第14話 魔法
朝食後、皆、紅茶を前に食台についている。マンマル、ラートリンド、キーリスの三人が並んで座り、俺は三人に対面するように座っている。
「もう、分かってると思うが、俺の魔法は簡単に人を殺める事ができる。水を湯に変える事ができるなら、そういう事になる」
水を湯に変える事ができるのなら、人を沸騰させる事もできる。人を殺めるにしてもそんな面倒な事は必要ないが……。
人を発火させるのは、非常に困難だ。実際、鼠でやってみた事もあるが、毛皮は燃えても、肉は発火してはいなかった。水分が多すぎるのだろう。もちろん、暴れる事もなく死んではいたが…。人の発火については、とりあえず黙っていよう。
「だから、俺は俺の魔法を誰にも伝えず、墓場まで持って行くつもりだったんだが、ここにいる三人に知られちまった。ラートリンドは前からうすうす気づいてて、マンマルは知ってるどころか俺の魔法が使えて、キーリスはそれを見てた。俺は自分の迂闊さに驚いちまった。万一誰かに知られる事があったら、申し訳ないが、そいつには死んでもらう。そう心に決めてた。そう覚悟してたんだが……」
皆、特に動揺もなく黙って聞いている。
「もちろん、俺にお前たちを殺すなんてなぁ無理な話だ。それで、一晩色々考えたが、結局、何も考え付かなかった。俺の魔法は誰にも知られてはならん。しかし、知られてしまった。知られてしまった物はどうしようもない」
「これまで、旦那様のことを誰かに話したことなどありませんし、これからもありません。それ程気にされることも無いのではありませんか?」
「そう言ってくれると気が楽になるが、何かを嗅ぎ付けた者がラートリンドを拷問にかけるなんて事も絶対無いとは言えない。知らなくてもいい事を知ってしまうというのはそういう事だ。すまない」
「まだ、ここにいる人しか知らないんですから大丈夫ですわ」
「それはそうだが……。まず、俺の魔法が広まってしまうとどうなるかって事を理解してもらいたい。その上でどうすべきか、考えてほしい」
ラートリンドとキーリスが緊張した面持ちで頷き、マンマルは無表情だ。
「正面から相対した場合、俺一人で、百人程の兵士なら十分勝てると考えている」
さすがに二人は驚愕を浮かべるが、マンマルは相変わらずだ。
「ここまで言っといて何だが、これ以上話を聞きたくない、聞かないほうが良いと思ったら、席を外してくれ」
「何を聞かされても、これまで通り、何も変わる事は御座いませんわ」と、ラートリンドは気にする素振りも無い。
「わたくしは、身命を賭してお仕えすると申し上げました」
わずかな付き合いのキーリスも同様だ。
「それじゃ、少し外へ出ようか」
そう言って、立ち上がり、裏庭へ向かうと、皆後へ続く。
裏庭に出ると、やや離れた場所に白樺の木立がある。
「最初に言っとくが、俺の魔法はそんなに大した物じゃないから、がっかりしないでくれよ」
そう言うと、皆きょとんとした顔をする。
「まぁ良い。あそこに並んでる木を見てくれ」
そう言って木立を見つめるイシュトバルトの顔から表情がなくなる。
すると、白樺の小枝がぱたぱたと落ちる。落ちたのは十本。
何が起こったのかと怪訝な顔をするキーリス。離れた小枝を掃うのは確かにすごい事だが、所詮小枝を掃っただけの事。
しばし考えた後、キーリスが恐る恐る尋ねる。
「まさか、あの小枝と同じように、兵士の首を落とす事もできる…と…?」
「そうなる」
「仰る意味が漸く分かりました。木の枝を落とす事自体は誰にでもできる事ですので、確かに見た目には驚くべき魔法とは思えません。しかし、瞬くほどの間に十人の兵士を…となると話は全く違います」
「別に、首を落とす必要はない。多くの場合、指一本失えば、戦意は失せる。もっとも、目を潰す方がさらに効果が大きく、楽だが」
「楽、ですか…」
「あぁ。だがまぁ、仲間が周りでばたばたと倒れても、全く気にせず何が何でも俺に一太刀浴びせる、そういう百人の兵士が相手だと俺も切り殺されるだろうが…。魔法を阻害する一番の要因は常識なんだが、そのせいで…」
「旦那様…」
ラートリンドが不意に呼びかける。
「何だ?」
「マンマルが見ています」
「マンマル? マンマルはな、常識が全く無いせいで…」
「旦那様、マンマルが見ています」
「ん?…あぁ……、あっ!」
…………
事の発端は、マンマルが一目見ただけで俺の魔法を模倣してしまった事だ…。
俺の口は開いたままになる。
………
「あはははは……」
突然、ラートリンドが笑い出した。
「す、すみません。さ、昨日に、続いて、ま、また旦那様の呆けた顔を見てしまって、つい楽しくなって…、一度目は我慢できましたが、二度目は無理でした。あの世への良い土産話ができました」
「何言ってんだ。まだ若いじゃねぇか………。どこか悪いのか?」
「いえ、何年も何十年も忘れられないだろうと思いましたので」
「そうか、なら良いが…」
「マンマルの事はそう思い煩うことも御座いませんでしょう。旦那様が傍にいてあげれば、問題になるような事も無いだろうと思いますよ」
「うん…まぁ、そうだな。身を守る術くらい教えようかと思ってたが…」
………
「もう一度お茶にしよう。ラートリンド頼めるか?」
「はい。すぐにお持ちします」
「皆、胆に銘じて欲しい。俺の魔法が人に知れれば、間違いなく人殺しの道具になる。ちょっとした喧嘩で人が死ぬ。そして間違いなく、戦争の道具となる。戦死者の桁が跳ね上がる事になる。絶対に知られてはいかん」
皆、裏庭から戻り食台についている。マンマルは俺のすぐ横に座った。
「そして、ここまで見てもらった以上、もう何も隠す必要はない。そこで、みんな、身を守る程度の魔法を覚えて欲しいと思うんだが、どうだろうか」
「みんなと言うのは、わたくしも、でしょうか?」
ラートリンドはさすがに訝しむ。
「もちろんそうだ」
「一睨みで薪に火を点けられるのでしたら、とても便利な事だとは思いますが…」
ラートリンドが口ごもる。いきなり魔法を覚えろと言われても、無理だと思うのは当然だ。
「まずはそこからだな」
キーリスは目を輝かせて、俺を見ている。マンマルの様だと思ってマンマルを見ると、どこか他人事のような、そんな表情だ。
「魔法と言うのは、常識ではあり得ない事、と言う意味の言葉だ。常識に反する常軌を逸した物、信じ難い事実、そう言う物事を目にしたとき人は、それを魔法と呼ぶ」
皆が、いや、マンマルを除く二人が頷く。
「そしてその魔法を行使するのは、才に恵まれた者が、何年も修行をしてやっと使えるようになる。しかし、魔法でできる事などたかが知れている。驚くべき火の玉を作り出せたとして、そしてそれを人に投げ当てたところで、精々髪が焦げる程度の物。逆に、炎を走り抜けてきた相手に切り捨てられる。魔法が使えりゃ、便利だが、それでも苦労して覚える程の物でもない」
二人が頷く。
「魔法をそんな物だと思ってるだろうが、ちょっと違う。魔法とは思いだ。思いが強ければ、また魔法も強くなる。実は、魔法なんてそれだけの物だ。だから、物を思う事の出来る人は、実は誰でも魔法が使える」
さすがに、ラートリンドとキーリスは驚いている。
「もう少し正確に言えば、思いを具現するのが魔法だ。だが、それには何も必要ない。呪文も手印も杖も要らない。ただ、思う。思いを込める、念を込める、願う、呪う、何と表現しても良いが、純粋に思いさえすれば魔法は成就する」
三人とも…、今はマンマルも食い入るように聞き入っている。
「しかし、その成就を邪魔するのが人の常識だ。火を点けたいと思っても、同時に火など点く訳はないとも思ってしまう。それが常識だが、それ故に、思いは具現される事はない」
「本当にわたくしにも?」
「あぁ、誰でも」
ラートリンドは魔法が何かという事より、自分にできるという事がなかなか信じられない。
そして、キーリスは何やら考えている。
「しかし、イシュトバルト様、長い歴史の中で、本来誰もが使う事の出来る魔法が何故常識にならなかったのでしょう?」
キーリスの疑問はさすがに鋭い。
「推測でしかないが、一つには、太古の昔、人がまだ獣の如き暮らしをしていた頃、まだ今のように物を思う事が十分にできなかった頃、思う事ができない故に当然魔法はなかった。人の心が開かれ、知を発達せしめて初めて物を思う事が叶い、魔法は可能となったが、知の発達故に、人は魔法を受け入れる事ができなかった。すでに常識が出来上がっていた。と、そんなところではないかと考えている」
イシュトバルトは一息ついて続ける。
「さらに一つには、人は物を思う時に、得てして形のない物を思う。『幸せになりたい』と言った事だ。これは具現しようがない。さらには、知りもしない物を思ってしまう。『炎を出したい』と思う者は多いが、炎とは何か、知らないのだ。見た事があるのと、それが何であるかを知っているというのは全く違う。そうなると、まず炎を具現することはできん。たまに、知らずに炎を出すマンマルのような者もいるが、これはまさに魔法と言うしかないな。おそらくマンマルは思いの力が恐ろしく強い。マンマルは生まれたばかりで、この世の常識が全く無い。つまり雑念が全くない為だろうとは思うが……」
マンマルは少し首を傾げて聞いているが…、やはりどこか他人事のような……。
「知らぬ物を具現することも不可能ではないが、十分に知っている物であれば、具現ははるかに楽になる。人の体の仕組みを知らずとも、魔法でこれを癒す者がいる。が、その者が人の体の仕組みを十分に理解するならば、はるかに大きな効果をもたらすだろう。
魔法が常識とならなかったのには、強いて言えばさらに一つの理由がある。魔法を使える者がそれを広める事が出来ないのだ。繰り返しになるが、炎を知らずに炎を具現する奴らだな。奴らは往々にして愚か者だ。尊敬に値する人物ももちろんいるが、愚かである事が、奴らの魔法にはほとんど不可欠なのだ。虚仮の一念岩をも通す、と言うが、奴らの魔法はまさにそれだ。偶々成就した魔法を何とか再現しようと、あれこれやった挙句、奴らは呪文を見つけた。呪文自体には意味はないが、それを唱えれば魔法が成ると思い込めば魔法は成る。そして弟子を取り、何千何万と呪文を唱えさせる。その中で僅かな者がまた、偶々魔法を成就させ弟子を取る。決して魔法が広まらない訳だ」
俺はふと気になってマンマルを見る。
「知らずに魔法が使えると言ってもマンマルの事ではないぞ。お前は決して愚かではない。すでに知がありながら世に生を受け、しかしこの世の何も知らない。人の心の内を染める常識が、お前の中には無い。お前にとって魔法は不思議でも何でもない。であれば、俺が水を飲むのを真似た様に、火を点けるのを真似たとしても、お前にとっては当たり前の事だったのだな」
何と面白い存在である事か。
「思いとは即ち魔法」
マンマルが言った。
………
「覚えていたのか?」
「はい」
「イシュトバルトの言った事は忘れません」
「そうか」
「その言葉が、魔法の本質を言い表している」
「はい。マンマルには全てが不思議です。マンマルは目が見えました。マンマルは歩きました。空がありました。大地がありました。全て不思議です」
(それで、どこか他人事の様な顔をしていたのか……)
「そうか。俺の言った事は同じ意味だが、全く逆だったのか。目で物を見る事、足で歩く事、空がある事、そのすべてが魔法なのだな」
「はい」
「お前が知るべきことは、まだまだ幾らでもある。知りたいか?」
「はい。マンマルはもっと知りたいです」
「あの時と変わらないな」
「はい」
「実は魔法は俺にもわからない。何故、思いは具現するのか。そもそも人の思いとは何なのか。これは俺が一生かけても分からんだろう。真理は果てしなく遠い。だから、俺は俺が考えた末に探り出した物を誰かに伝えたかった。俺の続きを成すものを望んでいた。決して伝えてはならんと思いながら、誰にも伝えずに墓場に入るのは本意ではなかった」
マンマルは黙ってイシュトバルトを見つめている。
「俺の続きを担ってくれるか?」
「はい、お師様」
………
「お…師……?」
俺が返事に困っていると、ラートリンドが燥ぎだした。
「まぁ、旦那様が赤面なさってるわ。また土産話ができました。今日はなんて愉快な日でしょう。あ、それから、旦那様にはお弟子さんができた事、お喜び申し上げます」
「あぁ、ありがとう。だが、ラートリンドとキーリスにも担ってもらいたいんだが、どうだろう」
「望外の喜びで御座います。イシュトバルト様に教えを授かる事が叶うなど…」
キーリスは目を潤ませている。
「あら、でしたら、わたくしも旦那様の事をお師匠様とお呼びしなければいけないのかしら」
………
「いや、やめてくれ」
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