凍る雪、溶ける雪

01


 畳の上は雪の日の空気を吸ってひんやりと冷たく、火照った体に気持ちいい。低めの天井を仰ぎ見ながら、アマキはそっと深呼吸した。


「疲れた」

 広い部屋の真ん中で、四肢を広げてごろんと寝転ぶ。

「疲れたけど、遊びたいなぁ……」

 門の外に出ればたくさんの友がいる。キマにジュヒ、ヤエ、イサダ。雪のちらつく寒い日だって、彼らは変わらず遊びまわれるのに。

 けれども自分は彼らのように、こんな日を一緒に過ごせる兄弟を持たない。


 だだっ広い屋敷に、いつもひとり。みやこに居る父の顔でさえ、幾度も見たことはなかった。


 この山村近い屋敷には、生まれて間も無く移ったのだと聞いた。アマキは自分が生まれた土地も、父の住む都もまだ見たことがない。

 ただただ五人の女中たちに囲まれて、ああだこうだ手出し口出しされる毎日。


「…アマキ丸」


 すたん、と襖が開いて、乳母が渋面をつくってこちらを見下ろした。

「お稽古のあとにそのような格好をなさってはお風邪を召されますよ」


 アマキは汗と雪で濡れてしまった上衣をすっかり脱いで、肌着一枚のまま大の字になっていた。悲しいことに、しかめっ面をされてもおかしくはない状況だ。

「わかってる、ちょっと待ってテマ」

「今日はこの雪模様なのですから、あれほどお稽古はおよしになるように申しましたのに」

「だめだよ。一日だって休んだら、もう取り戻せないんだ」


 ふくれっ面で答えるアマキを呆れ顔で見下ろして、乳母――テマはため息をつく。

「そんなご様子ではタカトヲ殿にはお会いできませんね」

「えっ、タカトヲ?!」


 ばさりと起き上がって、テマの顔を仰ぎ見る。

 アマキのあまりの反応に困ったような笑みを見せて、テマははっきりと頷いた。

「そうでございますよ。お支度なさいませ」


「わぁ、そんなのいいよ! タカトヲは?」

「お庭にいらっしゃいますよ。けれどその汗だらけのお身体と皺のよったお衣装をどうにかなさいませんと」


 そこではじめてテマが片手に抱えてきた衣装の束を見つけ、アマキはため息をつく。

「またそれ?」

「そうでございますよ。さ、お脱ぎになって」


 テマにすばやく服を脱がされ、裸の胸にさらしをぐるぐると巻いていく。最近は特にきつくなった。

 テマに言わせれば、アマキの胸が前よりまして育ったから。剣術の指南で筋肉はついたけれど、やっぱり自分の体は丸い気がする。

 こんなにも必死に稽古して、勉強して、頑張っているのに。


「はい、できましたよ」

 テマの出した着物は美しい藍色で、波のような銀縁の模様がところどころに描かれているもの。鏡台の前に立つと、アマキの小豆色の髪によく馴染んで見えた。

「テマ、ありがとう」

「いいえ。タカトヲどのに、ご迷惑をおかけするんじゃございませんよ」


 頷いて、縁側に駆け出る。ふわっと頬を撫で行く冷えた風に目を細めて、アマキはタカトヲの姿を捜した。


「あ、」


 ぱっと――黒に近い群青の、無地の着物が目の端に映りこむ。


 地味だけれど、きれいな色。彼の薄い色の灰髪を引き立たせるのに、これ以上のものはないほどに思えた。

 屋敷のほうに背中を向けて、なにやら庭でも眺めているのだろうか。庭に植えられた梅の木々は、すでに葉を落として寒そうだ。唯一情感があるとすれば、その裸になった木枝を包み込む雪化粧ぐらいなもの。


 きりと伸びたしまりのいいその背中を見つめて、アマキは笑む。今はぼんやりしているはずなのに、そうは見えない。いつもどこかで弛緩を許さない背中だ。

 今すぐ跳んで行きたいけれど、冬場は履物を縁側に置かない。タカトヲの元へ降りて行くには、表にまわって履物を履いてくる必要があった。


 ――だがきっと、タカトヲがここにいられるのは一刻とてないはずだ。アマキは思い切って裸足のまま、雪の積もる庭に跳びおりる。


「タカトヲ!」

 大好きな人の名を呼んで、アマキはその大きな背中に飛んでいった。



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