一目惚れ(2)

日曜日。普段なら家でだらだらしているはずの私はなぜか先輩に呼び出されていた。


「いや、なんでですか」

「……ごめん」

日曜、真昼間の河川敷で先輩は両手を合わせて謝る。

三十分前、『お願い来て』と位置情報つきのメッセージを受け取り、やってきたらこれだ。


先輩は例のあの人を見つけたらしい。

それでいて、勇気が出せず私を呼び出したという。


「もうちょっと寝てたかったんですけど……」

「それでもきてくれる牡丹ちゃん好き、ってほんとごめん!でもお願い!私が話しかけるとこ見てて!」

「小学生ですか……まあいいですけど」


で、どれが例の人なんだろう。

日曜の河川敷には老若男女がいる。土手で語り合うカップルに散歩をしているお爺さん。ジョギングをする女性。


そのなかで、一際目立つ人を見つけた。


……いーや、ちょっと待て。いやいやいや……え?


目を擦り、訝しげな目をその人へ向ける。


確かに美人だ。男女問わず彼女に惚れる人は多いかもしれない。その長身も彼女のかっこよさに拍車をかけている。


「もしかして……ですけど」

視線で訴えると、先輩は「うん」と顔を紅くして頷いた。


顔には出さない。あくまで顔には出さないが口から盛大に吐き出したい空気を少しずつ抜いていく。


世間は意外と狭い、なんていうけれど。これはないんじゃないか神様。


私は視線の先で、メモ帳を片手に立っている椿さんを見て、肩を落とした。


……さてどうするか。まあ、でも止める理由もないのが困ったものだ。


「行ってきたらどうです?」

「うぅ~、やっぱ緊張する~」

「当たって砕けろですよ」

「砕けちゃダメだよ!……お腹痛くなってきた」

「はいはい。これを逃せば二度と会えないかもしれないんですから」


ぽん、と先輩の背中を押す。

軽い先輩は一歩前に出て、むぅと頬を膨らませて私を見た。


だが、意を決したようだ。

深呼吸をして、椿さんへ向かっていく先輩。


すると一陣の風が吹いた。

そして数秒後、思わず天を仰ぎ見る。


たぶん、椿さんは理由もなく右を見ただけだ。もしかしたら揺れる花が向いている方向へ視線を移しただけかもしれない。

ただその“ない理由”の先は私が決して見てほしくなかった場所。


____目が合ってしまった。



……どうしよう。

知らんぷり、はできないが目線を下げて手をあげる。これで事情を察してくれとは言わないが、勘の鋭い椿さんだ、もしかしたらなんとかしてくれるかもしれない。


……ダメだった。


椿さんが私に向かって軽く手を振る。


そんなことしたら先輩に……!


だが先輩は椿さんがこちらを見たことで完全に固まってしまったようだ。

ギギギ、とブリキのように振り向き、どうしようと視線で訴えかけてくる。


幸運だ。だがある意味、最悪の状況かもしれない。

板挟みの私にとっては延々と続く地獄じゃないか。


いやでも、まだ私が先輩に早く行ってくださいと言って急いでここから去れば。

必死に頭を動かす、だがそんなことも知らず無慈悲な声が河川敷に響いた。


「おーい!牡丹!」


椿さんは少し口元を緩めて、こちらへ歩いてくる。

先輩の表情が驚きと戸惑いに変わるのを見て、なんて日だと空を仰ぎ見るぐらいは許されるだろう。


____


「えーっと、二人の関係は……?」


昼下がりの喫茶店で、私たち三人は珈琲の匂いに囲まれて席に座っていた。

改めてといった風に先輩が首をかしげる。


「椿さんは私の叔母です」

ここまできたら隠す必要もない。

「牡丹の叔母だ。牡丹がいつも世話になっている」

「い、いえ、こちらこそ牡丹ちゃんにはいつも良くしていただいてて」


……ちょっと気恥ずかしい。


砂糖を入れた珈琲を飲みながら、俯きがちに二人を見る。

椿さんはいつも通り、先輩は……ああ、顔真っ赤だ。


しょうがない、助け舟とは言わないが笹船ぐらいは届けてやろう。


「先輩は椿さんを見かけて気になっていたそうですよ」

「気になる?」

「ええ、綺麗な人と言っていました」

「ちょっ、牡丹ちゃん!」

慌てた先輩の声に被さって、椿さんの控えめな笑い声が聞こえてくる。

椿さんのほうを見ると、小さく微笑んでいた。


……破壊力抜群だ。思わず私も閉口してしまった。

百合がよく言っていることを真似するならこうだ。


『顔が良すぎる』


「それは嬉しいな」


それを言語化するなら、ずきゅーんという感じだろうか。

先輩は胸を押さえて、前のめりになっていた。


「大丈夫ですか?」

「うぅ、尊みが深すぎる……」


何語?

おそらく先輩の好きなオカルト本から引用をしたのだろう謎の言語を呟く先輩。


ふと椿さんを見ると苦笑を浮かべている。


「ファンの女の子たち、何故か度々こうなるんだよね……」

「椿さんは自分がどれだけの顔をしているか自覚したほうがいいです」

「何か言った?牡丹」

「いいえ」


……先輩は、どうやら復活したようだ。

だが先ほど椿さんの言ったファンという言葉に首を傾げている。


ああ、そうか。

先輩は普段、アニメ以外のテレビを観ない、それどころかスマホを持っていてもネットはソシャゲかメッセージアプリの使用ぐらいしかしない。

ニュースはちょくちょく見るらしいが好きな作品のアニメ化などサブカルチャーによっている。

つまり、だ。

先輩はテレビのなかで活躍をしている椿さんを知らないのである。


「叔母さんは近衛 椿、小説家ですが最近は脚本家や女優などでも活躍してます」

「ふぇっ?じょ、女優さんだったんですか!?」

「ああ、気づいていなかったのか。本業はしがない物書きだけどね、よろしく」

「ふぁ、ふぁい!よろしくお願いします」


差し出された手を握って、嬉しそうだ。

そういえば、先輩って椿さんの本読んでなかったっけ。


「先輩、怪奇探偵シリーズ読んでませんでしたっけ?」


怪奇探偵シリーズ。

ある日惰眠を貪ることを生きがいとする探偵のもとに姉妹が訪れるそこから探偵の眠れないほど忙しい日々が始まった。

主人公である探偵とその相棒を勤める二人の姉妹。不可解な事件を三人が解決していく推理小説である。

著者は近衛 椿、私の叔母さんだ。


「え、うん……ベストセラーだったから気になって、そしたら面白くて既刊は全部読んだけど……って、え?まさか……」

「ははっ、読んでくれてありがとう」


少し照れくさそうに頬を掻く椿さん。


先輩は開いた口がふさがらないようだ。

その様子がなんだかちょっと嬉しい。


「あわわ、好きな本の作者でその上、憧れの人だなんて……ぷしゅぅ」


あっ、限界がきた。

蒸気が上がってタコのように茹った先輩。

先輩が再起不能になるのと、椿さんに電話が掛かってきたのはおそらく同時。


声からしていつもの編集者さんのようだ。

口もとを手で押さえながら、こそこそと話す椿さん。

会話に耳を傾けてみる。


「(あと、あと一週間待ってくれないか)」


「(そこをなんとか!?)」


「(えっ、牡丹に言う!?そ、それだけはやめてくれ!せめてあいつらの前ぐらいは理想の、わ、わかった明後日までには必ず!)」


……相変わらず尻には敷かれているようだ。


「お開きにしましょうか」

「あ、ああ。そうしよう。私も急な用事ができたからな」

「ほら、先輩行きますよ」

「うん……」


お会計を払おうとするが、椿さんの手でやんわり止められる。


「学生は安心して奢られとけ」

相変わらずのイケメンムーブだ……こうしてどれだけの男女を惚れさせてきたのだろう。


店を出ると外はすっかり夕焼けに染まっていた。

どうやら思っていた以上に長話をしてしまったらしい。


ぽけーっとした先輩を一人で帰すのは危ないと判断し、椿さんとは店で別れて先輩を家へ送り届ける。


「……ねえ牡丹ちゃん」

「はい?」

「なんだかごめんね、一目惚れって言ってたのに女の人で、しかも牡丹ちゃんの叔母さんで」

「今更ですか?」

本当に今更ですかだ。

まあ確かに図書室ではかっこいい人、気になる人としか言っていなかった。

同性だったことには多少驚いたしそれが叔母さんとなれば気まずいのは確かだろう。

だけど……


「いいんじゃないですか別に。椿さんだったことには驚きましたがね、あの人は昔から色々な人に好かれていましたからそういうものもあるんだなってのはちゃんと理解しています。正直他人の色恋沙汰なんて興味がないだけですけど」


『嘘つき』

誰かが、頭の中からそんなことを言った気がする。

確かに嘘だ。理解どころか当事者だからな。

でも、これは必要な嘘だ。いつか必要にならなければいいようなそんな嘘なのだ。


「牡丹ちゃんは優しいね」

「なんででしょう、最近よく言われます」

「だろうね」


ケラケラと先輩は笑った。

スキップのような足取りで私の前に出るとぴょんと振り返る。


「素敵な人だね、椿さん」

「私の自慢です」

先輩は仁王立ちをすると右手を私に向けた。

「私、諦めないから。猪突猛進で行くよ?」

「がんばってください。あの人の周りは手ごわいですよ」

「それは、牡丹ちゃんも含めて?」

「さぁて、どうでしょう」

「私に取られても知らないんだから!」

「がんばってください」

「親族の余裕むかつくー!」


夕焼けに照らされ、二人して笑った。

きっと椿さんは今頃、どこかでくしゃみをしている頃だ。


________


時刻は二十時半。

牡丹ちゃんと別れた私は自室で近衛 椿さんのプロフィールや写真を漁っていた。

サイン会の予定をカレンダーに書き込んだり大忙しである。


ぴろん。

すると滅多にならないスマホが鳴った。


差出人は……牡丹ちゃん?

珍しい。えっと、なになに?


『プレゼントフォーユーです』

贈られてきたのはプレゼントボックスだった。確か、アプリで使えるスタンプなどをプレゼントすることができるってやつだ。

タップしてみる。


『近衛 椿』を友だちに追加しますか?


……ふぇ?えっ!?


目を擦っても、そのメッセージが消えない。


ぴろん。

『タップすれば追加できますよ。許可はもちろんとってます』


いやいやいや、そうじゃなくって!そうじゃなくって!!!!!


ぴろん。

追加でドヤ顔をした不細工な猫のスタンプが送られてくる。


牡丹ちゃんのやってやったみたいな顔が目に浮かぶようだ。


うぅぅぅ、牡丹ちゃんのバカ!!!

思考能力の低下した頭で考え付く悪口を言いながら、人差し指を高速で突き出した。




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