G線上のアリアの時間

 四人は車でN美術館まで行く。

 無論、この車も、先週三人が盗んできた車だ。

 事が済んだら乗り捨てるらしい。

 そしてまた、新しい車を奪い取る。


 いつかボロが出るんじゃないか。

 そんなパピコの心配は、杞憂に終わる。

 三人は、手際がよく、器量が良かった。


「お前を一人前に育てながら仕事をするのは並大抵じゃない。暫くの間は見て学べ」


 そう言い、林の中に車を捨てた。


「ここからは歩きだ。ぼやぼやせずに着いてこい」


 一行は、一言も喋らず、美術館まで行った。

 いつもなら家にいるパピコは、バテるのが早かった。

 しかし、疲れた、ちょっと休もうと言えるような雰囲気ではなく、唇を噛み締めながら、歩き続けるしかなかった。


 なるほど。パピコは、日頃からアットホームな家族の雰囲気が流れない理由が分かった気がした。

 流れないのではなく、流さないようにしているのだ。〝本番”のために。


 車の中で、変装をしていた母親だけが、杖でトントンと地面を叩きながら、表から美術館に入る。

 父は裏口に回り、パピエルは、パピコの手を取り、母親から遅れること五分後に、美術館に入った。


「恋人同士のふりをしろ」


 パピエルが小声で言った。

 チケットを二人分買うと、パピエルは恋人繋ぎをしてきた。


 パピコはこれから起こることへのドキドキと、今の状況のドキドキが重なって、そわそわしてきた。


「キョロキョロすんな」


 母の姿を探していたパピコは、パピエルに怒られた。


 その頃母は、受付スタッフに、目当ての絵画の在りかを訊ねていた。


 柔らかい物腰で、全盲を装い、自分を案内させるよう仕向ける。

 二人がかりでその絵の前まで連れてきてもらった母は、深々と礼を言った。


「ありがとう。ここで大切な人と待ち合わせをしているの」


 母は、後ろのベンチに腰掛けた。その時、スタッフの二人が妙な違和感に気が付いた。


「いえいえ。どうぞごゆっくり。また何かお困りがなんなりと申しつけください」


 そう言って引き下がると、スタッフの一人が、まだ何も気づいていないスタッフに、耳打ちをする。


 怪しいですよ、本当は目が見えるのでは? 

 といった風に。


 だがそれは母の狙い通りだった。


 時間通り、パピエルが母の腰掛けるベンチに座った。


「あなたが取引相手かしら?」


「はい?」


「失礼、人違いのようだわ」


 会話はそれだけだった。パピエルは、パピコの顔を見て不審そうな顔を作り、その場を離れた。


 パピエルは、そのまま出口に向かった。受付スタッフの二人に、気がかりなことがあると言い、母のことを話した。


 スタッフ二人は、顔色を変えた。一人は無線でどこかに連絡を取っている。

 こうして、美術館全体に母包囲網が確立された。


 パピコとパピエルの二人は、言うことを言うと、一旦美術館を出た。


「さあ、停電の時間だ」


 パピエルが美術館を振り返って言った。


 スタッフ皆が母のもとに駆けつけるなか、母は叫び声を上げながら、人差し指一本で、来る人来る人を倒していった。


 美術館の外から、パピエルが母の動きを解説してくれた。

 母は、人差し指一本だけで仕事をするらしい。

 いつもの大人しい母からは、想像がつかない。


「G線上のアリアね」


 音楽とは無縁のパピエルには、その真意は分からなかっただろう。

 だが、パピエルがパピコにそれを聞いてくることはなかった。


 母が軽々スタッフをひねりあげている間に、裏から忍び込んでいた父が、絵画を盗むことに成功した。

 混乱を抜け出し、両親は堂々と正面玄関から出てきた。


 その時、母が玄関で誰かにぶつかった。

 人差し指で眠らせようとした時、体格から相手がまだ子供であることに気がついた。


 母は、人差し指を自分の口元にもっていった。


「シー」


 パピコはその隙をついた。


 父から盗んだ絵画を奪い取り、子供に渡した。


「お前、何してる!」


 警報器がなる。もはや、じたばたしている暇はなかった。

 四人は、手ぶらのまま帰宅した。

 帰りの車も、やはり母が人差し指一本で運転手を車の外に追い出したのだった。




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