目録番号007 一房の黄金の髪

□□□まえがき□□□

 この目録番号007は、菖蒲あやめ様の匿名企画『落ち込め! メンヘラ短編コンテスト #メンヘラコン https://kakuyomu.jp/works/1177354054885128142』にて、『醜い魔女の胎内から』というタイトルで公開させていただいた作品を改題したものです。


 それでは、皆さま、心ゆくまで我が驚異の部屋に収められました一房の黄金ラプンツェルの髪をご鑑賞くださいませ。






■■■開幕■■■クル、クル、クルリ、と



 深い深い森の奥には、高い高い塔がある。


 その出入り口のない塔の最上階には、それはそれは美しい姫君が閉じこめられていると、まことしやかにささやかれていた。


 はたして、それは真実だろうか。


 今日もまた一人、立派な若者が音に聞こえた姫君にひと目会おうと、森の奥へと姿を消す。



■■■暗転■■■ウフフッ、アハハッ



 さて、音に聞こえた高い高い塔の最上階の一室。

 橙色だいだいいろの西日が差しこむその部屋には、真っ赤な絨毯が敷いてあった。

 鮮やかな赤い絨毯の上には、長く伸びた真っ黒の人の影が踊っている。


 クル、クル、クルリ、と、いびつまりのようなモノを抱えた影は、楽しそうに踊る。


 クル、


 クル、クル、


 クル、クル、クルリ、と。


 踊る影の主は、白い薄絹のドレスを着た美しい黄金の娘だった。

 黄金の奔流である豊かな長い髪をなびかせながら、黄金の娘はつややかな唇から金の鈴の音のような声を紡いだ。


「ばばさま、大好きなばばさま。今宵は、どんな愚かな男が釣れるのか、フフッ……想像しただけで、こうして踊りだしてしまいましたのよ」


 クル、クル、クルリ、と、踊りながら黄金の娘が語りかけた歪な鞠のようなモノ。


   ソレは――


 クル、クル、クルリ、と。


   それハ、美しい――


「ウフフ、アハハッ」


   そレハ、美シい洒落こゥベ――


 クル、クル、クルリ、と。


   それは、美しい髑髏しゃれこうべだった。


「ばばさま、ばばさま、男って本当に愚かな生き物ですわね。フフフ、フフフッ」


   そればばさまは、美しい髑髏しゃれこうべだった。


「今宵は、どんな歌で釣りましょうか。今宵の男は、南の暖かい王国の王子さまですって」


 金の鈴の声で、娘は髑髏ばばさまに語りかける。


「ウフフッ、とても豊かで平和な国ですって」


 黄金の娘は、塔にいながらにして、世間のすべてを知っていた。


 クルクルクルリ、と、まるでその輝く黄金の瞳で見ていたように、髑髏ばばさまに森をさまよっている王子の容姿を語りかける。


「燃える炎のような御髪おぐしに、初夏の萌黄色もえぎいろの瞳。顔は、この前の北国の騎士さまのように、彫りは深くないけども、涼し気な目元に、優しい微笑みがよく似合うわ。ウフフッ、素敵でしょう、ばばさま」


 クルゥリ、と、黄金の髪がスカートのように広がる。その黄金から垣間見えるのは、艶めかしい素足すあし


「アハハッ、さて、そろそろお歌を歌いませんと。情熱的と噂される素敵な王子さまですもの、情熱的な愛の歌で誘ってみましょうか。ウフフッ」


 赤い部屋の中央でピタリと足を止めた娘は、無造作に髑髏ばばさまから手を離した。

 物言わぬ髑髏しゃれこうべを音もなく赤い絨毯が受け止めるさまを、娘は蔑んでいた微笑んでいた


「ウフフッ、アハハッ……」


 踊るような足取りで、黄金の娘は赤い部屋を出て行く。



 ■■■断絶■■■シアワセニナリタイ



 西の赤い部屋の髑髏しゃれこうべを照らす茜色のが、一本残らず消え去れば、赤い部屋は闇に染まる。

 そう、夜が訪れたのだ。


 東の部屋の青の絨毯の上で、豪華な晩餐が始まっていた。

 主の黄金の娘は豪勢な馳走にろくに手をつけず、その黄金の髪で釣り上げた引き上げた客人を見つめていた。

 ばばさまに語りかけたように、南国の王子は情熱的な美しい若者だった。


 美しい黄金の瞳に囚われている見つめられている王子もまた、豪勢な馳走にろくに手をつけられずにいた。


「お口にあいませんでしたか?」


「あ、いえ、そのようなことは……」


 しどろもどろになる王子を馬鹿にしたような短い笑い声にすら、類まれなる楽の音に聞こえてしまう。


 王子の中で、なにかが警鐘を鳴らす。

 この出入り口のない塔の女主人は、危険だと。


 けれども、その警鐘は王子の理性に届かない。


「ウフフッ。食が進まないのなら、なにかおしゃべりでもしましょうか」


 もはや、手遅れであった。

 黄金の娘のかんばせをひと目見た時には――。

 いいや、黄金の髪に触れた時には――。

 いいや、えも言われぬ歌声を耳にした時には――。

 いいや、深い深い森の入り口に立った時には――。

 いいや、出入り口のない塔の最上階に美しい娘が閉じ込められていると噂を耳にした時には、手遅れであった。


 男はもう、黄金の娘に運命を握られている。


 長い食卓の上に並んだ燭台の炎が、怪しく揺れる。

 と、豪勢な馳走が、食卓の上から消えた。


 ゾクリ、と、男の心臓が震えた。


「アハハッ、そんなに驚かないでくださいまし。これはすべて、わたくし魔女のしわざですの」


 黄金の娘のいう魔女のせいならば、と、男は納得させられてしまう。

 食後酒はいらない。すでに、男は酔っていたから。


「フフフッ、それはもう、醜い魔女ですのよ」


 醜い魔女とやらが、この美しい娘を閉じこめているならば、退治せねばならぬ。

 男のうちに投げ与えられた火種は、またたく間に燃え盛る炎となった。――それすらも、黄金の娘の思うがままであったことも知らずに。


「その魔女が、あなたさまをこの塔に閉じこめているのですか?」


「ええ。実は……」


 黄金の娘は、その美しい顔を伏せ、淡々と悲しげに不幸な生い立ちを語り始める。


「わたくしの父と母は、長いこと子宝に恵まれませんでした。いざ、わたくしを身ごもった母は悪阻つわりが酷く、あろうことか隣の菜園のちしゃが食べたいと父にねだったのです。父は母のためならと、菜園に忍びこみましたが、すぐに菜園の主――そうです、主は醜い魔女でした。父は、生まれてくるであろう赤子――わたくしと引き換えに、ちしゃを持ち帰ったのです」


「なんという、愚かな取り引きを……」


 義憤に声を震わす男に、黄金の娘はすべてを語ってはいない。


 それはそうだろう。

 黄金の娘の父は、妻が泣き叫ぶのをかまわず赤子を差し出した夫ではないのだから。もし、娘が不義の子だと知ってなお、男は義憤を覚えることはあっただろうか。

 試してみたいという欲求は、いとも簡単に消え去った。

 男という生き物は、そろいもそろって愚かだと教わってきたからだ。そう、この情熱的な男も、例にもれず愚かに決まっている。


 クスリ、と、娘は笑い席を立った。


「ご安心くださいな。その醜い魔女は去年の冬に死にました。死んでもなお、魔女の魔法のおかげでこうして生きてくることができたのです」


 クル、クル、クルリ、と、男に近づく黄金の娘は、嘘をついた。


 口にするのもはばかられるような仕打ちに耐えかねた黄金の娘が、醜い魔女を殺したのだ。


「ウフフッ、ねぇ、素敵な王子さま、ここまで来るのは骨が折れましたでしょう」


 一挙一動からも目が離せなくなった王子に、妖しく微笑みながら娘は近づく。


 黄金の娘は、囚われの姫君であり、魔女であった。


「アハハッ、わたくしが、その体を癒やして差し上げますわ」


 そっと――それでいて、しっかりと、黄金の娘は男の肩に手を置いた。

 フワリ、と、蠱惑的な香りが立ちのぼる。

 男に残されたわずかな理性は、粉々に砕けてしまった。



■■■幕間■■■オトコナンテ……



 黄金の娘は、赤の部屋と青の部屋の間にある、黒の寝所へと男を招き入れた。


 灯りは、高い位置にある窓から差しこむ星明かりだけ。


 豪勢な寝台の上で、美しい黄金の娘は悦びにわななく楽器となった。

 経験豊富な男の手管によって奏でられるのは、類まれなる肉の悦びにほかならない。

 いや、奏でていたのは、黄金の娘であったやもしれない。初めこそは、男が奏でていたには違いない。だが、男は肉の悦びに酔いしれ、溺れた。溺れてしまった。


 どれほどの男が、黄金の娘の類まれなる肉の悦びに溺れようと、娘はある意味で無垢であった。


 眠る男のかたわらで、黄金の娘は銀の光の雨が降り注ぐ天窓を眺めている。


 囚われの姫君であり、魔女である、二律背反の黄金の娘。

 いいや、そうではない。

 産声をあげるまもなく、醜い魔女の手におちた娘は、運命という名の仕打ちに耐えながらも、魔女の秘術を盗むように学ぶうちに、その心はバラバラに分かれてしまった。


 静かに見上げる娘の心は、どのようなものだろうか。

 黄金の瞳は凪いだ夜明けの海のようで、底知れぬ闇をたたえた深淵のようだ。


 醜い魔女ばばさまを慕い、その教え通り愚かな男たちを破滅させ続けたいという残忍な心。

 塔の外で、盗みとった魔法が通用するのか、試してみたいという純粋な心。

 ばばさま醜い魔女には、とうてい得ることもできなかっただろう快楽に身を任せたい心。

 人並みの幸せを求める心もまた、黄金の娘の中にはあるのだ。

 バラバラに分かれてしまったが、その全てが矛盾しながらも黄金の娘の心のありようであった。


「馬鹿馬鹿しい」


 皓々こうこうと輝く月に向かって投げかけられた独り言は、いったいどの心が吐き出したのだろうか。


 黄金の娘は、魔法のおかげで世間のすべてを知りながら、何一つ知らないまま、今宵も夜が更けていく。


 そんな無垢な娘であったが、確かなことが一つだけ。


 やおらその身を起こした黄金の娘は、男の腹にまたがった。


「アハハッ……」


 男とは、なんと愚かな生き物だろう。

 泥のように眠る男を見下ろして、黄金の娘は暗く暗く笑う。


「ウフフッ……」


 男とは、なんと汚らわしい生き物だろう。

 体液にまみれ緩みきった寝顔を晒す男を見下ろして、黄金の娘は悦に浸る。


「フフフッ……」


 男とは――


 黄金の娘の手には、幾人もの男の命を刈り取ってきた短剣があった。

 朝日のが差しこむ頃、男の心臓を短剣で一突き。

 それが魔女から教わった、一夜をともにした男へのお礼であり、贈り物であった。


 いつもなら、まっすぐ振り下ろされる短剣であったが、その朝は違った。


 娘は、知っていた。

 すでに、幾人もの男が帰らぬことに、この塔のある森が、忌まわしく語られていることを。


 娘は、恐れていた。

 いつか、男どもが寄りつかなくなることを。


 迷いは、つかの間だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。

 永遠のような静寂の時は、黄金の娘の楽しげな笑い声によって破られた。


「フフフッ、いいことを思いついたわ」


 男の心臓に振り下ろすはずだった短剣で、娘は黄金の髪を切った。

 バサリ、と。


 そうして、愛おしそうに眠る男の胸を撫でる。

 確かに、娘は男を愛おしんでいたかもしれない。だが、それは残酷な愛情であった。そう、まるで虐待するために与えられた愛玩動物に向けられた、惜しみない愛情のようであった。


 しばらくして、黄金の娘は若者を起こさないように、そっと寝台を抜けだした。


 クル、クル、クルリ、と、黄金の髪と踊りながら、赤い部屋に向かう。


「フフフッ、塔の外には愚かな男たちがたくさんいるもの」


 クル、クル、クルリ、と、部屋の中央に置き去りにした髑髏ばばさまを拾い上げる。


「アハハッ、大嫌いな大好きなばばさま、お別れね。わたくし、もっともっと、愚かな男たちを破滅に導きたいの」


 クル、クル、クルリ、と、窓際にやってきた黄金の娘は、男を釣り上げるための釣り糸でしかなかった黄金の髪と、物言わぬ髑髏しゃれこうべを窓の外に投げ捨てる。


「ウフフッ、アハハッ……」


 クル、クル、クルリ、と、新たに生まれ落ちたありのままの姿で踊りながら、黄金の娘は男の目覚めを待った。


 あとは、黄金の娘以外は見えなくなってしまった男とともに、塔を出ていくだけ。


 クルクルクルリ、と、黄金の娘――あるいは、悪しき魔女は、無垢な笑みを浮かべながら踊る。



■■■  ■■■ミンナフシアワセニナレバイイ



 世間はまだ、醜い魔女の胎内塔の最上階から、哀れな悪意が生まれ落ちたことを知らない。

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