第22話 三傑

「もう少し早くに気が付いていれば、他の対応もあったと思うのですが……。不調法ぶちょうほう故、あの時は他に何も思い付けず、行幸の場で騒ぎを起こしてしまいました」


 キーリスはシャツの胸紐を緩め左肩を露わにしていた。王はすでに疑いを持っていなかったので胸を見せろと要求する事はなかったが、イシュトバルトが見たがったためだ。


 肩から拡がった巨大な瘢痕が残っていた。


 およそ二十年も前の事であり、その色も赤みは抜けて、それ程目立つ物ではなくなっているが、胸から背中にまで達している。


「そんな事は無い。まさに英雄的行為だ。それにあの時は、キーリス殿のおかげで本来の騒動に気が付いた者はいない」


 王に対する暗殺が実行に移され、しかしその場の誰もそれに気づかず、暗殺は未遂に終わったのだ。望みうる最上の結果と言える。


「しかし、よく生きてたなぁ」


「矢は革の肩当てでほとんど止まっておりました。幸い肌には刺さったというより触れただけのような状態でしたので…」


 イシュトバルトは舐める様に瘢痕を観察している。


「触れただけで、これ程の効力がある毒だったのか…。ここだな。ここで矢を受け……そして毒が周囲の肉を溶かすように拡がって………それが心臓にまで至るようであれば……」


 生きてはいられなかった、と言う言葉は飲み込んだ。


 王がまた涙ぐんている。


に下る際に上より賜った薬草が大変よく効きました」


 キーリスは、一月ひとつきに渡って生死の境を彷徨い、一時は倍程に腫れ上がった肩が普通に動かせるようになるのに二年を要し、未だに重い物を持つことができない。が、もちろんそんな事を口にするつもりはない。


「今もこうしてお元気でいられる事、本当に宜しゅう御座いました」


 ラートリンドも涙ぐんでいた。


「興味本位で済まなかった。仕舞ってくれ」


「はい」


「キーリス怪我した?」


 偶々部屋へ飛び込んできたマンマルが驚いている。


「いえ、ずいぶん昔の唯の傷跡ですよ。今は何ともありません」


「そっかぁ、驚いた」


「キーリスさんは昔、王様の命を救った王国の英雄だったのよ」


「あれっ、王様だ。こんにちは。……あぁ、サキマームさんのところでキーリスを見て驚いてたのは、それでかぁ」


(こいつ…、目の前に王がいる事には気が付かないくせに、あの一瞬の表情の変化にはしっかり気が付いていたのか)


「キーリスは英雄だったの? じゃあ、英雄と王様と賢者が並んで一緒にいるね。すごいよね」


「あら、本当にそうね。すごいわ」


 マンマルとラートリンドの様子を見て微笑んでいたキーリスが真顔になり、王に向き直る。決死の覚悟を思わせる表情だ。


「お叱りは覚悟のうえで申し上げます。イシュトバルト様にはわたくしの身の上を打ち明けております」


「ん?……そ…そうか、だがイシュトならば問題無い…だろう」


 命の恩人、と、いつまでも王が謙るのも、かえってキーリスに気を使わせると思った王は、できるだけ普通に話そうと努めた。最初に王である自分を唯の友として振舞うように要求したのが他ならぬ自分であったのだ。


「?………あ…、あの、わたくし、掟を破り身の上を明かしてしまいました」


「掟破りか…、それならイシュトの前でキーリス殿の事を話してしまった俺も同罪だなぁ」


「処罰は…その……」


「ん? 処罰か……。自分を罰するのも、命の恩人を罰するのも俺には無理だから、草の掟の事はこの際忘れてくれるとありがたいのだが…」


「………」


 生真面目なキーリスは王の言葉をすぐには理解できなかった。信賞必罰は当然のことであり、掟破りが発覚した以上罰が下されるのは疑いようのない現実であるはずだった。そして、草がその身の上を明かすというのは、王国の秘中の秘を明かす事と同義である。当然極刑もありうる重罪であり、幼き頃より、その身に叩き込まれた掟である。


 キーリスにとって、イシュトバルトと共に旅をするというのは叩きこまれた草の掟よりも大切な事だった、という事も意味しているが。


「カリエは…、この国の王はこんな奴だ。王が気にするなというのだ、何も気に病むことはない。王が法だからな。それに、王がここに居ることも公にはできないし、どうしようもないだろう」


「その通りだ」


 イシュトバルトは褒めたつもりではなかったが、王はなんだか誇らしそうに、嬉しそうに笑っている。


 キーリスは返答に困るが、王はあえて気にせず、俺に問いかけた。


「それにしても、お前、王国の暗部の事を知っていたのか?」


 王の心中ではキーリスの処罰のことはすでにけりが付いたらしい。


「いや、噂に聞いた事があった程度だ。キーリスが宿屋の主人にしてはあまりに洞察に優れていたんで、何者だって思って、つい……、なっ…」


 無理やり口を割らせたとは言い難い。


「ほう、イシュトバルトを唸らせるか。さすが英雄…」


「ところで、カリエ様?」


「ん、なんだ?」


「お食事はどうされますか?」


「おぉ、そうだな、久しぶりに馳走に与ってもいいか?」


「構いませんとも。今日は腕を振るいたい気分ですから」


「あぁ、もちろんだ。ラートリンド、頼む」


「畏まりました」


 いつもは如才のないキーリスが所在無げに、成り行きを見ているが、もはや誰もキーリスの処罰など気にしていなかった。


 王が真顔になって、イシュトバルトに尋ねる。


「それじゃ、非実領域について続きを聞かせてもらえるか?」


「分かった」


 イシュトバルトも真顔で答えた。


 非実領域。ザーラ・クアト周辺域、この命を継げぬ領域を王はそう名付けた。この領域の異変に関して、謁見において原因はわからぬと答えた事にはもちろん嘘はない。


 しかし、そこに至るであろう端緒は、実は見つけてある。


 まだ、端緒でしかないが…。

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