第15話 講義 一限目

「魔法を効率よく使うためには、何よりもまずこの世の成り立ちを理解する必要がある」


「効率で御座いますか?」


 キーリスは真剣そのものだ。


「そうだ。炎を知らずに炎を具現することも不可能ではないが、炎を知っているとその具現ははるかに容易になる。それが効率だ。薪に火を点すのに親の仇を憎むほどの思いが必要なら、とても魔法など使ってられん」


「なるほど、もっともで御座います」


 屋敷の全員が、研究室に集まっている。三人の弟子を集めての講義である。


「さて、この世の成り立ちを理解するためにはまず元素だ。元素とは、万物の根源を指すものだが、この国では、と言うよりも、多くの国で四元素が信じられている。魔法も四属性があり、それは元素に因んだものだ。四元素、四属性に関しても一応知っておいてもらうが、もはや学ぶに値せん与太話でしかない。それでも知っておいて欲しいのは、巷に流布し魔術師共が愚かにも信じる魔法がどれ程誤りに満ちたものかを理解するためだ」


 ラートリンドとキーリスは常識の範囲で魔法を知っているため、幾分訝しげな表情だ。


「薪に火を点けるのは火の魔法ではないのでしょうか?」


 ラートリンドは薪に火が点けばそれで良いらしい。


「火を理解すれば自ずと火の魔法などと言うのがどれ程馬鹿げたものか分かる。そのためにはまず元素だ」


 皆頷く。マンマルまで頷いている。


「古くより、万物は、火・土・水・大気の四つの元素が変化し混ざり合って、その姿を成すと考えられてきた。大気が木と入れ替わったり、かねが加わって五元素になったり、時と所により多少の変遷はあるが、どちらにせよ、例えば、土と水が混ざり合っても泥にしか成らん。改めて考えれば子供でも分かる、実に馬鹿げた理論だ。インツーラの学者連中はすでに十六の元素を見付けている」


 キーリスが驚いた顔をしている。


「四元素が馬鹿げた理屈なら、それに因んだ魔法の属性なる物もやはり馬鹿げた代物だ。しかし、物質の根源として元素と言う物が存在するという考え方には意味がある。ただ、土や水や大気は元素ではない。幾つかの本当の元素が組み合わさり、混ざり合ってできた物だ。そして、火に関しては、これは現象であって、物質の根源である元素とは何の関係もない。火に関しては改めて説明する」


 俺は水の注がれたガラスの器を右手に、空のガラスの器を左手に取った。


「さて、ここに水がある」


 右手の器から、半分の水を左手の器に注ぎ、皆に見せる。


「水が半分になったが、やはりどちらも水だ」


 皆、怪訝そうに頷く。


「では、さらに半分、さらに半分、と分けていった時に、行きつく果てはどうなるか、と言うと、一粒の水の粒となる。一滴ひとしずくの水ではなく、水の分子と言う一つの粒だ。そして水はこれ以上は分ける事が出来ん。粒だからだ。もし無理やり分けることが出来たとして、それはもはや水ではないという事になる。水の分子は、もちろん目に見えぬ程小さく、ここにある顕微装置を使っても確認はできん。」


「それが水の元素ではないのですか?」


 キーリスが問う。


「違うのだ。先に十六の元素が見付かっていると言ったが、そのうち、水の元素、即ち水素、酸の元素、即ち酸素、炭の元素、即ち炭素、非常に身近なこの三つの元素について説明する。


 水素については、古来よりの水の元素と紛らわしい名前が付けられているが、名前は特に意味はないと考えた方が良い。水だけではなく、あらゆるものに含まれる。とにかく、この世に存するあらゆる物の根源、現在確認されている十六の元素の中の一つに過ぎん。


 水素と言う元素が水の大本ではない。水分子を構成する事もあれば他の分子を構成する事もある。


 酸素についても同様だ。酸素原子が結びついて酸素分子となるが、酸素原子は酸素分子だけでなくあらゆるものに含まれる。


 身の回りの多くは、この三つの元素が組み合わさった分子が、さらに組み合わさって構成される物がほとんどだ。他の元素が含まれる割合は少ない。そして、水の分子も同様だ。水の分子は水素と酸素から成る。


 大した事ではないが、付け加えておく。元素とは物質の根源の総称であり、元素の一粒一粒を原子と言う。したがって、水の分子は水素原子と酸素原子が結びついた物、と言うのが正確な表現だ。


 それで、この酸素だが、実は数ある元素の中でも特殊な性質を持っている。酸素の原子は他の原子と結びつく際に、往々にして熱を出す。そして、酸素はこの大気中に満ちている」


「ひょっとして、それが…」


「そう、それが物が燃えるという事だ。それともう一つ、熱だ。熱とは分子の振動だ。人は、激しく振動する分子に触れると熱いと感じ、あまり振動していない物に触れると冷たいと感じる。


 薪に火を点すには、まずきっかけとなる熱を与える。その際、薪の周辺の空気も熱せられる。それにより、薪を構成する分子が崩壊し、さらに大気中の酸素も分解し、薪を構成する炭素原子と大気中の酸素原子が容易に結びつくことができるようになる。そして一度結びつくと、今度は自ら熱を発し、その熱により周りの炭素原子と酸素原子が結びつく。熱をきっかけに、酸素原子は他と結びつきさらなる熱を発する。これが、物が燃えるという事であり、この現象が火として観察される」


 俺は薪を手に取った。


「魔法で薪に火を点けるには、『火よ点け』と思うのではなく、『分子よ振動せよ』と思う事だ」


 イシュトバルトがその通りに思いを込める。と、「ボッ」と音を立てて薪が燃え出す。


「これが、魔法だ」

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