彼女たちの事情

煙草臭さに目が覚めた。


私たちが住むタワーマンションの一室で紫煙を燻らせているのは、長身の女性。

私は軽く咳き込みながら、訝しげな目を向ける。


椿つばきさん。煙草を吸うならベランダで吸ってください」

「ああ、ごめんごめん」

私たちの叔母・・である椿さんは煙草を携帯灰皿に押し付け、ポケットにしまうとソファに腰掛ける。


「久々ですね」

「あー、だな。三者面談ぶりか。私がいなくて寂しかった?」

「百合がいるので全然」

「そっかぁ、学校どう?」

「楽しいですよ」

「へぇ」


微妙にだが、椿さんの口角があがる。


「やったじゃん」

「椿さんこそ仕事はどうなんですか?」


椿さんは小説家や演出家やら女優やら様々なもので活躍している。

近衛このえ 椿つばきの名を聞けば誰もがこの長身で美人な叔母さんを思い浮かべる。

だが私にとって椿さんは私たちの恩人だ。


数年前、両親が死んだ。

事業家と女優であった二人の死は瞬く間に日本中に広がり、その莫大な遺産や二人の娘をどうするか、そんな汚い話が耳に届く毎日。

そんなとき、私たちを引き取ると言ってくれたのが当時小説家としてデビューしたばかりの椿さんであった。


椿さんがどれだけ反対されたかも、恨まれたのかも知っている。

それでも守り抜いてくれた椿さんには感謝してもしきれない。


「そこそこかな。あ、今度クイズ番組でるよ」

「知ってますよ。百合と一緒に観る予定です。あ、そういえば書いてる小説のシリーズが1500万部を突破したらしいじゃないですか。おめでとうございます」

「そうなんだ?嬉しいな」

「相変わらず数字に興味はないんですね。新刊も面白かったですよ。まさかあんなトリックだったとは気づきませんでした」

「牡丹に気づかれないなら私も腕をあげたもんだな」


からからと笑いながら、また新しい煙草を取り出そうとする椿さんの手を制する。


「あー、ごめんごめん」

どうやら私たちがスマホを取り出すのと一緒で椿さんも煙草を取り出すのが癖になっているようだ。


「そういえば今日はどうして帰ってきたんですか?」

「最近なんか周りがうるさくてね」


椿さんは両手を使い、望遠カメラのピント調整をするようなしぐさをする。

またネタ仕入れに追いかけられているのだろう。


「人気者は大変ですね」

「大変だよほんと。たぶんバレてないと思うからしばらくこっちで仕事するけどいい?」

「いいもなにも、三人の家ですよ。ここは」

「そっかそっか、ありがとな牡丹」

くしゃくしゃと乱雑に頭が撫でられる。

抵抗の意思を見せるもそんなものは関係ないとばかりに椿さんの大きく冷たい手が私の頭を撫で続けた。


「そういや百合は?」

「まだ寝てるんじゃないですか」

「あいつ、牡丹より朝弱いよな」

「比較対象に私を出さないでください」


そんな話をしていると、のそのそと目が半分閉じている百合があくびをしながらやってきた。


扉を開けて驚いた顔で立ち止まる百合に椿さんは「よっ」と片手を上げる。


「朝から顔が良い……」

「ちなみに今は昼だけどな」


時刻は十一時過ぎ、起きるには遅すぎる時間だ。

百合はいつものように櫛を持ってこちらへやってくる。どうやら最近の日課に椿さんの有無は関係ないらしい。


ソファに背をくっつけて両足を広げて隙間を作る。

百合はその隙間に腰掛けて私に櫛を渡した。


髪整えてのポーズである。


「悪化してんなぁ」

「寝ぼけてたらいつもこんな感じです」


髪を整えてやると目を覚めてきたようで、百合は隣でノートPCを開く椿さんの姿を見て何度か首を傾げると頬を引っ張り、すすすと私の隣に移動した。


あ、耳まで赤い。


「……しにたい」

クッションで顔を覆い、物騒なことをつぶやく百合。


「いいじゃないか、姉に甘えるのは妹の特権だぞ」

「椿さんがいるのが問題なんですよぉ……」


唸るようにクッションから真っ赤になった顔が覗かせる。


「ははっ、かわいいねぇ百合は。あ、もちろん牡丹も」

「知ってます」

「相変わらず可愛げがないな」

くしゃくしゃと私の頭を撫でる椿さん、その顔はどこか楽しそうだ。


「久々にどっか遊びにいかないか?ドライブでもいいぞ」

「私は予定ないんで大丈夫ですよ」

「あっ、えっと私もです!」


遊びに、か。

帰ってきたと思ったら直ぐにとんぼ返りするほど多忙な椿さんだ。三人で出掛けるなんて何年ぶりだろう。


「よ、用意してきます!」

百合が嬉しそうに小走りで自室へ向かう。

私も用意をするために部屋に戻った。

いつもは足音が響かない家に足音を響かせながら。


服装はいつも通り、ラフなものにした。

白のパーカーの上にGジャンを羽織り、下はジーンズを履く。

切りに行くのがめんどくさく、妹に切ってもらったウルフカットの髪を整えながらリビングへ向かった。


二人は既に準備完了といった風にソファに座っていた。


百合はカジュアルなラウンドネックのワンピースだ。

落ち着いた色合いが百合とマッチしている。


椿さんは相変わらずジーンズに黒のロンT、上から深緑のモッズコートを着ている。容姿と相まって、なんというかその……かっこいい……


「牡丹の服装はいつ見てもかっこいいな」

「そうですか?なら見本がいいんですね」

「見本?好きなモデルとかいるのか?」

「別に」


百合がくすくす笑ってる。

そして椿さんになにやら耳打ちを……っておいやめっ!


にんまり。


椿さんの口が弧を描いた。


「へぇ、あこがれ、あこがれねぇ」

「う、うるさい!うるさい!」


顔が熱い。火を噴きそうだ。

くしゃりとせっかく整えた髪に手が乗せられる。


「嬉しいよ、牡丹」

「ほんとずるいですよぉ……」

意図せず尻すぼみになっていく言葉。

かけられた言葉が私の顔をさらに熱くする。


「は、はやく行きますよ!」

「ああ」


手から逃れるように、駆け足で玄関へ向かう。

背後から聞こえる返事と百合のころころとした笑い声。


扉を開けると差し込んでくる眩い光に、今日このときだけは感謝しなければならない。


言い訳はこうだ。


暑苦しい太陽が私の顔を赤くしたんだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る