第20話 訪問者

 イシュトバルトと王は共ににやりと笑いながら手を握った。


「大変な旅だったと思うが、息災で何より」


 王が労う。


「師匠は止めろよ」


 イシュトバルトが言うと、「あはは…」と王は笑いだす。


「あら、王様。今日旦那様が伺ったはずですのに…」


 お茶のお代わりを運んできたラートリンドだが特に驚いた様子もない。


「あぁ。だが、あちらではできない話も多くてな。早速だが、俺がこちらに足を運んだ」


「面倒です事…」


「全くだ。それと、気になることがあってな…。キーリス殿…」


 ラートリンドは気にせず厨へ戻っていった。


 突然の王の訪問に口を開けて固まっていたキーリス、自らの名を呼ばれて慌てて膝をつこうとするが、王が制止する。


「ここへ来るのはお忍びという奴だ。ここでは俺はイシュトバルトの唯の友、唯の客。そのように扱ってくれると嬉しいのだが」


「畏まりました」


「いや、畏まらないでくれ…」


「ふっ、急に言われても、すぐには無理だろう。初めてお前が来た頃は、俺もラートリンドも随分焦ったもんだ。お前も覚えてるだろ」


 イシュトバルトが言うと、王も素直に応じる。


「そうだな……。だが………、キーリス殿…」


「はい、何でしょう」


「ここへ来る道すがら、色々考え、この家の者なら何を知られても構わぬと判断した。決して恥をかかせるつもりはないが…、キーリス殿、胸を見せてくれないか?」


「胸を…?」


 呆けるキーリス。が、刹那の後、自らの胸に手を当てて続けた。


「……お気付きであられましたか…」


 再び膝をつこうとするキーリスだが、王がキーリスの腕を掴んで止める。


「やはり……、あなたが……」


 王の眼から涙が零れ落ちている。


「よくぞ生きていて下さった。命の恩人、それも自らの体を盾に身代わりになろうとしてくれた恩人のお姿を忘れられる訳が……。致死の毒を受けたことは間違いなかった…、しかし誰にも気取られぬよう足取りすら乱さずにひっそりと歩き去った英雄の後姿、この瞼に焼き付いております。よくぞ生きていて下さった。身を挺して我が身を救ってくれた御恩、やっとお返しすることが出来ます。心より感謝しております」


 興奮した王は捲し立て、キーリスの手を両の手で握り、膝をつく。


 さすがのキーリスも取り乱す。


「お、お止めください! 己の任を全うしただけの事で御座いますれば、決して礼には及びません。どうか頭をお上げください」


 王は、しかし、身動ぎもせず頭を垂れたままである。


「凡その見当は付いた。もう十分感謝は伝わっただろう。気持ちは分かるが、カリエ、キーリスが困ってる、頭を上げてくれ」


 イシュトバルトが助け舟を出すと、何故かキーリスが驚いてイシュトバルトを振り返る。何を驚いたのか、一瞬戸惑うイシュトバルトだが、キーリスにとっては大変な不敬だったのだろう。先程からお前呼ばわりだったのだが……。


 カリエストス・ディストラード・カムスール、キーリスの目の前で頭を垂れるカムスラード国王の名だ。この国の国王をカリエと呼ぶ者は非常に限られる。他には一人としていないかもしれない。しかし、この家では唯の友、そう本人が望むのだ。いつしか当たり前のようになっていた。


 そしてそのカリエはイシュトバルトの呼びかけにも答えず頭を垂れたままだった。


 無理にでも引き起こそうかと足を運ぼうとした時、カリエのためのカップを用意してラートリンドが部屋に戻ってきた。


「あら、カリエ様、キーリスさんと随分仲良しになられたのですね。何か、新しい遊びですの?」


 キーリスの手を握る王の姿を、さして気にする様子もなく、王のお茶を用意し始める。


「王様もお茶をどうぞ」


 今度は王が呆けた顔でイシュトバルトを見てから、ラートリンドに向き直る。


「い、いや、これは、その……」


「あ…あぁ、なんでもキーリスが以前王の命を救ったことがあるらしい」


「あら、そんな事が…」


「うむ。俺からすると英雄なのだ」


「まぁ…」


「いや、一国の王を救ったのだ。王国の英雄だな」


「そんな、英雄などと…、滅相も御座いません」


「キーリスさんはそんな偉い方でしたのね。ぜひ、ゆっくりお話をお聞かせください。みなさん、お座りになって…」


 すっかり我に返った王が照れくさそうに用意された席へと向かう。


 頬に垂れる涙の跡が不憫だ。

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