第19話 王と経済

「頭を上げよ。突然驚かせてすまぬ。調査の予定が立ったのなら聞いておこうと思ってな」


 頭を上げたキーリスの顔が王の目に映った刹那、王の目が見開かれる。が、サキマームに向き直った時、その顔に驚きは既に無かった。


 相変わらず、思い立つとどこにでも顔を出す王様だ、とイシュトバルトは内心苦笑いである。


 しかし、王はキーリスを見て驚いているように見えたが、キーリスを知っているのだろうか。


「はい。まず、カルドバへ向けて、早馬を走らせております。遅れて出発する輜重隊、測量隊の旅程に於ける宿泊施設の確保、拠点となるカルドバにて受け入れの準備及び物資の購入を指示しております。必要な物資は王都より輜重隊による運搬とカルドバにて入手する物で賄えると考えております。糧食等の物資の輸送はあと半時程で出発できます。ザーラから鉱石輸送の任に当たっていた者を召喚するよう手配しております。一両日中には測量官らと共に出発できるかと存じます。測量地点は街道の東にもう一点を設け四地点にて行います。測量官の出発に際し、わたくしも同行し、カルドバにて物資輸送の差配に務めたいと考えております。ご許可をお願いいたします」


「全権をお前に委任しておる。許可は必要ない。報告だけで良い。カルドバより先、あまり馬を急かすでないぞ。彼の地、非実領域にて馬を失えば、生きて帰れるとは限らぬ」


「はっ。胆に銘じて…」


「して、山を登る水路は納得できたか?」


 王は僅かに微笑みを浮かべている。


「はい」


「イシュトバルト殿の話は実に興味深かろう」


「仰る通りです。イシュトバルト様の知見には頭が下がるばかりです。この管による水路はまださらに利用する方法がありそうに思われます。例えば城内の厨房などに利用できないかと考えておりました」


 王とイシュトバルトは少し驚いて顔を見合わせる。


「……いや、既に計画はある。まだ余の胸の内だけの積もりであったが…。王都各戸にまで水路を巡らすのだ。この管の水路を用いれば決して難しい事ではない」


「なんと…そのような御積もりであられましたか。王都の民も喜びましょう。胸が躍るような計画ですが、施行に至っていないのは何か理由があったのでしょうか? もちろん、将来の危機が迫っている今となっては先に延べる必要もありましょうが、国庫も今なれば多少ゆとりもあったかと…」


「今は国を挙げてザーラに発する危機に対処せねばならん。が、そうでなくとも国庫にゆとりのある今なれば、実施してはならんのだ。サキマーム、何故今、国庫にゆとりがある?」


「近年、辺境にて紛争も無く、天候も安定しており、農産物の収穫も毎年前年を上回っております。年貢も滞る事なく納められておりますれば…」


「うむ。今の民の暮らし向きは一年前と比べても違いは分からぬが、十年前と比べれば明らかに豊かになっておる。市井に於いて物の価格が幾分上昇しつつあり、年々歳入が増えておる。これは個々の民の収入が増えているという事でもある。民が日々働き禄を得、得た禄で物を買う。そう言った民の商活動、経済と呼ぶが、これを国全体で見た時、安定ではなく成長しておるのだ。成長は歓迎すべきであり、当然そうあるべきなのだが、政を担う者は過度の成長に留意する必要がある」


「過度の成長ですか…」


「うむ。どこの国においても百年に一度程、過度に商活動が活発になり、過度に成長することがある。その様な折、民の多くは、何かおかしい、いつまでも続くわけがないと自らの置かれている状況を訝しむそうだ。しかし、売れる物を売らないという選択肢も無い。おかしいと感じながらも活発な経済は続く。活発な経済は物の値を押し上げる。その様な状態が長く続くと、やがて最悪な兆しがみられるようになる。自ら使用するためでなく、値上がりを見越して転売目的に物を買うようになるのだ。それによりさらに物の値は上がる。そして、何かのきっかけで突然に物が売れなくなる。皆が何かおかしいと感じているのであれば、僅かなきっかけで一斉に物の購入を控えるのも当然と言えば当然の成り行きだ。そして市場は一転して不況となる。そうなると民は将来に備え、金を貯え、物を買わなくなり、不況はさらなる不況を呼ぶ。国全体が暗澹たる状況となる。その結果、数年から十年程で回復する事もあるが、結局、回復叶わず、民が離散し、滅んだ国もある。不足する歳入を他国から奪う事で賄おうとし、戦乱の世を招くことすらある」


 王は続ける。


「王府の責務と言うのは民の安寧に務める事、この一言に尽きる。なればまず、他国による脅威を排除する事が第一義となろう。そして、経済の変動は国を亡ぼす事すらある。であれば、これを御する事が政を担う者にとって国防に次ぐ責務、常に国の経済の安定を図らねばならん。国庫は王家の財産ではない。民からの預かり物だ。しかし、これを余裕がある時には民へ還元し、あるいは余裕がなければその維持に汲々とするというのは、一見当たり前のようだが、それでは経済を御することは叶わぬ。むしろ逆効果となる」


「国庫が潤っている時にこそ引き締めねばならぬと…」


「そうだ。経済が活発であれば、国庫も余裕ができる。そこで、余裕があるからと、大事業でも行えば国庫から市井に莫大な金が流れ、経済はさらに活発になり、加熱する恐れがある。したがって、金山が見付かった等という特殊な理由も無く、国庫が潤う時にはむしろ税を上げ、官府による事業は慎まねばならん。逆に、戦費が嵩んだと言った理由もなく、経済の低迷により国庫が不足するような時こそ税を下げ、あるいは官府が負債を負ってでも事業を敢行し、市井の経済を刺激する必要がある。それにより経済は回復し、やがて国庫も回復しよう」


「官府の歳出は当然この国で最大、王国全体の四分の一に達します。その為、その…経済ですか…、経済に与える影響は極めて大きく、官府はその影響力を市井の経済が活発である時にはこれを抑制し、低迷している時にはこれを促進させるべく用いる。このような理解でよろしいでしょうか?」


 サキマームが問うと、王は満足げに笑みを浮かべる。


「良い。サキマームよ、そなたにはその塩梅を身に付けてもらわねばならん。これより十年、あるいは二十年の間、王国の舵取りは困難を極めるであろうが、どれ程の荒波であろうと乗り越えねばならん。その舵を取るのはそなたとなろう。頼むぞ」


「市井に対する深い洞察に感銘を受けました。身命を賭して承ります」


 サキマームは深々と頭を下げた。


「いや、これもイシュトバルト殿の受け売りなのだ。教えを賜った本人を前にこれを語るは照れくさい物だな」


 はははと、笑う王であったが、それを聞いたマンマルが真顔で尋ねた。


「王様はお師様のお弟子?」


「ん?…色々教えを乞うてはおるが…。イシュトバルト殿が認めてくれるならば弟子を名乗るにやぶさかではないぞ」


「いや、それはさすがに…」


 この人なれば、全てを教えたい気持ちがイシュトバルトにはあるが、王なれば絶対に伝えてはならない秘密もある。そして、王との付き合いに満足しているため、現状に変化を加えたくない気持ちもあった。


「残念だが、断られてしまったな。ところで、今お師様と申したが、イシュトバルト殿は弟子を取られたのか」


「突然に三人も…。こいつがマンマル、そちらがキーリスです」


 イシュトバルトは二人を紹介して、続ける。


「もう一人はラートリンド…」


「おぉ、ラートリンド殿も…。そうか、それは良かった。イシュトバルト殿の知を受け継ぐ者が何としても必要だと気に病んでいたのだ。お喜び申し上げる」


「ありがとうございます」


「では、随分話し込んでしまったな。余はこれで引き上げるとしよう」


 王は来た時と同様突然立ち去っていった。


…………









「王様のご機嫌は如何でしたか」


 王城から戻り、持ち帰った荷物を整理して、漸くラートリンドの淹れた茶を飲みながら寛ぐ。やはり緊張していたのか、疲れたようだ。


「いつも通り気の良い王様だったが、さすがに今回は最悪の報告に上がったからなぁ。かなり慌てたと思う。たぶんそのうち…」


「あぁ、思った以上の最悪だった、お師匠様」


「お、来たか、国王陛下様」


 本日三度目となる、国王との御目文字であった。

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