第18話 会合

 王が玉座を立ち、官吏たちの質問に一通り答えると、サキマームが声を掛けてきた。


「イシュトバルト様、少しお時間を宜しいでしょうか?」


「もちろん」


「では、わたくしの部屋へ」


 サキマームと並んで扉に向かうと、扉の横にはマンマルとキーリスが控えている。


「こいつらも一緒にいいか?」


「お連れ様ですか。もちろん構いません」


「マンマル、面白かったか?」


 頭を撫でながら訪ねると、こくりとマンマルはうなずいた。


「この小さいのがマンマルで、こちらがキーリスだ。これからも顔を合わせることがあるだろう」


「マンマルです。お師様の弟子です。よろしくお願いします」


「キーリスと申します。イシュトバルト様のお供をさせていただいております。お見知りおきを」


「年は随分違うがどちらも弟子だと思ってくれ」


「サキマームと申します。今後、何かとイシュトバルト様のお世話になる事になります。よろしくお願いします」


(官吏ならば貴族の端くれのはずだが、躊躇いなく平民に頭を下げたな…)


 イシュトバルト達はサキマームに導かれ彼の部屋へと向かう。


 部屋へ向かう間もサキマームの下役たちが歩み寄っては指示を受け、足早に去って行く。






 サキマームの執務室は随分と殺風景で、執務机と本棚、それに円卓を囲んで椅子が並べてあるばかりだった。


 話を聞きたいと誘われたものの、イシュトバルトにあまり話す事はなかった。サキマームはすでにカルドバへ向けて食糧、飼葉の輸送を即座に始めるように指示を出していた。イシュトバルト達がこうしている間にも、先発隊は出発しているかもしれない。さらに、ザーラから鉱石を運んでいた人夫を探し出して召喚するよう、測量官については心積もりがある幾人かの名前を上げて召喚するよう指示を出していた。人夫が街道を外れた地理にまで詳しい訳はないが、水の無い彼の地での移動に慣れた人夫の役割は小さくはない。


 カルドバから先の行程もサキマームの頭の中にはかなり詳細な見積もりが完成しているようだった。


 探し出した人夫を案内人とし、案内人と測量官、さらに補佐官三名から成る五名を一つの班とし、全四班から成る調査団を組織する。イシュトバルトが王に述べた三地点だけでなく、街道の東、ザーラの南東地点も調べる事となった。人員が揃った班から順次出発する。測量団の出発が多少遅れてもカルドバに到着するまでには輜重隊に追い付く。即座に測量地点に向かう事が出来るだろう。


 測量官は体力に不安があるため、現地到着後、生継限界線の調査は人と徒歩だけでなく、最小の荷馬車に最小の荷を載せ同行させる。場合によっては測量官を乗せて移動する事も可能だ。


 イシュトバルトは、問題ないかとサキマームに問われ、問題ないと答えるだけだった。


 王が全権を委任しただけの事はある。こいつに任せておけば問題ないだろう。飼葉の必要量も把握しているようだ。


「話を聞いていると随分馬に詳しいようだが、生まれは王都ではないのだったか」


 測量隊派遣計画の形が整い、一段落ついた時にイシュトバルトは尋ねてみた。


「はい、そのせいでイシュトバルト様の事をよく存じもせず失礼を致しました。もっとも、生まれたのは王都で、生後間もなく辺境のカーラサンドへと移ったと聞いております。五年程前にカーラサンドより王都に戻って参りました。それまでは山林の保安を仰せ付かっておりましたので、日々山野に馬を駆っておりました。馬の扱いもその折に身に着けました」


 たったの五年で現在の地位に上って来た事にイシュトバルトは素直に驚いた。


 サキマームは一呼吸おいて続けた。


「十二年前となると、当時十四のわたくしは山猿の如き有様ありさまで野山を駆け回っておりました。王都のがけ崩れに起因する渇水も耳には届いておりましたが、子供故さして気にも留めておりませんでした。ぜひ、先程の皿三枚のお話をもう少し詳しくお聞かせいただきたいのですが…」


「本当にそんな大した事ではないのだが…。皿と水はすぐに用意できるだろうが、水を通す管が、今は手元にない。残念だが…」


「少々お待ちください」


 サキマームはそう言うと席を立ち、隣の間に控える下役に何やら伝えていた。


 しばらく茶を飲んで時間をつぶしていると、何枚もの皿と水桶、そしてガルト猪の腸管を載せた配膳台が運ばれてきた。


「この腸管は厩にて見覚えがありました。今聞きましたところ、随分以前に王が使用人にお教えになったらしく、厨房や厩で重宝しているようでございます」


 王が得意になって、水を桶から桶へと移す様子が目に浮かんだ。


「そうか、なら話は早い」


 イシュトバルトは数枚の皿を積み上げ山奥の湖、手前の山、そして王都を再現する。


「王が言われたように、この皿が高地の湖、その手前に山に見立てた皿、そしてこちらの皿が王都だ」


「はい」


 イシュトバルトは柄杓で最初の皿に水を注ぎ、腸管を水桶に浸け込んで管の中を水で満たした。それから、管の両端を摘んで湖の皿から、山の皿を越え、王都の皿につながるように配置する。


「水路は湖から一旦下った後、山を越え、王都に至る」


「はい」


「では、水門を開く」


 そう言って、イシュトバルトは管の両端を摘んでいた指を緩める。すると、わずかな水を残して、一瞬にして湖の皿から王都の皿へと水が移動する。


 マンマルとキーリスは目を輝かせている。


 サキマームは暫らくの間、ただ皿を見ていた。


「失礼ながら、あまり不思議とも思えません。しかしこれが実際の水路でも再現できるかと考えると…、水が山を登るというのは有り得ません。どうにも釈然としないものがあります」


(正直な奴だ。おそらくサキマームは管に水を通すのを見慣れているのだろう)


「もちろん、川や普通の水路で水が山を登ることなどありえない」


「管であれば…、という事でしょうか?」


 それまで黙って見ていたキーリスが口をはさんだ。


 キーリスの言葉にサキマームの目が見開かれる。


「水路を完全に覆って、管の如きと成せば、水は山を登るのでしょうか?」


「その通りだ」


「成程。合点が行きました。もし、途中の山が水源より高ければどうなりましょう?」


「湖が王都より高みにあれば、間の山の多少の高低は無視できる」


 イシュトバルトは王都の皿から水を湖の皿に戻し、再度腸管を水で満たす。


「マンマル、この管の中程を高く持ち上げてくれ」


 マンマルが山の皿の上辺りで高々と管を持ち上げる。


「間の山が湖より高くとも…」


 指を開くと、やはり水は王都の皿に流れ込んだ。


「水は流れる」


「おお…」


 マンマルが感心している。


「水は途中の経路に関わらず低きへと流れるのだが、管の中を水が吸い上げられる高さには限界がある。実際に確認したわけではないが、十歩程だと聞いている」


 さすがに、ここで真空の説明までするつもりは無い。「何故」と問いたげな三人の眼を無視して続ける。


「山の高さからすれば十歩など僅かだが、それ以内であれば、山が湖よりも高くとも、理屈の上では水は変わらず王都に注ぐ。ただ、実際の水路の建設には相当な工夫が必要となるだろう。水門を開く前に水路を完全に水で満たす必要があるのだ。山の上に取水口を設け、両端で水門を閉じ、水路を満たすだけの水を運び、取水口より注ぎ入れる。水路が水で満たされた後、取水口を完全に塞ぐ。水門の作りにも相当な工夫が必要となるが、それだけの手間をかけた後、水門を開けば水は王都へ流れ込む」


「水源が高地にあったのは僥倖だったのですね」


「全くだ。それと王都の治水工事の技術の高さが幸いした。僅かな穴でもあれば、水路の破壊に繋がる。もっとも、その為、早急に山に隧道を設け、新水路とするように進言した。それが完成したのが、六年程前になるか…。以来、山を登る水路は役目を終えた」


「いや、今でも年に一度、隧道の水を止め保守する為、その間はイシュトバルト殿の水路に働いてもらっておるぞ」


 突然扉の方から声が聞こえた。


「これは陛下…」


 サキマームが頭を下げ、キーリスは慌てて膝をつく。

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