ」

 憮然としたいのはこっちのほうだ。いつまでも子ども扱いされるのは慣れている。だがここまで来て、何をしろというのだ。


「なりません。十五でも、元服していなければ子供です」

「元服は男の儀式だよ、タカトヲ!」


 思わず叫んだアマキを、驚いた顔でタカトヲが見る。


 この人は、わかってはくれないのだ。元服をしてしまっては、もう後戻りできないことを。





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