あしおと
──ヒールの音というのは存外に響く。
それは人通りが殆ど無くなった住宅街であれば尚更の話で、遅い帰りになったのだろう女性の足音が聞こえてくる。静かな夜の街並みに物悲しさすら滲ませて響くそれを、おれは何も考えずに聞いている。
この辺りは街灯がめっぽう少ない。とはいえ、住宅街のど真ん中に煌々とした灯りがいくつもあるのはそれはそれで不自然だし、おれは特に気にしたことはないのだが。
しかし、この時はふとそれが気になった。冬の只中、陽が堕ちる時間は日に日に早くなっていく。もう10時にもなろうかというこの時間では月の灯りだけが頼りだろう。もっとも、その月明かりも今日は雲によって陰っているのだが。ふとそのことに気付いてしまうと気になって仕方がない。何をするわけでもないのだが、部屋から外を見下ろした。
おれの部屋の窓は住宅街を結ぶ通りに面している。ぼんやりと見下ろせば硝子に映りこむおれ自身の姿の裏っかわに暗い暗い裏通り。 相変わらず灯りは無い。その中に響くヒールの足音。
かつん、と乾いた音。一歩、また一歩、足音が通りを進んでいく。足音だけでも意外とどのあたりを歩いているかはわかるものだな、などと考えながら本の頁を繰る手を止めた。
かつん、かつん。今は三軒ほど離れたあの黄色い家の前だろう。住人の幼い子供が落書きだらけにしたブロックの塀の前を通り過ぎて、硝子でお洒落にデザインされた玄関の扉の前を横切った。そうして隣の薄桃の家の前を通っていく。
かつん、こんなに響く音を立てるヒールの靴とはどんなものかしら。何故だか脳裏には闇夜に映える真っ赤なハイヒールしか浮かばない。ああ、もう間もなくおれの部屋の前を横切る。
何の気なしに目を凝らすけれど、部屋の灯りが移したおれの姿が邪魔をして外がよく見えない。やっとこさ視界にとらえても、暗すぎてどうにも赤いヒールは見えなかった。
そうこうしているうちにヒールの足音は遠ざかって、消えて行ってしまった。この通りを曲がってしまったのだろう、大変残念ながら。
まあいいや、と息を吐いておれはもう一度、読みかけの本の文字列に目を移した。
まあ、きっと気のせいだろう。この通りに曲がり角なんてなければ、この先は袋小路になっていて、おれの家の先に家なんざないのだから、足音がこの通りに響いていたなんて。
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