第17話 焦眉

「拡大は……どこまで…続くのだろうか?」


 王は、この異変の領域が同心円状に拡張していることを即座に理解した。そして、分かるはずのない答えを求めた。


「皆目…」


 イシュトバルトは答えた。


「まさか、この王都にまで被害が及ぶ可能性はどうであろう?」


「可能性…という事であれば、否定はでき兼ねます。ただ、元よりこの命の境界も歩いた日数より算出したものなれば、測量に長けたる者による正確な調査が必要かと存じます」


「仮にこの地まで影響が及ぶとして、概算で構わぬが、どれ程の猶予があろうか」


 地図は王国の西北域を示したものであり、地図上に王都は描かれていない。イシュトバルトは地図の外の南西方向に離れたところを指した。


「王都はこの辺り、距離的にはザーラよりこの命の境界までを五倍程すれば首都に届きます」


「となると、クアトの作物被害が報告されてより六年…、首都まで三十年の猶予があるとみて良いのか?」


「まず、クアトでの被害が確認されるまでに…、異変がザーラよりクアトに至るまでに少なくとも三年は要していると考えられます。従って、現在の命の境界に至るまでに九年となり、現時点における距離のみから算出すれば四十五年となりますが…、問題は、一年目の円と二年目の円の間の距離を五倍しても命の境界には届かぬと言う事です」


「と言うと、つまり…」


「つまり、拡張する速度が速まっている可能性もあるかと…。しかし、これも…」


「四十五年はかからぬと?」


「確たる事は申せませんが…。より正確な地図が必要となりましょう」


「イシュトバルト殿は……、どれ程と見積もっておられる?」


 王は青ざめ、固唾を飲んでいる。


「拡張する速さが変化をしているという事は、今後、緩やかになる可能性、さらには異変そのものが縮小する可能性もあります。現状では今後どのように変わるか判断するための知見が乏しすぎます。その上で、この地図のみから算出するならば、七年から十五年程かと…。正確な地図ではありませんので、見積もりも正確に求める事は叶いません」


「な、七年か…」


「考え得る最悪の場合は…」


 …………


 暫しの沈黙の後、王が口を開く。


「何をすれば良い? 王国がこれより二十年の後も存続するためには、何をすれば良いかご教授を賜りたい」


 謁見の間が騒めきに包まれる。


「今申し上げたのは、あくまで単なる私見に過ぎず、見込み違いという事もあり得ます。まずは、裏付けをとる事が肝要。この実りなき領域が円を成すのかどうかの確認が第一義となりましょう。異変領域が円を成す事が否定されれば、同心円を成しながら拡大しているという根拠も無くなります」


「そうか、まだそうと決まったわけではないか…。だが……」


 王の沈黙がイシュトバルトの見込みを肯定している。


「では具体的にどうすれば良いだろうか」


「彼の地は極端な乾燥地帯ゆえ、枯草も朽ちるのに時間がかかります。今なれば、さらに運が向けば、さきの週草の採取も可能でしょう。現状はたった一日歩いた距離でしか命の境界は確認できておりません。もちろん、この円上の全てを調べる必要はありません。ザーラの北西、西、南西、最低この三点にて推測通りの境界が確認されるなれば、境界は円と見做して良ろしいかと存じます。そして、来年、再来年、同様の調査を行えば、この実らぬ領域の拡張の速さも詳細に算出する事が叶いましょう」


 王は再び沈黙し、謁見の間は静まり返る。


「サキマーム、どう見る」


「王国の存続に関わる程の事態が起こっているなどとは露程も念頭に御座いませんでした。自らの不明を恥じ入るばかりでございます。イシュトバルト殿の申された最悪の場合を考慮するなれば、三年程の後には穀倉地に被害が及びましょう。即座に再調査を実施し、その結果によっては…、王国の全力を挙げてこれを阻止せねばなりません」


(こいつ、意外に素直なところがある)


「良かろう。其方にこの件に関する全権を委任する。イシュトバルト殿に助言を仰ぎ、考え得るあらゆる手立てを講じよ」


「畏まりました」


「イシュトバルト殿にはくれぐれも失礼の無いよう心せよ。先程、其方は思い違いをしていると言ったが、輜重の話などよりイシュトバルト殿本人の事だ。イシュトバルト殿は余の臣民ではない」


「……それ…は…」


「イシュトバルト殿は王国の客であり友であり恩人なのだ。十二年前、コラン渓谷で大層な崖崩れが起きた。渓谷は完全に閉ざされ、そこより流れ出るイルム川は流れを絶たれ、完全に枯れた。イルム川に、その水の全てを依存していた王都では、三十万の民を養う事など到底不可能。五万が限度と見積もられた。渓谷を埋め尽くした土砂を除くには七年、山に隧道を穿つに五年、遷都を訴える声も多かったが、都を移したところで、三十万の民は行き場を失う。生きる糧を失った二十五万が地方に流れれば王国の治安は惨憺たるものとなったろう。そんな折にイシュトバルト殿がこの地を訪れてくれた。そして、山を登る水路を考案してくれたのだ」


「山を登る…。噂には聞き及んでおりますが、何やら誇張されたものであろうと考えておりましたが…」


「余も水路が山を登るなど、与太話としか思っておらなんだが、皿を三つ使って、余の目の前で水が山を越えるところを見せられてはな、疑う余地はなかった。その後、辺境より密かに兵も引き、水路建設に携わらせ、王都の民は老いも若きも山の湖より水を運んだ。おかげで僅か四か月で水路が完成し、王都は虎口を脱する事ができたのだ。以来、イシュトバルト殿には、この地に逗留を願っている。王国は既に一度、イシュトバルト殿に救われているのだ」


「知らぬ事とは申せ、ご無礼の段、平にご容赦をお願い仕ります。しかし、皿三枚とは一体…」


「そんな大層な物でもないんだが…」


 適当な返事を返そうとしたイシュトバルトの代わりに王が続けた。


「一つは高きに置いて水を張り、山の湖に見立てる。一つはやや低きに逆さに配して手前の山に見立てる。一つはさらに下に置き王都に見立てるのだ。山の湖から、ガルト猪の腸であったな、水路に見立てたその管を山を越えて王都の皿まで伸ばすと、たちまち王都の皿には水が満たされたのだ」


 サキマームは正に狐に抓まれた様な顔をしていた。


「ははは、詳しくは直接ご教授願え。これより、幾度となく教えを乞う事となろう」


 王はイシュトバルトに向き直って言った。


「お願いできるだろうか」


「微力ながら…」


「何卒今一度、王国を救う手立てを…、お願い申す」


 王が頭を下げる。


「これより、ザーラを中心とする命を継がぬ領域を非実領域とする。さらにその境界を…生命…いや、生継限界と呼ぶ。サキマーム、早急に正確な生継限界線を地図上に描け」


「はっ」


 王は声を張って続けた。


「今この部屋にいる者全てに申し付ける。この事一切他言無用。余かサキマーム、そしてイシュトバルト殿の居らぬところで話す事も禁ずる。ここに居らぬ者で知るべき者には余が知らせる。この部屋を出た後、一切口にしてはならん。良いな」


 全員が膝を突き頭を垂れる。


「では、後は任せる」


 王は僅かな目配せをイシュトバルトに投げかけ、イシュトバルトが僅かに頷いて答えると、玉座を立った。

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