第10話 王都
王都が見えてきた。
しかし、マンマルはさして興味を示さない。
見えているのは、これまで見てきた田園風景と大きな違いはない。これまで通り過ぎてきた農村より区画が大きく整然としているくらいだ。
この国の王都は他国に攻め入られるという事を考慮していない。王都内部には、
この国の防衛は、専らに辺境で担われる。国境に於いては巨大な城壁を備えた幾つもの砦が睨みを利かせている。
カムスラード王国。この国の名だ。そして王都カムスラーディア。
この王都の入場に際して関門はない。城壁をはるかに超えて、都市が広がっている以上、入城の審査などしようも無いが、古い城壁を抜ける際にも関門はない。
この国では、国内においては移動の自由が認められている。そのせいか、カムスラードは周辺の国々より、頭一つ抜けた国力を持つ。
圧倒的ではないが、明らかな国力の差が、カムスラードと周辺国の平和を担保していた。王都カムスラーディア全域を囲む新たな城壁を建設する予定はない。
馬車の外には、王都周辺部の長閑な田園風景が広がっている。
今はまだ。
しかし、マンマルは徐々に興奮してくる。
「家が、ずいぶん増えてきました」
まだマンマル大人の皮をかぶっている。
畑が減り、人家の数が徐々に増えていた。
(子供に戻った方が面白いんだが…)
「そうだな。だがまだ王都の端っこだ」
「まだ増えますか?」
「まだまだ増える」
……
やがて、家屋が街道の両脇に隙間なく並ぶ様になり、通りが賑わいはじめる。と言っても、商店が二軒程あるだけなのだが。
「イシュトバルト、人が、人がいっぱいです、イシュトバルト」
マンマルは、扉を開けて飛び出した。しかし、外には下りていない。子供の身軽さで、するりと御者台へ移り、キーリスの隣に腰を下ろす。
御者窓が、タンッと音を立てて開けられた。
「イシュトバルト、あれは何? あの大きな建物…」
「ここからじゃ、どの建物か分かんねぇよ」
「あれは長屋ですよ、マンマル様」
キーリスが代わりに答えてくれた。
俺はキーリスにマンマルのことを名前しか伝えていない。なんと説明したものか分からなかったからだが、俺が言わない以上、キーリスの方から尋ねる事はなかった。マンマルが自分で「たびのつれです」と言っっただけだ。
俺がクアトに一人で向かったのを知っている以上、俺の子ではあり得ない。明らかに小姓や小間使いとして旅の供をしている訳でもない。面倒を見ているのは俺の方だ。
キーリスにとって素性の分からないマンマルだが、キーリスは迷うことなく、マンマルを自分が仕える主人の客分として遇していた。
(キーリスは俺よりも年が行ってそうだが…。やっぱり大した奴だ。こんな子供相手に…、俺には無理だろう。そう言えば、年も聞いてなかったな…)
「長屋か。大きいには大きいが、もっとでかくてもっと立派な建物はいくらでもある。その程度で驚いてたら、この先、目が飛び出しちまうぞ」
「目が……飛び出す…?」
御者窓に首を突っ込んでこちらを見ている。
「喩えだ、喩え。驚くと目を見開くだろう。今のお前みたいに」
「あっ…」
「それを大げさに言っただけだ。本当に飛び出たりしないから安心しろ」
俺は慌てて補足した。
マンマルに常識は通用しない。こう言った大げさな表現は危ないのだ。マンマルは本気にして狼狽える事があるからだ。特に目は拙かった。目で物を見ることはマンマルにとって、あまりにも大切な事だ。もちろん誰にとっても大切だが、マンマルは誰よりもその思いが強い。目が見えなくなると思わせる表現は、それだけでマンマルの恐怖を呼び覚ます。
迂闊だった。
「旦那様は冗談をおっしゃったのですよ」
「そっかぁ、よかったぁ」
「ずっとでかい屋敷もいっぱいあるが、王都じゃ当然、王城が一番でかくて立派だ。そのうち見る機会もある」
「ずっと大きいの?」
「比較にならん」
「そんなに?」
「わたくしも見たことがありますよ。それはもう立派な建物です」
あとはキーリスに任せよう。
徐々に、街道からは脇道が伸びるようになり、やがて碁盤目の様に、道が縦横に走りだすと、住宅街と呼べる地域だ。
「家がいっぱいあるよ。ぎっしりだよ」
そして、それが終わらない。いくら進んでも家屋が、人通りが減ることはない。
むしろ、喧騒が激しくなる。
「まだ王都は終わらないの?」
「まだまだずっとずっと先まで王都です」
巨大な円蓋を持つ聖堂を見たマンマルが興奮して「何であんなに大きいの? 誰が造ったの? 何に使うの?」と捲し立てるが、キーリスは冷静に一つ一つに返事をしている。建築家の名前など知る由もないだろうが、できる限り誠実な答えを返していた。でっち上げでもなく、適当に相槌を打つ訳でもなく、答えを知らないくせにそれでも納得させている。さすがとしか言い様がない。
息子と娘の子育てで身に着けたのだろうか。いや、この男はとにかく口が立つ。そういう事なのだろう。
商店街の雑踏を見た時には、マンマルはしばらく呆然としていた。今進んでいる大通りに交差する商店街はすぐに見えなくなるが、気になって、ずっと振り返っている。
「あれが三十万ですか?」
さすがのキーリスも即座には意味が分からない。しばし考えた後、答える。
「王都の民の数ですか?」
「はい」
「良くご存じで。しかし、今、あの通りにいた人の数は凡そ百、多くとも二百には届かないでしょう。王都の民が皆集まっていた訳ではありません」
「三十万とはもっと多いの・ですか?」
「はい、それはもちろん。今の通りは商店街と呼ばれます。店ができ、人が集まり、さらに近くに店ができて、やがて商店街となります。人々は店が多く集まった商店街で物を買いますが、あまり遠くでは日々の買い物に困ります。ですから、ある程度離れた所には別な商店街ができます。その数は寡聞にして見当が付きませんが、無理に見当を付ければ、王都全体で百を下る事は無かろうと思います」
「あんな場所が他に百もあって、そこに同じくらいの人がいるの?」
「はい。さらに、計画的に作られた繁華街も四つあります。そこに集まる人の数は、これも当て推量に過ぎませんが、今の商店街の一桁上、十倍に近いのではないかと…。王都には、非常に多くの人が住まっておりますので」
マンマルはしばし黙り込む。
「三十万とはどの位の数なのですか?」
「どの位かと言われますと、さて、これは困りました。三十万は三十万としか…。しかし、とても人一人で数える事の出来る数ではありません」
数の数え方は知っている。しかし、マンマルが実感として理解できる数は、王都に来るまでは十程だった。それ以上は意識したことがない。全く実感がないのだ。
(あれが百人で、同じくらいの人が他に百…)
三十万と言う数字を実感しようと、思いを巡らしていた。
イシュトバルトは二人のやり取りを聞きながら思っていた。
(計算を教えねばならんな…)
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