キリコはキリコでいいんだよ、と伝える時間

 最近になって、テヌートが、極度にスタッカートを避けたり、嫌がったりするのが目につくようになった。


「親の態度が子供にも移ってるのよ」


 バキューム先生が言った。あのカツラ事件以降、テヌートのお父さんが、スタッカートの見送りをしたりすることはなくなった。スタッカートに対し、子供とはいえ恨みの念が消えないのだろう。


 スタッカートは手当たり次第、遊び相手を探し歩いているが、


「うーん」


 と、色好い返事がもらえていない。

 するとアシスタントのウララ先生が、トランプを募って、スタッカートと他の子供たちと一緒に遊んでくれたので、パピコは一安心した。


「ウララ先生は、私とアウンの呼吸で働いてくれるので、本当に助かるわ」


 バキューム先生の言葉は、時にドロッとパピコの心にまとわりつき、砂のようにさらっと流れていかない。

 パピコとしては、それが泥ではなく砂だと思い込むしかなかった。


 パピコはスタッカートとテヌートから目を離し、教室の隅で一人で遊んでいる女の子に声をかけた。


 幼稚園に来てから、問題行動を起こす子どもに関わりがちで、大人しくて目立たない子への対応が疎かになりがちなところを、パピコは時折バキューム先生に注意されていたのだ。


「何してるの?」


 女の子は、大きな水晶玉を手で押さえて、じっとしている。


「うらない」


 パピコはアタルを思い出した。この世は占いブームなのか?


「ふうん。何占ってるの?」


「今日、先生にキリコちゃんが怒られるか、怒られないか」 


「へえ」


 パピコは特に印象のなかったその女の子に、変わり者認定をした。

 そして、こっそりダルセーニョと名付けることにした。

 はい、インプット完了。


「占った結果はどうだったの?」


「ひみつだよ」


 さては、外れるのを恐れているな? ダルセーニョが口のまえで立てた人差し指が、パピコのつっつき精神に火をつけた。


「でもねぇ、いざ占い師で生計を立てようとしたら、ひみつじゃ許されないよ? 自信があってもなくても、説得力をもって、お客様に信頼されるように占わなくてはならないからね?」


 ダルセーニョがぽかんとしていると、遠くの方で、スタッカートがウララ先生に暴言を吐いたり、暴力を奮っていた。バキューム先生は、席を外している。


 パピコは、占い師の卵とアイコンタクトをとった後、スタッカートをクールダウンさせに行った。


「やめろくそババア」


「ババアじゃないわよ、ジジイよ」


 ジャブを交わしながら、リングにタオルを投げ込む。

 事の発端は、テヌートがスタッカートのことを、面白がってカマキリと呼び始めたことだった。

 ひらひら組では最近、友達の名前を好き勝手に変えて、変なあだ名で呼ぶのが流行っていた。


「あーあ、キリコはキリコじゃなければよかった」


 落ち着きを取り戻したかと思えば、スタッカートがボソッと独り言のように呟いた。

 投げやりなスタッカートの台詞に、パピコはショックを受けた。咄嗟のことに、何も言えなかった。

 この年の子から出てくる言葉とは到底思えなかった。

 パピコが手をこまねいている中、ウララ先生が、バキューム先生を呼んで戻ってきた。


 バキューム先生にそのことを話すと、彼女は、子ども理解には、本人のバックグラウンドを知るのが必要不可欠だと言った。

 バキューム先生いわく、スタッカートには、障害を持つ姉がいた。普段、親はスタッカートよりも、どうしても姉の方に手をかけてしまい、寂しい思いをしているようだ。


 なるほど、先ほどのスタッカートの台詞は、人一倍愛されたい気持ちの裏返しなのだ、とパピコは納得した。


「キリコちゃん」


 パピコは、ふて寝をしているスタッカートのそばにいき、背中をさすってやった。

 スタッカートは、パピコに抱っこをねだってきた。抱っこしてやり、優しい声で、伝えたい言葉が、一ミリも誤解のないよう、細心の注意を払ってしゃべった。


「先生ね、昔はすっごく細かったんだよ」


「ふうん」


「だからね、太ってからは、太った自分が嫌いだなって思ってたんだ。太ったことで、色んな嫌な思いをしたからね」


「たとえば?」


「うーん、そうね。体のことで悪口言われたりとか。でもね、今は、私は私でいられてよかったって思うんだ」


「どしてえ!」


「それはね、本当の先生を、分かってくれる人ができたからだよ」


「ふうん」


「どうしたらそういう人に出会えるか、キリコちゃんにも教えてあげる。あのね、人間は、鏡なんだよ。自分が優しくしたら、人も優しくしてくれるし、自分が意地悪したら、相手も意地悪してくるんだよ? だからね、自分にとって大事な人を作るには、まず自分が、周りのお友達のことをちゃんと見てあげて、わかってあげて、大事にしなきゃならないの」


 スタッカートは何も言わなかったが、バキューム先生が、一言パピコに言った。


「でかしたわ。自己肯定感を育てるのは、一番必要なことですから」


 初めてバキューム先生から褒められて、パピコは天にも昇る気持ちになった。


 ウホウホウホッ


 すっかり逆上せ上ったパピコが、ゴリラの舞を踊っていると、クラスで本を本でいた男の子たちから、


「先生、静かにして」


 と、クレームを受けた。


「す、すいません」


 子どもに注意をされてしょんぼりしていると、占い師の卵こと、ダルセーニョがパピコのそばにやってきた。


「先生、先生は先生でいいんだよ」


 その一言に、パピコは救われた。


「ありがとう!! 本当にありがとう」


 パピコがダルセーニョの手をぶんぶん振り回すと、


「先生、キリコちゃんに、占いの結果を教えてくるね」


 と言われた。


「待って!」


「え?」


「占いの結果よりも、今の言葉を、キリコちゃんにも教えてあげて、その方が絶対に喜ぶから」


 ダルセーニョは、話が見えないという顔をしていたが、


「うん、わかった!」


 と言って、スタッカートのところに行った。


 水晶玉越しに見ていたスタッカートが、今はどう見えているのだろう?


 水晶玉を見ていた時のように、前後左右、色んな角度から、スタッカートのことを見てあげてほしい、とパピコは願いながら見守っていた。


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