第29話 結婚と臣民

 慌ただしいと言えば慌ただしい。そんな日々が過ぎていった。


 ラートリンドの両親に便りを出し、新たに使用人を雇い入れた。


 新たな使用人は、お手伝いの女と、屋敷の警備を兼ねた雑用の男。どちらも気のいい若者が見付かった。


 お手伝いの女はサラーマリディア、サリーと呼ばれている。サリーは早速ラートリンドに料理を仕込まれている。


 雑用の男は、タマロンカラト、タミーと呼ばれている。タマロンと呼ぶ者が多いそうだが、同時に雇ったサリーと語韻ごいんが近いという理由でタミーと呼ぶことにした。タミーはあまり仕事がないため、キーリスに剣の手ほどきを受けている。それでも時間を持て余すため、自ら門に立つようになった。


 問題もあった。


 屋敷で一切魔法が使えなくなった事だ。もともと生活に活用する事は無かったため、イシュトバルトが日々の暮らしに困る事は無かったが、せっかく覚えた魔法で火を点ける事が出来ないとラートリンドがひどく残念がった。


…………

……



 イシュトバルトにも誤算があった。カリエだ。大聖堂の大広間で式が執り行われる事となったのだ。国王に対し場末の教会に臨席賜る訳にも行かない。


 千人を収容できる大広間には、しかし数える程の人数しか列席していない。


 王は国を挙げて祝うのだと言い張ったが、イシュトバルトはそれだけは勘弁願った。


「俺もラートリンドもそんな年じゃないだろう」


 そう言うと王は引き下がってくれた。


 イシュトバルトは巨大な広間に僅かな人数ならば、侘しい式になると考えていたが、さすがは大聖堂、厳かに式は進む。むしろ人の少なさが厳かさを強調する。


 司祭が祈りを述べても、その声は巨大な空間に吸い込まれ、むしろ静寂を感じさせた。


 まるで神話の中に入り込んだような錯覚を覚える程の厳かな雰囲気に包まれる。


 純白のドレスを纏ったラートリンドと純白のマントを羽織ったイシュトバルトが司祭の前に進み出る。


…………

……




 式は恙なく進行し、最大の山場を迎える。


 司祭が何事か呟くと、天井から光の柱が煌きながらゆっくりと下りてくる。


 光の柱は、二人をを包み込む。


 これが出来なければ、教会で司教に任命される事は無い。神の光に包まれ、天の祝福を与える。それを誰の目にも明らかな形で表現する。


 ちなみに、イシュトバルトはこの魔法を再現することが出来ない。どういう理屈で何が光っているのか分からないからだ。不思議な光なのだ。だからと言って、神の威光に畏まる、という事もないが……。


「ラーティ」


 光の中で、イシュトバルトは昔の呼び方でラートリンドを呼ぶと、ラートリンドはやや頬を染める。


「これからも宜しく頼む」


「はい」


 軽く唇を合わせる。


…………

……



 光の柱が弾け、手を繋いだ二人が再び皆の前に姿を見せる。


「祝福が下された。これより二人は夫婦となる」


 司祭がそう告げ、式は終わった。


…………

……



 結婚式は終わったが、全てが終わったわけではない。


 続いて臣民の儀が執り行われる。


 何十年も前の忘れられた儀式なのだが、カリエが面白がって、マンマルに儀式をやると言って聞かなかった。だから、特に意味のあるものではない。参列者を少数に絞り込んだ代わりに認めざるを得なかった。


 もっとも、いざ決まってしまうと、それも一興…、と面白く思うようになっていた。


 サキマームに名前を呼ばれたマンマルが王の前に進み出る。堂々とした歩みだ。緊張など欠片もない。緊張するような社会経験が全くないのだから、当然なのかも知れない。マンマルは相手が王だとて物怖ものおじする事は無い。もっとも、イシュトバルトの屋敷に遊びに来る王なのだが。


 別に緊張して転んだりすることを期待した訳でもないが、イシュトバルトはそれが少し面白くなかった。


 まるで自らが王侯貴族の如くに堂々と王の前に進み出て、膝をつく。下げられた頭はすぐに上げられ、王を見つめる。


 他国であれば、下手をすると王と目を合わせるだけでも不敬であると咎められる場合もあるが……。


(教えといた方がいいかなぁ)


 などとイシュトバルトは考えていた。


「王より剣が下賜される。謹んで拝領せよ」


(サキマームの方がマンマルより緊張してないか?)


「これより其方は、王国臣民イシュトバルト・リルムイーデンの長子となる。よって其方もまた王国臣民の一人である」


 王がチラリとイシュトバルトを見た。


(えっ…)


「汝、リート・マンマル・リルムイーデン、王国にその忠誠を捧げる事を誓うか?」


「誓います」


「ならば誓いの証として剣を授ける」


 剣と言っても短剣である。長剣であれば近衛任官の儀と混同されてしまうからだが、元々は王国の黎明期に農民に鋤や鍬が与えられたのが始まりである。


 マンマルは教えられた通りに両手で短剣を受け取った。


 しかし続けて、その短剣を鞘から抜き放つという暴挙に出た。


 誰もが慌てたが、王の横に控えるサキマームの驚いた顔は特筆すべき物であった。


 マンマルは、冷静に短剣を確認すると、鞘に納めてニッコリと笑った。


「ありがとう」


 皆、毒気を抜かれた。


「だはははは……」


 王は笑った。腹の底から本気で笑っていた。


 笑い出した王につられて笑い出す者、安堵の吐息を吐く者、周囲の者の反応は様々であったが、幸い咎める者はいなかった。


(この王で良かった……)


 イシュトバルトの顔にも汗が噴き出していた。


 マンマル改め、リートは周りの様子に首を傾げながらも、やはり堂々と歩いて戻ってきた。


 ……。十年前、イシュトバルトは妻と子を失った。


 母ハーテスラムの胎の中で、生まれる事無く母と共に世を去った、その子に与えるつもりであった、古の光を表す言葉、は、今、マンマルの新たな名となった。


 リートは初めて照れる事を覚えたのか、イシュトバルトの腰にしがみ付いて、そのマントに顔をうずめた。


 イシュトバルトに優しく背中をさすられながら、リートの頬は濡れていた。

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