第9話 御者
(何かおかしい。何故こうなった)
「なぁ、本当に宿は大丈夫なのか?」
御者台に通じる窓が引き開けられ、声が聞こえてくる。
「はい、どうせ客は来ません」
(あっさり、言い切るなぁ…)
「それに、店にいると、娘に邪魔だと言われます。親孝行のつもりなのでしょうが…」
「あの辺りじゃ、みな農家に転業してる様だが?」
「はい。みな狭い畑でやり繰りしております。お上への届け出が、それぞれ宿や商店ですので、今以上に畑を広げるわけにもいかず……。野良仕事に出ると、息子に邪魔だと言われます。やはり親孝行のつもりなのでしょうが…」
「そ…そうか…、それで出稼ぎか…」
「はい。息子がどこかの娘を妻にを娶る事が叶いましたら、農家として一軒構えることもできましょう。その折には幾許かの志を持たせてやれれば幸いと存じまして…。何卒宜しくお願いいたします」
「ん…あぁ…うん……いや、こちらこそ、宜しく頼む」
………
「あっ、いや…、そうではなく…、そうだ、いきなり家を出て、家族の者は納得してるのか?」
「はい、いい奉公先が見付かったと、王都に遊びに行く際には面倒を見ろと、それはもう喜んでおります。どちらが親なのかわかりませんな。はっはっは…」
(お前の子供も大した玉だな)
長年客商売を勤めてきた成果か、イシュトバルトが何を言っても敵わない。何を言っても言い包められてしまう。
イシュトバルトに雇うつもりは無かった。無かったはずだ。
宿屋の主人である。名はキーリス。御者に自ら名乗り出て、支度もそこそこに、「さぁ、参りましょう」ときた。それも、王都でイシュトバルトの
驚くべき身軽さだ。
馬三頭の世話をラートリンドに任せるわけにもいかないから、しょうがないと言えばしょうがないが……。
ただ確認のため、選択肢があるのかないのか、そんな軽い気持ちでイシュトバルトが「御者はいるかな」と、呟いたら、こうなっていた。
「実はわたくし、イシュトバルト様のことは見当が付いておりました。調査団が来るとの噂で、町の者共は久しぶりに活気が戻ると期待しておりました。しかし、それらしき一行が町を訪れる気配がありません」
「ふむ…」
「そんな折、馬を預けて行かれるお客様が…、それも、荷車を自ら曳いて…。となれば、北へ向かわれる御積りであろうと。そして見ると、半丈とでも申しましょうか、腰までの…」
「マントか?」
「はい」
「長いと剣を抜くのに邪魔だからな」
「はぁ、成程そういう事で御座いましたか。で、そのマントがまた見た事のない素材で…なんと言いましょうか、あれは…」
「あぁ…、見た目は飛龍の翼の被膜だから、珍しいと言えば珍しいが…」
「見た目は飛龍…ですか……、飛竜ではないという事でしょうか? 飛竜の革は目にした事が御座いますが、もっと薄くて、絹布の様な……」
「あぁ……飛竜には違いない。飛竜の被膜は剣は通さないが…、マントが無傷でも腕をへし折られることもある。それで、ハルマルドの皮をつないで裏地にしてある」
「そうでしたか……。何とも…感服いたします。しかし、その動物…はる……まるど…の革ですと、その…、腕は大丈夫なのでしょうか?」
「南の国の森に棲む小さな獣で、この国に知る者はあまりおらんだろうが、獅子の爪にも耐える。傷は付いても、肉まで達することはない。取れる革が僅かで、地元では膝当てか、防具の繋ぎに利用されていた。無害な大人しい獣なのだが、このマントのために百匹程も狩ってしまった。今となっては随分惨い事をしてしまったと思う。肉も食ったが……」
「斬れない飛竜の革と、その硬い革を合わせたという事ですか。何とも、さすがは放浪の賢者様です」
「ハルマルドの革は柔らかいがな。ハルマルドは勢いよく踏みつけると何ともないが、ゆっくり体重をかけると潰れてしまう。まぁ、そういう革だ」
「実際に見てみるのが速いだろう」
そう言ってイシュトバルトは、マントを手で揉んで柔らかい事を見せた後、左腕をマントで覆い右手で勢いよく殴ると、バンッとあり得ない音が響いた。
御者窓から覗くキーリスの目が見開かれる。
「……魔法…の…革で御座いましょうか?」
「いや、これはこういうものだ」
………
「どうもわたくしの様な愚昧の
キーリスは続ける。
「それで…、そのような
「ふむ…そうだったのか」
………
適当に返事はしたが、イシュトバルトは何やら釈然としない気分だった。特に秘密としていたわけでもないが、マントの事などこれまで誰にも話したことはない。
(俺は、なぜ話す必要もない事をぺらぺらと喋っっている?)
イシュトバルトは急に自分の頭が悪くなった気がしていた。
(こいつの口がうますぎるのか、それとも俺は結構お人好しだったのか……)
「ちなみにお帽子も、同じ素材で?」
「あ…あぁ、同じだ」
…………
「イシュトバルト様…」
「なんだ?」
「わたくし、冒険への期待に胸が打ち震えておりますぞ」
…………
旅は快適だった。
多少古いが、馬車は文句ない作りの良い物だった。元は王都の貴族がお忍びで別荘との往復に使うために作らせた物らしい。多少小振りなのも、荷物が積めるのも納得できる。装飾の類は取り払われているが、座り心地には全く不満はない。
宿に泊まるのも、農家に納屋を借りるのも、キーリスが全て手配した。野営の準備も料理も全てキーリスがやった。
イシュトバルトがしたのは、ラートリンドの魔法の粉を提供したくらいだ。
ラートリンドのスープを飲んだキーリスは言った。
「何とも、これは確かに、宿のスープとは比べ物になりませんな。恥ずかしい物をお出ししてしまいました。野宿した方がうまいものが食べられるとは、何とも複雑な気分でございます」
宿での会話は聞こえていたらしい。
俺はずっと馬車の客室で座り、時折歩いたのも背を伸ばすためだ。
至れり尽くせりであった。
(俺の旅は、こんなのじゃないはずだ。納得いかねぇ。
快適だが……)
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