婚約破棄の時間
あの事件以来、サリーは広島にある実家に戻っていた。
息子の出戻り話を聞いた両親は、息子に同情をするどころか、息子の女々しさを嘆き、パピコを憐れんでいた。
「あんたぁ、いくつだと思っとるん? はぁ28になるんよ? 10代の男の子でもないのに何を言うとるん?」
と母が言えば、寡黙な父も、母を援護射撃し始める。
「そんなんでいちいち泣きついてくるとは情けない。そんなんじゃいつまで経っても結婚なんかできんな」
サリーは、ぐっと拳に力を入れて堪えた。
『結婚』は、自分の前では禁句のワードのようになっていた。
それをサリーが戦える武器を持っていない時に言うのは、ちょっと違うんじゃないかとサリーは思った。
「なぁあんた、結婚もそうだけど、就職活動はしとるん? 30になるまでには、定職に就いてほしいんよね。あたしらも、この年まで息子に説教なんてしたくないんだけど、心配なんよ。親じゃけぇね」
以前に比べて目元の皺が増えたように見える母の言葉が、サリーの中に重く、深く響いていく。
しょんぼり肩を落とすサリーに、父が追い討ちをかける。パピコと出会う前まで一緒に暮らしていた頃は、ほとんど言葉を交わすことがなかったことが嘘のようだ。
「お前、来月はクリスマスだというのに、ここにいる気か?」
「いたくねえよ、こんなところ!!」
父はきょとんとした顔をしていた。
母も驚き、サリー自身も自分の口からそんな台詞が出てきたことに驚き、脈拍が急上昇している。
今まで父親とぶつかったことなどなかった。
それが今、サリー一家は異様な空気に包まれている。
その日の夜、サリーの部屋に母がおむすびを持ってやってきた。
「ねぇサリー、お父さん、そんなつもりで言ったわけじゃないんだよ」
ふて寝をしていたサリーの頭を撫でながら、母が言った。
自分は何歳なんだろう。サリーは未だにこの展開を期待している自分にため息をつく。
「分かってる」
「そう。あの人、不器用な人だもんね」
「父さん、何か言ってた?」
「何も。でも、あんたのこと気にしてるよ」
「何で分かるの」
「見てたら分かるよ。あんただって、パピコちゃんのこと、見てたら分かるだろう?」
サリーは起き上がって、何も言わずに母が持ってきたおむすびに手を伸ばす。
母は、大事な話をする時はいつも、おむすびをにぎって持ってきてくれる。とても変だけど、そのおにぎりを食べる時が、自分が母の子だと感じる一番の瞬間だ。
「パピコちゃんの話だけど」
そう切り出し、母は、おにぎりを食べるサリーに優しい眼差しを向けながら、柔らかい言葉で言った。
「パピコちゃんのその時の本当の気持ちは彼女にしかわからないけど、自分が信頼した子なんだったら、信じてあげてもいいんじゃない? 自分のことを思いやってくれたからこそ、彼女がそういう行動に出たんだって」
信じきれないのは、自分の未熟さのせいなのか。
パピコのことが大好きでたまらないからか。
母が部屋から出てドアを閉める音がした時、サリーは決心した。
サリーは布団の中でスマホのネットでアルバイトを探し、翌朝すぐに電話をかけ、面接に行った。
父は再び寡黙な父に戻っていたが、息子の久しぶりのスーツ姿を見て、何事かと目を見張りながらサリーの動向を母に聞いていたらしい。母が笑いながらサリーに教えてくれた。
合否の連絡はすぐにきた。結果は合格で、明日からにでも来てほしいとのことだった。コンビニのレジと品だしだ。
死ぬもの狂いで働き、そのお金で指輪を買った。
サリーはパピコとの婚約指輪を、まだ渡していなかった。
一ヶ月間分のアルバイト代で買った指輪で、本物の石は買えなかったが、何故だかサリーには、喜びの舞を踊るパピコが目に浮かんだ。
サリーは、寝に帰るような形で、朝早く家を出て、夜遅く帰っていた。
そんな息子の姿を見て、両親は、
「少しは休んだら?」
と声をかけてくれるようになっていた。
自分が変われば周りも変わることをサリーは実感した。
明日はクリスマスイブ。
サリーは両親に、パピコの元に戻ることを打ち明けた。
両親は、二人で乾杯しなさいと、ワインを手土産に持たせてくれた。
自分のアルバイトに精進する姿に胸を打たれている両親を見ていると、パピコとの出会いは墓場まで持っていこうとサリーはひっそりと決意した。
パピコのように、下着泥棒じゃないからオッケー♡ とはいかないだろう。彼らを絶望させたくない。
サリーは、その一心で、息子の成長に喜ぶ両親の顔を目に焼き付けた。
サリーはパピコを驚かせようと、サンタの衣装を来て実家を飛び出し、電車に乗った。最寄り駅から、一つひとつの景色を、堪能しながらパピコのアパートに向かう。
アパートが見えた時には、留守にしていたのはほんの少しの間なのに、懐かしく感じられる。
その時、アパートからパピコと見知らぬ男が出てきた。
二人は、サリーには気づかずに、ゴミを出してそのままどこかに出掛けた。
あまりの不意打ちに、サリーは声をかけることもできなかった。
パピコが出したゴミに近づく。
誰かが、中身を見ろと囁いた気がして、ゴミ袋を開けた。
サリーの私物がすべて、そこに詰まっていた。
これは、どういうことだろう?
二人を追いかけたいのに、サリーは足が動かなかった。
「ねぇママ、サンタさんがゴミ捨てるところにいるよ。見てみて、ゴミをあさってる」
「しっ 見ちゃダメ」
通りすがりの親子の会話など、サリーサンタの耳には届かなかった。
ゴミ袋を物色していると、室内デモ行進で、筋トレバカなサリーを目覚めさせようとして着てくれたワンピースも見つけた。
パピコがサリーに着せて、似合うと誉めてくれたワンピース。
サリーは躊躇なくサンタの衣装を脱いで、ワンピースを着た。
子どもが見ていることなどお構い無く。
涙がサリーの頬をつたう。
その時、警官から声をかけられた。
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