週末盗賊の時間

「しばらく見ない間に真っ黒になったな」


 パピエルが自分に話しかけてきたのだと思い、パピコはドキッとしたが、パピエルは、トースターを開けて、焦げた食パンを取り出すところだった。


「なぁ、少し太ったんじゃないのか?」


 自分に向けられた言葉だとは思いたくないが、これは確実にパピコに向けられた言葉だろう。

 起きてきたばかりの父が、パピコの体型をジロジロ見ながら言った。

 ダイエットをしているとはいえ、炭水化物メロディーが流れて毎食きっちり炭水化物を採ってから、パピコは何回りも大きくなってしまった。


「お父さんこそ、少し寂しくなったんじゃないの?」


 パピコはそう言って頭の方をさする。


「お前、言うようになったな」


「何が食べたい?」


 台所から母が、焼き立てのパンを持ってきてくれた。


「もやし」


「もやし? もやしパンは作ってないなあ。ごめんね?」


「ううん、今ね、ダイエット中で、主食をもやしにしてるの」


 言いながら、パピコは内心流れるような会話に驚いていた。

 パピコがこの家に住んでいた頃は、会話はほとんどなかったのだ。

 会話と会話の、〝間”の空気で、会話をしていることが多かった。


「お父さんもお母さんも、体は大丈夫なの?」


「ええ、まだ現役よ」


「まだ週末に行ってるの?」


 母は、空いた皿にクロワッサンとメロンパンを入れて、父に差し出しながら、静かに頷く。

 それを見て、パピコの心に重たい鉛が沈んでいく。


「パピエルも?」


「そうだよ。お前はずいぶん差をつけられちまってるぞ」


 母の作った、お店屋さんのような出来栄えのパンを食べることなく、わざわざ焼きすぎた黒焦げの食パンを食べるパピエルは、我関せずを貫いている。


 パピコは、グランドピアノがなくなっていることに気が付いた。


「ねえ、あのピアノはどうしたの?」


「ああ、あれね」


 母が言いにくそうに顔を歪める。


「捨てちゃったの。パピエルに頼まれて」


「え?」


 パピコが見ると、パピエルは食べかけの食パンを置いて、自室に戻ってしまった。


「パピエル、私のピアノ、嫌いだったのかな」


 パピコが呟くと、母がパピコの頭を撫でた。


「そんなことないわ。でも、あの子は難しい子だから」

 パピコは、鍵を締められたパピエルの部屋のドアを見つめながら、あの日のことを思い出していた。


 あの日、パピコは、パピエルが家にいるのにも関わらず、掟を破って、ピアノを弾いた。

 パピコのピアノを聴いて、パピエルが涙を流したという話が、忘れられなかったからだ。

 高校になってからは、パピエルは週末以外は、自室にこもりきるという生活を送っていた。

 食事も、自室で取るようになっており、パピコとパピエルが顔を合わすといえば、トイレや入浴をする際、鉢合わす程度になっていた。


 そのため、家の中でのパピコの話し相手といえば、パピコが弾くピアノだけだった。

 それも、条件付きでないと話し相手は現れない。


 パピコは、兄がどうして変わってしまったのか、知りたかった。

 そして、もう一度、双子として兄と話がしたかった。

 おもちゃの取り合いで、おやつの取り合いで、喧嘩がしたかった。


 パピコは、音楽の虜になった入り口である、ショパンの曲を弾いた。


 だが、そのドアが開くことはなかった。

 夜になると、帰宅した両親に寝室に呼ばれ、ピアノを弾いたことの注意を受けた。

 パピエルが告げ口をしたのだ。

 このことは、パピコにとって、大きなショックだった。


 両親は疲れきった顔でパピコを咎めていた。

 それがなんだか、約束を破ったこと以上に、悪いことをしているような気分になった。

 パピコは、一言詫びを入れようと、寝る前に寝室に立ち寄った。


 ノックをする直前、パピコの動きが止まった。

 中から話し声がしたからだ。


 パピコにとって夫婦の会話は新鮮だった。

 だからつい、聞き耳を立ててしまった。


 二人は週末の予定を話しているようだった。

 N美術館を狙おうとか、あそこの絵画は高くつく、とか、話している内容が、首をかしげるものだった。


「お前、何をしてる?」


 背後から急に声をかけられ、パピコは、ひゃっと、声を上げてしまった。

 パピコはパピエルに自室に連れて行かれ、ドアを開けた両親に見つかることなくすんだ。


「話を聞いたのか?」


 パピエルが言った。

 久しぶりに、兄の声を聞いた。

 それも、自分に話しかけている。

 パピコは、胸がときめいた。


「わざとじゃないの」


 パピエルは、ため息をついた。

 意を決したように、この家の秘密について、淡々と打ち明けた。

 もしこういう状況になったら、全てパピコに打ち明けよう、と思っていたのかもしれない。

 パピコはうまく言えないけど、そんな気がした。


 パピエルが説明するのを聞きながら、こんなに説明が上手だったんだ、とパピコは話の的から外れたことを考えていた。

 パピエルが話すことが、我が家のことだと思うのが難しかったからだ。


 パピエルが言うには、自分たちの家は、代々伝わる盗賊一族であるらしく、週末に、美術館や博物館、豪邸を襲撃して、金品を盗んでいるようだった。


「でも、何で私だけ蚊帳の外なの?」


「この仕事を継ぐのは、俺だ。お前には関係ない。どんくさいお前には、とうてい出来ない仕事だろう」


「そんなことやめなよ。パピエル、ちっとも幸せそうに見えないよ」


「幸せとか、そんなのはどうでもいい。これは使命だ」


 そう言いきる兄の目の奥底は、暗く沈んでいた。


「使命って何? 信頼できる友達がいて、気にかけてくれる人たちがいて、そういう人たちを裏切らないように暮らしていくのがこの世の使命なんじゃないの?」


「だから」


 パピエルが呟いた。


「え?」


「だから、お前じゃなくて、俺なんだよ」


 パピエルは、寂しそうに、情けなさそうに笑っていた。


 パピコは、部屋に戻ってからも、なかなか眠れなかった。

 後にも先にも、兄と一番長い会話をしたのは、その時だった。


 週末になり、いつものように両親とパピエルを玄関から見送るとき、パピコは思い切って、


「私も行く」


 と言ってみた。

 パピエルは目を見開いていた。

 何を言い出す、とけん制する目を向けている。


「私も、お父さんたちのお仕事、手伝いたい」


 両親は、顔を見合わせていた。


「お前、やっぱりあの時、聞いていたね?」


 パピコは頷いた。


「よし、今日からお前は見習いだ。家族全員で、行くぞ」


 パピコは、笑った。


 パピコには、作戦があった。

 パピコは決して盗賊になるつもりはなかった。


 パピエルには、それが分かっていたようで、複雑な顔を作っていた。

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