第7話 調査

 調査団の報告では、彼らはクアトの村の作物の調査しかしていない。子供ができないと分かるとクアトの村はもちろん、ザーラの街も放棄され、調査も中断されている。


(不作の原因を探るのが目的ならば、当然とも言えるが、またどこかで同様の凶作になる可能性に考えが及ばんのか。それがこの国の大穀倉地であれば、どれ程の民が飢餓に苦しむことになるか…。自分の子種がそれ程惜しかったのか、馬鹿共め。お前たちが子を成したところで、馬鹿の再生産でしかなかろうに)


 イシュトバルトは苛立ちを覚えていた。調査団に全ての責がある訳ではないことも十分に分かっているのだが……。もっと早く分かっていれば、少なくとも官吏共に注意を喚起することが出来たはずなのだ。


 しかし、イシュトバルトにこの異変が知らされる事は無かった。誰も危機感を覚えていなかったのだ。


(もっとも、奴らが調査を続けても何も分かるまい……。俺自身、この調査で何かが分かるとは期待していない。それは王にも言ってある。特に何も持って帰れないかも知れない。期待はしてないが、何か僅かな手掛かりでも見付けたい。王に頼まれたからではない。この現象はあまりにも危険だ。人間はもちろん、あらゆる生命の存続に関わる。


 俺はそう思っている)


 イシュトバルトは、手にした報告書を背嚢に詰め込んだ。すでに何度も目を通している。


曰く、「……に関して異常は認められず」


曰く、「……の原因解明能わず」


 そればかりだ。要するに、何度読んだところで、「分かりません」としか書かれていない。


 しかし、調査報告の中にイシュトバルトの興味を惹く物が無い訳ではない


 まず、調査初年度のクアトの被害農地を示した地図だ。農地の半分弱が被害を受けている。そして、被害農地は西側、非被害農地は東側で見事に分かれている。これを見ただけで、病害虫被害などではあり得ないと分かる。境界線上の農地を除けば、収穫は零と百であり、完全に二分されているのだ。


 そして、次年度の被害地地図。収穫ができた農地は長く伸びた北東部に僅かに残るばかりだ。


 三年目には、完全に全域で収穫不能となっている。もっとも、この時にはすでに、ほとんどの農地は放棄されている。


 被害は西から進行している。


 改めて初年度の地図を見ると、区画ごとに被害地が塗りつぶされているため、境界線は凸凹でこぼこなのだが、全体として弧を描いているように見える。


 その中心がクアトの西、ザーラだ。


 イシュトバルトは丸一日掛けて、街を隅々まで見て回るつもりでいたが、そうも言ってられない。明日一日だけで、街も山も回る必要があった。明後日の朝にはこの街を発たないと、マンマルにひもじい思いをさせることになるだろう。


(一人ではない以上、今までと同じ行き当たりばったりでは不味かろうな…)


 イシュトバルトは眠りに落ちる前に最低限の予定を立てていた。








 朝、目が覚めるとマンマルの顔があった。


 驚いて、目が丸くなる。


「も…もう、起きてたか」


「はい」


「荷車の樽に水がある。顔を洗うぞ」


「はい」


 特に質問はないようだ。聞かずとも、すぐに実践する事になると分かってきたらしい。


 荷台の後ろまで水樽を引き摺り、栓を開く。


「水は大切に使え」


 と、言いながら両手に水を溜め、顔を洗うと、マンマルも真似をする。


 くりやを借りて、昨夜のスープと乾燥したパンを、昨夜と同じくスープに浸して食べる。


 昨夜も食堂は使わずに、厨の食台で済ませたが、今日もやはりその場で食べる。


 冷えたスープを一瞬にして温かいスープにするが、マンマルはやはり特に気にした様子もない。


「二・三日この街にいるつもりだったが、できれば今日中に街と鉱山を調べて、明日はクアトに戻ろう。いや……、それ程の余裕はないか…………、ここで何か見つかれば別だが……。とにかく、明日はこの街を立つ」


「はい」


 マンマルに否やがあろうはずもない。


「よし、急いで出かける。厠を借りておけ」


「はい」


 俺は、背嚢の中身を荷車にぶちまけ、かわりに薬瓶を一杯に詰める。


 幸いな事に予想に反して、子供用の服が手に入った。ズボンが三枚と貫頭衣が二枚。ありがたい。


 マンマルを着替えさせて、二人並んで雑貨屋を後にする。荷車は置いて行く。


 鉱山へ向けて街を歩き、道すがら、目に付いた家屋の柱をナイフで削り、薬瓶に収める。土壁の土も採取する。できるだけ日向と日陰の二箇所づつ。崩れそうな東屋、駐在の役人の物とおぼしき立派な屋敷、炭鉱の人夫か労役の宿舎。それから土の採取。道端、広場、日の殆ど差さない路地裏。


 一つ一つの瓶に場所と条件を書いた札を貼る。


 井戸は未だに生きているようだった。非常に深い井戸だ。街中で二カ所しかない。水と周辺の土を採取する。


 マンマルが汲まれた桶の水を見ているので注意する。


「この水は永く溜まっていたものだから、飲んではだめだぞ」


「ながくたまる……と・だめ?」


「あぁ、水も腐る」


「のむと・どうなる?」


「腹を壊して苦しい思いをする事になる」


 マンマルの足に合わせて、ゆっくりと歩いたが、昼前に坑道口に着いた。


 湯に粉を溶かしただけのスープとパンを口にする。


 ほとんど休みも取らずに坑道へ入ろうとした時、マンマルがかなり疲れていることに気が付いた。歩いたのは、昨日が初めてだったのだ。気にしていたつもりだったが、無理をさせてしまっていた。


「俺は、中に入るが、暗くなる前には戻る。ここで待っているか?」


「…………」


 返事がなかった。ここにいても何の危険もないだろうが、俺も置いて行くのは忍びない。


 俺は背嚢を下ろし、小袋に薬瓶を詰め込み、腰に括り付けた。マンマルに背を向け、屈んで、「ほれ」と、声を掛けるが、首を傾げている。


「こっちに来て、首にしがみ付け」


「こう?」


 マンマルを背負って立ち上がると、「おおぉ…」と声を上げる。喜んでいるようだ。


 入り口に幾つも置いてある松明を取り、油を含ませて前方に掲げて火をつけ坑道へ入る


 洞壁のランプにはまだ油が残っていた。一日は持ってくれるだろう。帰りに迷わないで済む。


 枝道に松明を翳して覗いてみたりもするが、本道と特に違いもない。気にせずまっすぐ進む。程なく突き当たる。マンマルを下ろしてから、例によって土を採取し、札を張る。


 マンマルを背負おうとすると、「あるく」と言うので、手を引いて歩き始める。


 気になっていたのは、下に下る枝道だ。来た道を半ばまで戻り、階段を下りる。下りてはまた下り階段を探して下りる。ひたすら下を目指す。


 三つ目の階段を見つけるのにかなり苦労する。本道では見付からず、四つ目の枝道で漸く見付ける。


 階段を下りる前に、休憩をとる。できるだけ背負って来たが、マンマルは半分程は自分で歩いた。坑道と言う慣れない場所のせいか、マンマルを背負っていたせいか、俺も疲れていたが、マンマルの疲れは相当なものだろう。


 壁を背に、二人並んで温かいスープを飲む。


 立ち上がろうとすると、マンマルは寝ていた。どうしたものかと考えているうちに、イシュトバルトも眠り込んでしまった。


 目が覚めたイシュトバルトは呆然とする。


 どれ程寝ていたのか全く分からないのだ。明るいうちに探索を終えて外へ出る事は難しいかもしれない。しかし、今、坑道探索を中断すれば、再開するためには一旦食糧の入手に戻る必要がある。イシュトバルト一人でも十日以上かかる。マンマルを連れての移動であれば、二十日近くかかっても不思議はない。


 何年も前に始まった異変だ。今更二十日程度調査が遅れたところで大したことはないが、再調査、さらに王都まで二十日程の帰路。今日一日でこれ程疲れているマンマルの体力では、耐えられそうにない。


(可哀想だが、このまま坑道探索を続けよう)


 起こさずに背負おうとしたのだが、マンマルは目を覚ました。


「大丈夫か?」


「はい」


 そして、こちらが尋ねる前にマンマルは言った。


「あるきます」


 イシュトバルトは黙って頷くと、手を取って立たせた。


 探索を再開する前に、壁際に二人並んで用を足す。


 その後、階段を二回下りると、階段は梯子に変わった。


 さらに梯子を二回下り、一度別の梯子を上がって、また二回下りた。


 探索再開後、階段は本道で見つかり、坑道がそれほど長くないため梯子も比較的すぐに見つかった。


 下りた所は鉄鉱石の含有率がかなり高いらしく、壁の様子がだいぶ変わっていた。かなり黒っぽく、松明の灯をチカチカと反射する。枝道もなく、一本道になっていた。


 やがて、支えの柱もなくなり、坑道が随分と細くなる。


「ここから先は、試掘坑だろう。崩落の可能性もある。少し待っていなさい」


 イシュトバルトがそう言って先へ進もうとすると、マンマルはしっかりとイシュトバルトののズボンを握りしめる。


「いっしょに……いきたいです」


 マンマルは言う。


 何年も起こらなかった崩落が今起こる事もなかろう、と考えた時、イシュトバルトはガスの危険性に思い当たった。王に引き合わされた鉱山担当の官吏にくどい程言われていたのを、完全に失念していた。一人ならば気にしないし、気にしても結局突き進むだろうが…。


(ガスの発生を見付けるために、坑道の奥では鳥を飼う、などとも言っていたが…。おそらく、後二十歩も進まぬうちに行き止まりとなるだろう。行っても何も見つからないだろうが、しかし、どうしても確認しておきたい。最深部最奥をこの目に収めたい…)


「すぐに戻る。危険が無いことを確認するだけだ」


「………」


「そうだ、話しをしよう。俺が向こうをほんのちょっと見てくる間、ずっと話し続ける。声が届かぬ程遠くではない。いいか? そうだな…、ええと……この調査が終われば、王都へ行くぞ。王都には何と三十万もの人がいるのだ」


「さんじゅうまん……」


 ズボンを握るマンマルの手が緩む。そっと後ずさりして、松明をその手に持たせる。自分は手の平から炎を出し、きびすを返して進む。


「あぁ、三十万だ。いろんな人がいるぞ。お前と同じくらいの子供もいる」


 マンマルは生まれたばかりだが…。


「いろんな店があって、いろんな物が売られている。いろんなうまいものを食べよう。甘いお菓子もいっぱいある」


「おかし…」


「王都の家で留守番している手伝いのラートリンドに紹介しよう」


「らーとりんど?」


「あぁ、お手伝いの名前だ。ラートリンドは子供が大好きだ。お前を連れて帰ったら大喜び間違いなしだ」


 突き当たった。


 深く息を吸い込む。


 …………


「いしゅとばると?」


「問題なかった。今戻る」


 マンマルは随分緊張した面持ちだ。


「何も問題なかった。坑道の一番奥を一緒に見るぞ」


 今度はマンマルを連れて奥へ向かう。


「ここが一番奥だ」


 と言っても、何もない。何もないが、全く何もない訳でもない。


 どうやら天然の洞窟に通じているらしい。腹這いにならなければ入れない僅かな岩の裂け目があった。イシュトバルトは一応頭を突っ込んで確認する。途中で引っ掛かれば身動きが取れなくなる。そのまま死を待つしかなくなる可能性もある。俺は多分大丈夫だが。


 どちらにしてもここまでだ。


 鉱脈と思しきところにナイフの先端を当て、柄尻に掌底を叩き付けると、キンと言う音と共に鉱脈が削れる。飛んだ破片を薬瓶に収める。土の部分に別な薬瓶の口を当て、その上をナイフで穿り、土を薬瓶に落とし入れる。瓶に札を張ると、ここでやれることはもう無い。


 立ち上がった瞬間、地下水の音だろうか、岩の裂け目から微かな唸り声のような音が聞こえてきた。


 マンマルもじっと裂け目を見ている。気のせいではなかったらしい。しばらく二人して、耳を澄ませていたが、もう何も聞こえてくることはなかった。


 気にはなるが、何もできない。


「戻ろう」


「はい」


 梯子を二回上り、一回下ったところで、洞壁のランプが消えていた。記憶を掘り返しながら戻っていくと、道を間違えたらしい。行き止まりに突き当たった。


 かなり焦って、梯子まで戻り、もう一度帰り道を探すが、梯子があった通路がない。振り返って、記憶と照らし合わせる。少し広くなったこの場所だったと思うが…。また前を見るが、通路がない。


「この左から来たと思ったが、違ったか」


 やむを得ず、また梯子へ戻ろうとすると、マンマルが「いいえ」と言う。


「あちらからきました。もうすこしちかづけば…」


「ん? ……」


 無いものは無い、と思いながら壁に近づくと、通路が見えてきた。せりだした壁が通路を隠していたのだ。行き止まりから梯子に戻った時に気を付けていれば、見えていたはずだが…。


「覚えていたのか?」


「はい」


「大したものだ。おかげで迷わずに済んだ。ありがとうな」


 マンマルはにこにこと笑っていた。


 梯子を登ると、ランプがついていた。その後は迷う事なく戻る。壁のランプを消し、次のランプを目指して歩く。階段を上り、歩く。


 歩く。


 ランプを消し、次のランプを探しながら進むが………、見当たらない。ここは、真っ直ぐな坑道だったはずだが、また消えているのか…。しかし、出口はそう遠くないはずだ。焦る必要はない。


 しかし、なにか様子が違う。


 イシュトバルトは溜め息を吐いた。


「ふぅ……」


 星が見えていた。


 地上に戻ることができた。


 完全に日が落ちており、坑道から出た事に気が付かなかったのだ。


 疲れ果てたマンマルは背中で寝ている。


 生まれて二日目でのこの冒険をマンマルはどう思っただろうか。

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