第4話 会話
イシュトバルトは剣を収めた。
警戒を解いたわけではないが、剣を抜かずとも十分に対処できるのは間違いない。相手は唯の子供だ。
イシュトバルトは土の中から飛び出してきた、その不思議な子供に未だに纏わり付いている土を剥がし、手拭いで残る土埃を払い落とした。両脇を抱え上げると、近くの岩に腰掛けさせる。そして、自分のマントの首紐を解いて脱ぐと、その子供、マンマルに羽織らせた。
「さて、話を聞かせてもらおうか」
「は・い……は・な・し・を・き・くぁ…き・か・せ・て……く・だ・すぁ・い」
「いや…」
話を聞きたいのはこちらだと言おうとして、思いとどまった。
「お前は、どうしてここにいたのだ?」
イシュトバルトは質問をするのも、話をすることに違いはないと考えたのだ。
マンマルと名乗るそれは随分考えてから答えた。
「うぁ…うわ・か・るぃ・ま・せ・ん。ずー…と…こ・こ・に・い・ま・し・た」
(ずっとここに?)
「ずっと、と言うのはどのくらいだ?」
マンマルは、再び考え込む。
「よると…ひる…が…たくさん」
かなり舌が回るようになってきたな、などと考えながらさらに尋ねる。
「たくさんとは、五回くらいか?」
「もっと…で・す」
「十回くらいか?」
「もっと・ずっと…です」
「人は土に埋められてそんなに長くは生きられぬばずだが…」
イシュトバルトは立ち上がり、荷車を近くまで曳いてきて、水の入った革袋と木の器を取り出し、水を注いでマンマルの前に差し出した。
マンマルは首を傾げている。
「飲みなさい」
「の・む…?」
「水だ」
「み・ず?」
何が分からないのか分からないが、器から一口水を飲んでみせてから、再び器を差し出す。
マンマルは水を見て、イシュトバルトを見た。マンマルはなぜか自分の顔を触り、口に触った。
「く…ち…?」
イシュトバルトは頷く。
「のむ?」
再び頷く。
マンマルは目を輝かせて器を両手で受け取り、覚束ない動作で水を飲んだ。
「のむ?」
また頷く。
マンマルは水を飲みほしてもなお、「のむ?のむ?」と尋ねてくる。
イシュトバルトは深く考える事を止め、とにかく頷いて見せると、マンマルは
言葉は一応通じてはいるが、意思の疎通ができているとは言い難い。イシュトバルトは
マンマルは特に話をせがむこともなく大人しく待っていた。それでも、辺りの岩山や空を眺め、「そら?」「くも?」などと聞いてくる。藁や小枝を利用して火をつける様子や乾燥肉や野菜を刻む様子をつぶさに見ている。何かを聞いてくる度にイシュトバルトが適当に「あぁ」、「うん」、「そうだな」、と相槌を打つとマンマルは目を輝かせた。
火を起こす際、着火にだけは魔法を使ってみたが、マンマルはさして興味を示さなかった。一切の調理を即座に完了させる事もできるが、それはやらない。普通に行動することが完全に習慣になっており、特に億劫でもない。
調理された食事を前にしても、マンマルは「たべる?」「いも?」「にく?」と尋ねてきた。そして「たべるとおおきくなる」などと言っている。
シチューを口に入れると、マンマルは最初妙な顔をしたが、すぐに笑顔に変わった。
「うまいか?」と尋ねると、マンマルは動きを止めた。
「うまい?……」
「…………うまい……おいしい……………おいしい?…おいし………あああぁ」
「どうした?」
「これが、おいしい…。ああぁ、おいしいだ。おいしい…おいしい」
何やら興奮しだした。
(相変わらず、訳が分からないが、こいつはどうも本当に知らないのだ)
そうイシュトバルトは思った。
(だから、こいつは尋ねていたのだ。最初は口にしても安全なのか、あるいは許可を求める意味合いで「のむ?」と言っているのだと思い、特に気にせず適当に頷いて返したが、こいつは水や肉や雲を知らなかったのだ。だから、「飲むとは何なのか」と、「これが水なのか」と、「あれが空なのか」と尋ねていたのだ)
それが事実であれば、大変な疑問が生じることになる。
(なぜ知らなかったのか……)
イシュトバルトは「本当に人か?」などと考えながらも、警戒する気持ちはほとんど無くなっていた。
マンマルが落ち着いた頃合いを見計らって、質問を続けた。
「お前は土の中にいたのだな?」
「は・い」
「その前はどこにいた?」
「ずっと・ここ・に・いまし・た」
「父や母はどこにいる?」
「どこに・も・いません」
質問に詰まってしまい、考え込んでいるとマンマルの方から話し出した。
「わたし・は・まんまるです。まんまるは・いし・です。ずっとまえから・ここにいまし・た。とおりすぎる・ひと・の・はなしを・きいていました。よる・が・だんだん・なが・く・なりました。とても・ながく・て・とても・はなしが・ききたく・なりました。ひとが・きました。はなしが・ききたくて・まっていました。はやく・ききたい・と・おもってい・たら・なにかが・しみこんできました。そらが・しみこんできました。てが・ありました。あしが・ありました。ひとが・きました。はなしを・してくれました」
驚愕の事実であった。話は半ば程しか理解できなかったが…。
狂言とは思えない。この子供は、マンマルはあまりにも無垢であった。そして狂言でなければ、途轍もない話だ。
言葉を失ったイシュトバルトをマンマルが見ている。
「いし、と言うのはそこらに転がっている石の事か?」
マンマルは辺りを見渡し、首を傾げた。
「たぶん、そうだと・おもい・ます」
何故たぶんなのだ。しばし考えて、はっとする。
「お前はものを見たことがなかったのだな?」
「みる?」
イシュトバルトは自分の目を指さした。
「これが目だ。そして、目でものを見る」
マンマルが目を触ろうとするのを慌てて止める。
「目は傷つきやすい。触ってはならん」
マンマルは瞬きをしながら、周りを見渡す。
「め…みる……め…みる……」
「お前の中に沁み込んで来た物は、光だ。光が物の形を明らかにし、目がそれを捉える」
「て、みる。そら、みる。いわ、みる。…ひかり……」
「そうだ、それが見るだ」
石と言われたことがあったのだろう。だが、石が何なのか知らなかったのだ。それ故のたぶんだったのだ。
「しかし……石であったお前が、たった今、俺の目の前で人になったと言うのか?」
マンマルに問うた訳ではなかったが、マンマルは答えた。
「まんまるはいしです」
「いや、今のお前は人だ。だから手がある。だから足がある。だから、目が、口がある。だから、物を見、話をする」
「まんまる…ひと……まんまる…はなしを・きく…」
「………」
「まんまる…はなしを……する……は・な・し………」
黙り込んだマンマルは、涙を流していた。
「どうした? 何を泣いている?」
「だく?」
涙声で、また口がうまく利けなくる。
「お前の目から涙が零れている。目から涙が出る事を泣くと言う」
イシュトバルトは手拭いでマンマルの頬と鼻を拭ってやる。
「まんまるは…まんまるは…ずっと、はなしがききたかった………。ずっと、ずっと、ひとを・まってた………。でも、いま、じぶんではなせる。じぶんで・はなしをして・きいてもらえる……」
「まんまるは、ひと?」
「あぁ、お前は人だ」
イシュトバルトは内心では半信半疑ながら、そう断言した。
見たことはないが、土人形ゴラヌは土や石を魔法で動かしているに過ぎない。何より、術者が傍にいなければほとんど何もできないはずだ。やがて魔法が尽きて、ただの
土に命を宿すと言えばブーグだが、そもそもブーグとは似ても似つかない。ブーグは小動物の命を泥に拡散させて作られた、極めて醜悪な存在だ。マンマルのような普通の、しかし完全な生命とは極めて異質だ。
マンマルはどこから見ても人である。
「まんまるは、なぜ・なく?」
「人となって、話を聞くだけでなく自らも話をする。会話だな。それができて嬉しいのだろう。嬉しい時に人は泣く事がある」
「かいわ…うれしい……これが、うれしいという……」
「まんまるは、うれしい……う・で・じ・ぃ……」
会話はもちろん嬉しかった。そしてまた、嬉しいという感情を経験できた。理解できた。それがまた嬉しかった。イシュトバルトとの会話は大変な喜びだった。そしてさらに、今まで話を聞くだけの対象だった人、その人という物に自分がなれたという驚くばかりの事実、表現しようのない程の喜び、喜びを自覚した途端、幾つもの喜びがまとめて溢れ出す。
マンマルの感情が暴発した。
涙と鼻水が噴き出してきた。
「ぎぐ……ぎぐだげでぼ、うでじがっだ。だげど、がいわは、がいわは……」
何を言っているのかほとんど分からなかった。
「分かった、分かった。…良かったな」
「あ゛・い」
つるつるの頭をいくら撫でてもマンマルは止めどなく泣き続けた。
イシュトバルトは荷物をかたずけながら、考えを纏めていた。無生物に命を宿し、まして石塊を人に変えると言うのは奇跡としか言いようがない。まさに神の御業。これを魔法などと言うのは烏滸がましい。
イシュトバルトの知る全ての宗教は神がこの世を創ったのだと言っている。神話の類も無数にあるが、全ては神代の昔の話。神が降臨し何かを成した、などという話は聞いたことがない。いや、全く無い訳でもない。だが、全てを確認した訳でもないが、実際に目にすれば取るに足らないものであったり、話が誇大に伝えられた与太話だ。たった今、目の前で起こった奇跡とは比ぶべくもない。
ふと、その奇跡の体現に目をやると、自らが出てきた穴を見ていた。
俺は、奇跡を目の当たりにしながら、何も調べようとはしてなかった自らを恥じた。自戒を込めて思う。何のために旅を始めたのか……。俺は、とてつもない奇跡が起こったこの場所を、何も調べずに後にしようとしていたのだ。未知の物を見つけるため、そして未知を既知と成すために旅に出たのではなかったか……。
驚きの連続で、明らかに思考が
イシュトバルトはマンマルの隣に並び、一緒に穴を見下ろした。確かにマンマルの背丈程の深さの穴があった。しかし、それだけだ。屈みこんでじっくりと検分しても、何も無い只の穴だ。穴の中に奇跡の痕跡は、マンマルに何が起こったのかを示す物は見当たらない。
しかし、かなり崩れてはいるものの、穴の周りに石が並べてあったのがわかる。マンマルの言ういしとは石像だったのだろうか? 石像が動き出すなど聞いたこともないが、信仰の対象であるというのならばあるいは…、という気もする。
「お前は道祖神としてここに
「どうそしん・は、わかりません」
マンマルは両手の人差指と親指で自分の頭を囲んで言った。
「まんまるは・ただのいしです。ここからうえだけ・が、そとに・でていました」
マンマルはさらに続ける。
「たまに、みず・や・さけを、かけられました……。かこいをつくってくれました……。ちいさなこが、はなをくれました……。まんまるさん・と、よんで、ぺたぺたとたたきました」
「……」
「わたしは、きがつきました」
………
「何に気が付いたのだ?」
……
「わたしが、ここに、いる・と、きがつきました」
……
イシュトバルトは言葉を失う。
(その、小さな子というのは、その子供こそが神で、只の石に意識を芽生えさせたのか?)
「お前はその子供に命を与えられたのか?」
マンマルは首を傾げて言った。
「こどもは、ははおやと、あるいていきました。いのちをくれたのは、あなたではないですか?」
イシュトバルトは再び言葉を失う。
イシュトバルトはは世界の誰より魔法の本質に近づいていると自負していた。だがそれだけだ。物に命を与えたりはできない。
(しかし、言われてみれば、俺が奇跡の顕現に関与したことは間違いない。おそらく、誰が通りかかっても、マンマルは飛び出してきただろうが…)
「いや、俺は神ではない。物に命を与える事ができるとすれば、それは神だ。俺は神がどの様なもので、どこにいるのか知らんが…、神ならぬ身に叶う事ではない」
(マンマルは石像ではないにしろ、人々の信仰の対象だったのだろうか。見たところ、それ程の物ではなさそうだが)
「人々は、ここに集まり、お前に祈りを捧げたのか?」
「ひとが・おおくあつまったことは・ありません。てをあわせるひとは、たまにいた・とおもいます」
(ならば、手を合わせたとしても、験担ぎの様なものだろう)
「しかし、そう言った僅かな思いの積み重ねが、マンマルをこの世に生み出したのだろうか…」
思わず口に出ていた。
「おもいのつみかさね?」
「あぁ、思いとは、即ち魔法。しかし、どれ程多くの思いを積み重ねても、石を人に転ずるなどと言うのは、およそ人の成せる
つい、誰にも話してはならない、誰にも話した事のない魔法の本質に言及したことにイシュトバルトは気が付いたが、口に出してしまったものは、もう取り返しがつかない。と言って、マンマルを殺すつもりもない。イシュトバルトにできる事は、ただ気にした素振りを見せないように、何もなかったように話を続ける、それだけだ。
「大勢が祈る事で石が人に転ずるならば、神殿の神像などとうに歩きまわっているはずだな………。やはり、子供に化生した神がお前に命を与えたのだろうか」
(いや、仮に神が子供に化生していたとしても、子供が現れた時気が付いただけだ。気が付いただけと言っても、石が思考し、意識を持つなどやはり神の御業に違いないが。それから時を置いて、今、石が人に転じたのだ)
イシュトバルトはたった今目の前で起こった奇跡に思いを巡らす。
(マンマルの身に起こった事は、二つの奇跡と考えるべきだ。マンマルの言うことを全て信じるならば、だが……)
イシュトバルトにはマンマルが嘘を吐いているとはどうしても考えられなかった。が、思い込まされている可能性もある。人の記憶を思うままに作り変えるなど、イシュトバルトでもできないが、それでも、神の奇跡よりは現実味がある。
結局何も分からない。
「どこか遠くでお前を見ていた神が、お前に命を吹き込んだのだろうか…」
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