第6話 街

 鉱山街ザーラまであと僅かという頃、突然マンマルが大声を上げた。辺りはすでに薄暗くなっている。


「いしゅと…いしゅとばるとおおお………いしゅとばるとおぉ………」


「どうした?」


「いしゅとばると…いる?」


「ああ、ここにいる。夢でも見たのか?」


「ぜんぶ・ちがった。きが・ついたら、やっぱり・いしの・まま……、いしゅとばるとは・いない……、いるの?」


 荷車の後ろに慌てて行くと、覆いの帆布が、つんと突き出している。


 帆布を捲ると真ん丸頭が出てきた。


「大丈夫だ。俺はここにいるし、お前はもう石に戻ったりはしない」


(確証はないが……)


「てがある。くちも・ある……。まんまるは・ひと?」


 目が覚めたら、真っ暗で石に戻ったと思ったのだ。


「あぁ、間違いなく人だ」


 マンマルはイシュトバルトを見、周りを見て、イシュトバルトに視線を戻した。


「いなくならない?」


「俺か? 俺なら、ずっと一緒だ」


 マンマルは再び周りを見る。


「ひかりが……すくない…」


「もうすぐ夜になる。夜には日が完全に隠れ、暗くなるが、じきに朝が来る。朝が来ればまた明るくなる。心配はいらん」


 イシュトバルトが荷車の前に回ると、マンマルがついてきた。


「もうすぐ街が見えてくるはずだが、歩けるか?」


「はい」


 二人は並んで歩き出す。


「いしゅとばるとがくるまで、すごくながいよるだったよ。もう、よるはながくならない?」


「ん?…夜が……夜が長く?…………冬の間は多少長くなるが…、少しだぞ。お前にとって昼と夜とはどの様なものだ?」


「みちをひとがとおるのが・ひるで、だれもとおらなくなるのが、よるです」


(そうか、それしか判断しようがないか…)


「空に光の塊のようなものを見ただろう? あれが太陽だ。太陽は大地の周りをまわる。太陽が昇って明るいのが昼で、太陽が大地の端に沈んで暗くなると夜だ。昼と夜の長さは、季節で多少変わるが、昼と夜を合わせた長さは変わらない。人は明るい間に活動するから、人が歩いていれば昼というのは概ね間違いじゃないが、誰もいなくても昼にはなるし、夜歩く者もたまにはいただろう」


 マンマルは少し驚いた顔でイシュトバルトを見詰めている。


 イシュトバルトは少し微笑んで続ける。


「大地が太陽の周りを回ると言い張る変わり者がいたが…、話を聞くと、やけに説得力があって、どう反論しても言い負かされて困ったことがある」


 マンマルはきょとんと、イシュトバルトをを見ている。


「空と大地には、俺にも分からないことが多いのだ。それだけではない。この世は分からない事だらけだ。お前もいきなり、全て分かろうとしなくて良い。何度でも教えてやる。少しずつ、理解していけば良い。俺にも分からない事は教える事もできないが、そういうものはいつの日か自分で明らかにするんだ」


「じぶん…で?」


「そうだ。自分で考えたものが本当の知識だ。お前に知恵をもたらす」


「…………」


 マンマルは何やら考えている。


(それで良い)


「ザーラが見えてきた」


 天辺てっぺんが湾曲した巨大な角の様になっている大岩の陰から、幾つかの人家が姿を現す。


「ざーら?」


「あぁ」


「まち?」


「あぁ、ザーラの街だ。かつては大勢の人がいた」


「ひとが………おおぜい…。あれは・なに?」


 徐々に大きく見えてきた家を見ている。


「人の住む家だ。何年か前までは実際に人が住んでいたはずだが、今では、この街には誰もおらん」


「どうしてだれもいないの?」


「その大本の原因を調べに来たんだが……。子供が生まれなくなってしまったのだ」


「………」


「お前には、何から話したら良いのか………。好き合った人の男と女は…、一緒に暮らし、子を成すのだが、この街に住む者は誰も子ができなくなったのだ」


「こどもが…、できない……」


「そうだ。子ができないのは、人だけではない。最初に報告されたのは、麦だ。麦は青々と育ち花をつけるが、そこまでだった。花は実を結ばずそのまま枯れ落ち、一粒も実らなかったそうだ。それから果樹にも同じことが起こった。根菜の類を除いて全ての穀物と果樹が収穫不能になった」


 マンマルは黙って聞いている。


「作物の病気だとして、何人も学者が調査に派遣されたらしいのだが、原因は分からぬままだ。やがて、この一帯では獣も人も子を成すことができないと気が付いて、人々は徐々にこの街を出た。街を棄てるしかなくなったのだ」


 棄てられた街へ入った。


 昼前に着く予定が随分と遅くなった。自分で荷車を曳いているため、時間がかかるのは覚悟していたが、荷台のマンマルを気にかけて、さらに歩みが遅かった。


 街に入ると言っても、この街には城壁どころか柵もない。もともと極端に乾燥したこの地には動物もほとんどおらず、害獣被害もなかった。他国が攻め入るには、この国を横断して兵を進める必要があるが、ただの鉄鉱山にそんな価値はない。


 街に住む者にとって脅威と成り得るのは、強いて言えば懲役や労役の者くらいだが、街の中にいるため城壁は意味が無い。実際には鉱山で働く仲間としての意識の方が強いだろう。鉱夫には荒くれも多い。


 人家が増え、家並みが続くようになると、街の様子にイシュトバルトは大変な違和感を覚えた。


 廃村の類いは何度か訪れた事がある。人が住まなくなった家は、思いの外早く傷み始め、やがて崩壊する。森の近くの廃村ならば、あっという間に森に飲み込まれる。そのような廃村をイシュトバルトは何度か間近で目にした事がある。気味悪がる者も多いが、イシュトバルトは特に何も思った事はない。


 だが、この街は違う。ここは不気味だ。


 不気味に感じる理由は明らかだ。朽ちた家が無いのだ。普通の街並みに、しかし人だけがいない。


 イシュトバルトは適当に目星をつけた家の戸を開けて中を覗いて回る。


 マンマルはとにかく後を付いて来ては一緒に覗いているが、少し訝しげだ。


「お前に着せる服が置き捨てられてないかと思ってな」


 戸を開けて中を覗いては、子供の暮らした痕跡を探しているのだ。元々この街に子供は少なかった。住人はほとんどが男で、夫婦者の割合はかなり少なかったのだ。しらみつぶしに家探しするつもりはない。


 雑貨屋らしき看板をかかげた建物の横手の戸を開けた時、中はほとんど真っ暗だったが、火を灯さずになんとか目当ての物を見付けることができた。


 積み木が戸のすぐ脇に転がっていた。しかし、この家ではマンマルの服は見つかるる事は無いだろうと予測する。家を出た時に積み木で遊ぶ子供がいたのだ。子供が大きくなった家ならば、小さかった頃の子供の服は置いていく、と期待したのだ。


 ちなみに、錠前はイシュトバルトには用を成さない。


「もう暗くなった。お前の服は期待できそうもないが、今日はこの家に厄介になろう」


「はい………」


 マンマルは何やらもじもじしている。


「どうかしたか?」


 口に出して、返事を待たずにすぐに分かった。


「厠だな」


「かわや?」


 答えるより、先ずは厠を探す必要がある。


「もう少し我慢できるか?」


「はい」


「初めてなのに、偉いぞ」


「はい」


 急ぎ足で、すぐに外へ出て裏手へ回る。


 厠を備えた家は少ないが、裏庭の一角にそれを見つけることができた。なければ隅っこでやらせるだけだが。厠は思ったよりも随分と立派だった。裕福な家だったらしい。


 初めての小便に興奮し、「おおおぉ、みずが……」などと声を上げたりしたが、特に問題なく済ますことができた。ついでに大便の方法を教える。


 母屋へ戻り、くりやを借りて、食事を済ませる。二度目なせいか、あれこれと聞いてくることもなく、おとなしく食べ終わった。


 食後にまた厠へ連れて行ったが、次は一人で問題無さそうだ。


 二階の寝台を借りて横にならせると、マンマルはすぐに寝付いた。


 イシュトバルトも、予定が遅れて消費が二人分になった食糧の心配をしているうちに寝入っていた。

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