第26話 厨房にて
「マンマルは………」
「また森か……」
「旦那様があんな話をなさるから…、当然ですわ」
「ん?」
「何年も草を斬り続けたお話です。あんな話をすればマンマルが真似をしない訳が御座いません」
「そんなものかな?」
「マンマルは旦那様が大好きですから」
「生まれて初めて出会ったのが俺だし、他に誰もいなかったからな。卵からかえった鳥の雛は初めて見た物を、何であれ、親と認識するらしいしな」
「…………」
(何か怒らせてしまったか?)
「そんな問題ではありません。旦那様だから好きなんですよ、マンマルは…」
ラートリンドはお茶を食台に並べる。
(『座れ』と言う事だな……)
イシュトバルトは椅子に腰を下ろす。
「そんなものかな…」
「そんなものです」
「しかし、マンマルは既に魔法が使えるのだから、剣を振り回す必要などない事は本人も分かっているはずだがなぁ」
「魔法のためではなく、イシュト様と同じ事をやりたいんです。旦那様は、誰かに憧れたりした事は御座いませんか?」
「憧れ………か……、尊敬する者ならば幾人か思い当たるが……。憧れと言うのはピンと来ないな」
「イシュト様なら……無理もないのかも知れません…。幼い頃よりイシュト様には簡単には乗り越える事の出来ない遥か高みにある存在、いつの日か肩を並べたい存在、その様な人に巡り会った事が………やっぱり、ないのでしょうね。イシュト様から見て、その様な者がこの世にいるのかどうか……」
「そう言われて、悪い気はしないが、いくらなんでも買い被り過ぎだ」
「この国には賢者の号を持つものはイシュト様しか居りません。少なくとも、周囲の者に賢者と持て囃される市井の賢者ではなく、王に認められて号を授かった者は…」
「あれは偶々俺の水路の着想が王の耳に入って、うまく行っただけだ。ラートリンドも水を桶に移す時に腸管を使うだろ。あれを大きくしただけの物だから、本当に大したものじゃない」
「ですが…」
「俺が自信をもって人より優っていると言えるのは、まずは好奇心だ。幼い頃からとにかく何でも知りたがった。誰よりも知りたがりだった。それと、納得するまで諦めない事だな。何日でも、場合によっては何年でも考え続ける。この二つだ。それは今でも全く変わっていない。その結果が今の俺だ。俺よりも物分かりの優れた者は幾らでもいる」
「本気で
「唯、諦めが悪いだけなんだがなぁ。それに、俺が敵わないと思う奴なんて幾らでも……、例えば、俺はラートリンドの料理の腕には絶対に敵わないし、だからラートリンドを尊敬してる」
「そ…それは……、ありがとう御座います。ですが、旦那様はそもそも料理の腕を競おうと思っておられませんよね?」
「あっ…確かに、その通りだ……。まぁ、俺の事は置いといて、マンマルなんだが…その……、俺の養子にしようかと思うんだが、どう思う?」
「まぁっ!素晴らしい事だと思います。マンマルもきっと大喜びですわ」
(マンマルは家族なんてよく分ってないと思うが……、しかし、これは口に出さないほうが良いだろうな…)
「それで、ラートリンドに頼みがあるんだが…………その……」
「何でしょう?」
「その……マンマルの……」
イシュトバルトは大きく息をついて、心を決める。
「マンマルの母になってもらえないか?」
「もちろん、わたくしはずっとマンマルは自分の子供と思っ…て……接して………えっ…あ、あの……すみません、わたくし、あの、何か勘違いしてしまって……あ…あの…」
「俺の妻になってもらえないだろうか……」
「え……あ……そん……」
ラートリンドは何かを喋ろうとする。何かを話さなければならない、そんな気がして言葉を探すが、言葉が見付からない。
ラートリンドは黙って涙を流し始めた。
「ハーティ姉さんは許してくれるでしょうか……」
「許すも何も、きっと喜んでくれる」
ラートリンドの姉、ハーテスラム・サレト、ラートリンドとは互いに、ハーティ、ラーティと呼び合っていた。とても仲の良い姉妹だった。
そして、ハーティは十年前にイシュトバルトの子を身籠ったままこの世を去った。
いつ思い出しても、何年経っても胸の痛みは変わらない。
姉のやり残したことをやると言い張って、ラートリンドがイシュトバルトの身の回りの世話をするようになった。
それから十年……。
「ハーティには、あまりかまってやる時間がなかったが、その分もお前を大切にしよう。もっとも、暮らし向きはこれまでと特に変わる事は無いだろうが……。俺は旅を続けるし、お前は長く留守番することになるだろう。それでも…」
「末永く宜しくお願いいたします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます