裸足のお姫様の時間

 パピコは、家族に囲まれて自分の部屋にいた。

 大きな鉄製のハンコを持って、三人とも怖い顔をしてベッドで横たわるパピコを見下ろして立っている。


「お母さん、お父さん、話を聞いて!」


 こんなことしちゃダメだって、言いたかっただけなんだよ。

 みんなが犯罪者のままでいるのを、止めたかったんだよ。


「ごめんなさい、一度でも間違いを犯したものは、烙印を押さなきゃならないの」


 両親はパピコと取り合おうとしなかった。

 彼らにとっての間違いは、パピコにとって正義だというのに。


「パピエル、助けて」


 パピエルに懇願したが、彼はパピコの顔を見ようともしなかった。

 パピコは泣いていた。

 こんなに泣いたのは、初めてかもしれない。

 パピコはそれだけ、荒波の立たない環境で生きてきた。


「これを押すとどうなるの? せめて教えてよ」


「知らない方がいい。お前のためだ」


 さっさと事をすませようとする父の目には、娘に対する情はない。


「父さん、今日はまずいよ」


 烙印がパピコの腕に押される寸前、パピエルが言った。


「あ?」


「今日は満月だ。明日にしよう」


 パピエルがカーテンから時々ちらつく満月を見上げる。


 父は、やむを得ず撤収作業を始めた。

 パピコの部屋は、一瞬でもぬけの殻となった。


 今、何時なんだろう。

 恐怖で泣きつかれたパピコは、どっと緊張が解けて急激な眠りに襲われた。


「パピコ」


 耳元で囁き声がした。


 目の前にパピエルがいた。


 助けてくれたんだ。

 パピコは、とっさにそう思った。


「やっぱり、パピエルは助けてくれると思ったよ」


 パピコは教会でお姫様抱っこされていた。

 外に連れ出してくれたらしい。


 大変なリスクがあっただろうに、パピエルの勇気ある行動にパピコは感謝した。


「もう二度と、うちには戻ってくるな。できるだけ遠くに行け」


「私、裸足だよ?」


「買えばいい。そのためには働くんだ。お前はまっとうに生きてくれ」


「パピエルも一緒に逃げようよ」


 パピエルは、何も言わずに、腕まくりをした。

 肩のすぐ下のダイヤモンドの刻印を見て、パピコはハッと息を呑んだ。


「もう行かなきゃ。体に気を付けろ」


 行かないで!

 パピコの内なる叫びが届いたかのように、パピエルが振り向いた。


「音楽を続けろ。お前が弾いたピアノは絶対に気づくから」


 ありがとう。

 パピコは、パピエルにきちんとお礼を言えていなかったことに、気が付いた。


 パピコは、そのまま教会で眠りについた。

 朝起きると、パピコは教会の外に出て、朝の空気を吸った。

 そして、自分の存在を確かめるように、歌を歌った。


 鳥さん、おはよう! 

 風よ、空よ! おはようございまーす!


 ご飯もないけど、生きています!

 靴もないけど、私はここに立っています!


「お嬢さん?」


 ドキッとした。

 振り向くと、神父が立っていた。


「君、いい声してるね。聖歌隊に入らんか?」


 神父さんからスカウトで、パピコは聖歌隊としてアルバイトで働かせてもらえることになった。


 そこから色んなバイトをして、住むところを手に入れた。

 ワンルームで前の自分の部屋より狭かったが、とても気に入っていた。


 自分で学費を稼いで、音楽大学に入った。

 ピアノ科と迷ったが、パピコは声楽科を選んだ。


 いつかこの声が、パピエルの元に届きますように。

 元気でやってる? 

 私は元気だよ。


 手紙を出せない分、この〝声”を届けよう。

 パピコはコンクールに出て、賞を取り、コンサートを開いて、CDを出して。

 どの段階でパピエルに届くか分からないが、やってみよう。


 いつも家にいたパピコにとって、何かに挑戦するのも初めてで、挫折を経験するのも初めてだった。


 歌唱コンクールで、途中で頭が真っ白になってしまった時、ショックと共に、どこか少しほっとした。

 自分はまっとうな人間なんだって思えた。

 ドキドキせずに、何も感じることなく盗みをする家族とは違うんだ。


 そう思うと、パピコは涙が出てきた。うれし涙なのか、悲しい涙なのか、自分でも分からなかった。

 でも、家族と比べて自分の正当性を確かめるなんて、まともじゃないなと自分を責めた。


 炭水化物メロディーは、ここから流れ始める。

 サリーという相棒もできた。

 ずっと独りぼっちだったパピコにとって、そばにいてくれるだけで幸せだった。


 サリーとは、初めて、パピコの言葉で、会話ができた。

 赤の他人なのに、不思議な気持ちだった。

 家族と話すときの方が、ずっと他人行儀だった。


 サリーと出会って、パピコはようやく、本当の自分に出会えたのだ。


 あまりに幸せすぎて、パピコは家族のことを忘れていた。


 ここに戻ってくるまでは。


 パピコは、和やかな朝食風景を見せられながら、いつ本題を切り出そうか、タイミングを伺っていた。

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