第8話 帰路

 背中から、マンマルをおろし寝台に横たえる。


 背嚢を左手に持ち、マンマルを背負って雑貨屋まで戻るのは流石に堪えた。自らも隣の寝台に横になると、途端に眠りに落ちていた。







 目が覚めると、すでに日は高かった。


 食事の用意をしていると、マンマルが顔を出す。


「おはよう」と、声をかける。


「おは・よう?」


「聞いたことがないか? 朝の挨拶だ。昼は、夜はだ」と、説明する。


「おはよう」


 挨拶が帰ってきた。


「体はどうだ? 痛むところなど無いか? 昨日は随分無理をさせた。相当疲れただろう」


 マンマルは首を捻っている。


「……いたむ?」


 どう説明したものかわからない。


「手を貸してみろ」と、言ってマンマルの手を取り、その甲を軽く叩く。


「これがだ」


「体をぶつけたり、切ったりすると痛い。そうでなくとも、疲れや病気で痛むことがある」


「どうだ、痛いところはないか?」ともう一度尋ねると、マンマルは叩かれた手の甲を差し出した。


「すまん、すまん。経験せねば理解できない事もあるからな」


 マンマルの手をさすってやる。


「他には、痛いところはないか?」


「ありません」


 マンマルの頭を撫でるとイシュトバルトは笑い出した。


 マンマルは少し驚いてイシュトバルトを見ている。


「お前も自分の頭を触ってみろ」


 小さな何かが、マンマルの手に触れる。頭に何かが無数についている。何だろうと思いながら、マンマルは触り続ける。


「髪が生えてきたようだな」







 マンマルは、たっぷりと昨夜の分まで食べた。手持ちの食料をほとんどつぎ込んだシチューでは足りず。具なしのスープで最後のパンを食べた。あとは、野菜がいくらか残っているだけとなった。


 南へ向かう。


 来た時には、関所を抜けてから分岐を右に、北東のクアトへ向かい、クアト一帯を調べてから、俺が元凶と考えるザーラへと来た。当初はクアトに戻るつもりでいたが、ただ来た道を戻るというだけの事で、クアトでやり残した事はない。直接南下すれば、半日程で関所に着くはずだ。


 クアトには寄らずに帰る。


 関所からクアトへ抜ける道は、ほとんど使われる事のない道だったらしく、ひどく荒れていて苦労させられた。それからすると、ザーラからの道は鉄鉱石を運ぶため、きちんと整備されていた。所々に石が敷かれている場所があるのは、轍ができて補修したものだろう。おかげで荷車を曳くにも苦労はない。


 街を出たのが遅かったため、関所に着いた時にはとっくに日が落ちていた。分岐路を見落としていたため、関所を見つけた時にイシュトバルトは少し驚いていた。


 関所と言っても、ほとんど何もない。門があったとおぼしき場所に石の柱が残っている程度だ。鉱山が開かれた頃には使われていたが、数十年も前の話だ。鉄以外、何も掘れないと分かっては関所で守るほどの意味はない。


 乾燥して物が朽ちにくい地ではあるが、さすがに朽ち果てている。


 道から脇にそれ、しばらく行くと宿舎の跡に到着した。かろうじて屋根が残っている場所があり、そこに食糧を置いていたのだ。ゆとりのある量ではないが、次の村まで十日程の間をどうにか食いつなぐ事はできるだろう。そうでなくとも、三日程で、命のある領域へ戻れる。狩りをしながら移動する事も不可能ではない


 宿舎で泊まった翌朝、多少余裕ができて、イシュトバルトは荷車に木箱と毛布で、マンマルのために即席の座席を作った。疲れれば横になる事もできる。


 少し離れて見ると御者台に見える。


(荷車を曳く俺はマンマルに御される馬か……)


 イシュトバルトは自嘲の笑みを浮かべながら出発する。


「食糧の心配はなくなった。慌てる必要はないからな。疲れたら遠慮なく言え。いいか?」


「はい」


 一日目は、疲れが残っていたのか、景色を見るのが嬉しかったのか、横に並んで歩いても、座っていても、大人しくしていたが、二日目には随分と活発になった。


 動いている荷車から平気で飛び降りるようになり、好きに駆け回ってはじっと何やら観察したりしていた。疲れたら、止まらなくても荷車にひょいと飛び乗る。


 初めて飛び降りるのを見た時は、多少狼狽うろたえてしまったが、「車輪にだけは気を付けろ」と注意するだけにした。何を言ったら良いかよく分からなかったのだ。







 三日目に、予定通り石塚まで戻ってきた。行きがけに積んだものだ。


 命の境界だ。


「ここで、また調べる事がある。荷車は置いて行く。今日は暗くなるまで、西に進んで、明日戻る」


「はい」


 イシュトバルトは枯草を拾う。拾った場所を地図に記録する。そして、西へ移動し、また枯草を拾っては地図に記録する。


 正式な名前があるのかどうか、週花あるいは週草と呼ばれる、いわゆる雑草である。この大陸のどこにでも見られる草で、この時期に一週間だけ非常に小さな花を咲かせて、すぐに枯れる。花の時期はすでに終わっており、あとは枯れるだけなのだが、まだ地面から小さな茎が立っているため簡単に見つけることができる。この時期に調査に来たのは大変な幸運であった。来た時に地面の色の違いに気付き、その理由が枯れて間もない週草だと分かって、街道脇に石を積んで目印としていた。


 じっと見ているマンマルに説明する。


「草自体は特に必要ないんだが、これより南には草があり、これより北には草がないことを示す必要があってな」


「みたらわかります」


 ほとんど枯れてしまった今でも、西に向かって注意深く見れば、左には草があり、右にはない事が分かる。すぐ近くなら分かりにくいが、遠くを見れば分かりやすい。


「あぁ、見たら分かる。だがな、ここにいない、見ていない奴らに教えてやる必要があるのだ」


 マンマルはなるほど、といった顔をする。


(こいつは見ていて飽きないな)


「このままずっと進めば、ザーラを中心とした円になると考えているのだが、さすがに一人ではどうしようもない。行けるとこまで行って、後は王に任せよう」


「はい」


 返事をすると、マンマルは西を見る。


「…………あそこにもあります」


 早速見つけたようだ。


 ここまで歩きながら、一人であれば、黙って考えるものを、マンマルがそばにいるため、なんとなく口に出していた。そんな感じで調査に関して話をしていたが、だから、イシュトバルトは教えるつもりで話していた訳ではないのだが、マンマルはそれなりに理解していた。


 とにかく、一日で行ける範囲で境界を地図に書き込んでいった。







 翌日街道に戻って、三日後には荒地を抜け緑が見えるようになると、マンマルは非常に興奮した。


「あれが森?」


 低木の僅かな群生だ。


「別に決まりはないが、あれを森と言う者は少ないだろうな。あれは木立と言ったところだ。じきに森の中も通る」


「ほんと? 森かぁ。木がたくさんあるんだよね?どれ位あるのかな。大きな木もある?」


………


 街道の両脇はすでに草で覆われている。マンマルは草を撫でたり千切ったりしながら、辺りを走り回っている。


 最初から、急に大人びたりする事があったが、わずか数日で徐々にたどたどしい口調もなくなり、子供っぽさがあまり見られなくなっていた。つるつるだった頭は、髪が生え揃ってきた。僅か一週間ほど前に、泣き止ませるのに必死になっていたとは思えない。


 だから、今のような子供らしい様子を、イシュトバルトは喜んでいた。自然と頬がほころんでいる。


 自分では気が付いていないが。







 さらに三日後、宿場町カルドバに到着する。預けていた二頭の馬を引き取り、御者台のある荷馬車を手配する。イシュトバルトの作った即席の座席よりかなり快適になるはずだ。馬に乗せることも考えたが、馬に乗った事のないマンマルを馬に乗せていきなり旅に出るのは無謀だ。


 町に入って、俺以外の人間を見、畑を見、馬を見たマンマルは、初めての宿屋でも興奮の連続だった。が、食堂で出されたスープを飲むと一気に興奮が冷める。


「イシュトバルトのスープは……おいしい」


 興奮が冷めて、声が小さかったのが幸いだった。主人には聞こえてないだろう。


 この町は非情に寂れているのだ。ザーラとの行き来が完全に途絶えたのだから当然だ。今では、町の誰もが農業で生活している。宿にはイシュトバルト達以外に客はおらず、静まり返っている。


 俺は小声で言った。


「俺のスープは…、スープのあの粉は…、シチューの粉もラートリンドが何日も大変な時間をかけて、スープやシチューを作って乾燥させたものだ。ラートリンドはとても料理がうまいんだ。分かるな」


「はい」


「乾燥させて粉にするというのもラートリンドが考え出した。だから俺のスープもうまい。だが、このスープもここの主人が懸命に作ったものだ。悪く言っては、可哀想だ」


「はい」


 返事にも元気がない。


「馬車も手に入ったし、あと十日ほどで本物のラートリンドの料理が食べられる。元気を出せ」


「はい!」


 元気が出た。





 翌朝、厩≪うまや≫の前に持って来られた荷馬車は個室の付いた馬車の後ろが荷台になっていると言う物だった。金を払い過ぎたらしい。荷台は付いているが、これは普通荷馬車とは言わない。


「これ、二頭立てじゃないか?」


「これくらいなら一頭でも行けますよ。それに二頭お持ちじゃないですか」と、宿の主人が言う。


「一頭が荷馬で、もう一頭は騎乗馬なんだが…。大きさがだいぶ違うぞ」


「ですが……」


 無理と言う訳でもない事はイシュトバルトも分かっている。


「すぐに、荷馬を手配してもらえるか?」


「それでしたら、うちの馬をお譲りしましょう」


 主人はにこにこしていた。


 ついでに御者も雇うか…。つい、そう考えたが、慌てて打ち消した。


 御者と一緒に未知なるものを探す旅など想像できない。





 懐は寂しくなったが、旅は快適になった。王都は近い。

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