噺屋『化猫』怪奇譚

猫宮噂

白昼夢

 セミの鳴き声をBGMに見上げた空は抜けるように青い。コンクリートの黒い色は熱を集めて空気を歪め、吹き抜ける風は生温く、駅舎の人がいない事務室に下げられた風鈴が時折鳴り響く。

──ああ、どうしようもなく夏だ。

 祖父母の家に向かう田舎の駅で、来ない電車を待ち続けながらそんな当たり前の事を思う。

 わかりやすくド田舎にある祖父母の家に向かうにはここで一度電車を乗り換えねばならない。しかしまた、この電車というのがなかなか来ないのだ。かれこれ電車を降りて1時間は経過しようというのに俺がまだこのホームにいる時点でお察しである。普段は嵩張るしか能がない、無暗むやみとでかい水筒がこの時ばかりは役に立つ。

 しかし、いい加減に思考力が死滅しそうだ。なにせ暑い。ひさしすらない無人駅で、壁の落とす小さな影に縮こまっているのにも限界がある。人は暑さでも死ぬ脆い生き物なのだ。


 ふ、と。

 一瞬だけ陽射しが強くなる。ぎらりと光る陽光の白。その眩さに目を瞑った、刹那。

 目を開いたその時に、いつの間にか俺の隣を陣取る影がいる。

 どう考えてもおかしいそいつ(男だ)は、俺と同じ年頃のようだった。というのも、その姿がどこからどう見ても学生服としか言いようのないものであったからである。

 ただ、そいつはいきなり現れたことを抜きにしてもやはりとしか言いようがない。だって普通ならばありえるわけがない。

 何せそいつは、このクソ暑い最中に黒い姿涼し気な顔をして立っているのだ。

 どう考えたっておかしい。頭がいいとは言えない俺の足りない言葉ではそう言うより他にない。その男は全てがおかしいのだ。

 呆然とする俺に気づいているのかいないのか、そいつはじいっと線路の続く彼方を睨んでいる。口さえ開かないその姿はやはり異様だった。

 そいつは動かないし、俺も動けない。そうして俺だけがそいつに注視しているその妙な均衡状態の中で、はたと、遠くから電車の音が聞こえた。時間的に急行電車でこの駅には止まらないものだが、そいつは何故かそれを待ち侘びていたかのように一瞬だけ顔を綻ばせた。

 がたんがたんと不愉快に重たい音を立てて通り過ぎようとする電車。その眼前。そこに、そいつは身を投げ出した。

 まるで何か素敵な場所へ駆け出すような、そんな表情を浮かべて。

 一瞬のことで何が起こったか理解ができなかった。清々しい笑顔でそいつがやらかしたとんでもないことが分からなかった。

 ひどい音と血の匂いを覚悟した。あまりのことに目を瞑ることすらできなかった。

 けれど、その影は車体にぶつかろうかというその瞬間にふっ、と霞のように消えてしまった。まるではじめから何も無かったかのように。

 騒々しい音を立てて通り過ぎていく急行電車を呆然と見送ったところで、俺は思い出した。

 この急行が過ぎたら、俺が乗る電車がようやっとやってくる。

 ぼんやりとする頭に無理矢理理屈を付ける。きっと、夏の暑さで幻を見ていたのだろう。

 長く夏の陽を浴び過ぎたのだ。そう思えばふっと力が抜ける。花の置かれた駅のホームから視線を動かして空を見上げれば、いかにも夏らしいと言わんばかりに、入道雲がゆらりと立ち上っていた。

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