目録番号003 歪な種子

 西暦3458年現在、僕ら人類を支配するのは、権力者でも国家でも宗教でも、もちろん神でもない。

 支配しているのは、地球。それから、思想だ。

 全人類ひとりひとりに割り当てられた一日8時間の奉仕義務さえこなせば、あとは思想共同体コミュニティでこの上ない有意義な時間を過ごす。

 僕はまだ、所属する思想共同体コミュニティを定めていない若者だった。




 思想共同体仮想空間から現実に戻ってくると、吐き気を覚える。狭いベッドの上で、ぼんやりと灰色の天井を眺めていれば、すぐに収まる程度の吐き気――のはずだった。


「気持ちわ……うっぷ」


 うなじにあるコネクタを乱暴に引き剥がして、トイレに駆けこむ。

 今日は吐き気どころではない。

 便器に苦い胃液を撒き散らしている間も、ずっと体内のバイタルデバイスが警報を鳴らしている。

 どうせ、トイレから出たら中身もわからないカプセルを飲めと指示されるだけだ。


 実際、その通りになった。


 奉仕の時間までまだ少しある。

 再びベッドに横になって、ただぼんやりとやり過ごすだけの時間はある。

 僕に割り当てられた灰色の無機質で無個性な居住空間は、否が応でも人類の過去の過ちを突きつけてくる。

 人類を支配する絶対的存在地球を、ボロボロに破壊しつくした人類の過ちを償うために、僕らは地球のために奉仕し続ける。

 生殖適齢期の僕の奉仕活動は、割り当てられた相手との性行為だ。

 どういう仕組みで割り当てられているかは、興味ないし、知りたくもないが、あまりにも相性がよすぎて、まだ8回しか奉仕活動していないのに、正直げんなりしている。


 クセのある金髪に、タレ目がちな青い目。張りのあるなめらかな肌に、笑うと白い八重歯がちらりと見える潤んだ赤い唇。それから――


 奉仕活動の相手を思い浮かべただけで、性欲を押さえるのが難しくなっている僕自身に、嫌悪を抱くなという方が無理だろう。


 まだ特定の思想共同体コミュニティに所属しているわけではないが、過去に何人か共感とは違う恋愛のような感情を抱いた相手はいる。

 思想共同体偽りの世界でしか、触れ合うことのできないのが苦しくて、僕はもう二度と恋愛などしないと心に決めている。


 そう、僕ら人類の体や頭脳は、ボロボロになった地球を修復する奉仕活動に一生を捧げるが、心だけは自由だった。

 思想共同体コミュニティは、偽りの世界だ。

 主義思想の数だけ存在する思想共同体コミュニティ

 博愛主義や、個人主義、わかりやすいものからわかりにくいものまで、主義思想に共感した一つの思想共同体コミュニティに所属する。普通、なら。

 僕はまだ、これだという主義思想に出会っていなかった。そう、過去形だ。


「美食主義、か」


 先ほどまで、ビジターで訪問した奇妙な思想共同体コミュニティのことを思い返す。

 実際、食事に関しては、すべて与えられる味気ない合成品ばかりで、食にまつわる主義思想など荒唐無稽だと考えていた。

 もちろん、制限などほとんどない仮想空間で、食の仮想体験することを主体とした思想共同体コミュニティがあるくらいだから、存在自体は奇妙というほどでもない。


「あれは、なんだったんだろうな……」


 と、奉仕活動の始まりを告げるアラームとは違う電子音がなった。

 滅多に耳にすることのない無機質な音に驚いて状態を起こすと、先ほどカプセルと飲料水が排出されてた灰色のテーブルの上に、ことりと黒い箱が排出された。


「ああ……っ」


 心がわななく。

 美食主義の思想共同体コミュニティから贈り物に、僕の心は歓びに震えた。


『奉仕活動の時間です。今から……』


 憂鬱なはずの無個性なアナウンスにも、僕の心は暗い歓びに満たされた。





 僕が同じ思想共同体コミュニティを訪れるのは、これが初めてだった。


 仮想空間偽りの世界のレトロな美しい街並みのカフェテラスに、僕はいた。

 白いテーブルを向こうには、ベストのボタンが弾け飛ばないか心配になる老紳士が。


「では、我が思想共同体コミュニティに歓迎いたします」


 人のいい笑みを浮かべた彼と握手を交わす。

 僕は生まれて初めて、思想共同体コミュニティに所属することの意義を知った。

 孤独感がみるみるうちに拭われていく。

 あたりは、豪華な食事が並ぶ歓迎パーティーに様変わりしていく。

 同じ思想を分かち合った人々が、僕を祝福してくれる。

 鳴り止まない拍手に、得も言われぬ高揚感に浸っていると、老紳士が真っ赤なドリンクで満たされたグラスを僕に差し出してきた。


「それで、贈り物はもう使いましたかな?」


「ええ、もちろん」


 贈り物種子は性行為のパートナーに使った。


 老紳士とグラスを鳴らす。


「今から、食べるのが楽しみでしかたありませんよ。どんな実ができるのか、想像しただけでもう……」


「それは何よりです。わたしのパートナーを、、わたしも嬉しいですよ」


「では、失礼のないように、しっかり味あわせてもらいます」


 なんて素晴らしい思想共同体コミュニティだろうか。


 現実で僕らと同じ人類が、こうして豪勢な料理となってる。人類それを美味しくいただくことができるなんて、最高ではないか。しかも、食べられる側は、このグラスの中でもしっかりと自意識をもっているというのだから、たまらない。


「ふふふっ、僕のパートナーはまだ味わえないから、またあなたのパートナーの感想をお聞かせ願えませんか?」


「喜んで……」


 彼が直接パートナーから聞いたという悪夢のような捕食体験の話。


 僕も早く、現実で相性のいい彼女の魅力的な口から聞きたいものだ。

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