クリスマスの時間

 昨日のイブは朝のカフェから夜のイルミネーションまで、一日フルコースデートだったのにも関わらず、クリスマス当日も、朝から地獄のランニングが待っていた。


 鬼コーチなんてもんじゃない、もはや鬼よ!

 パピコは、最後までスピードを落とさずに自転車で追いかけ回してくるアタルに対し、思い切り心の中で喚いた。


 口に出すと何十倍にもなって返ってくるので、パピコはあくまで心の中にとどめている。


 走る前に朝ごはんを食べたのにも関わらず、走り終えるとすでに腹の虫が鳴っていた。


 ダイエットを開始してから、アタルは朝の六時にパピコを叩き起こすので、パピコは家に戻る頃には決まって少し眠たくなってくる。


 アタルの目を盗んで布団の中に滑り込む。

 すかさずアタルがパピコの両足を持って引きずりだす。


 しばらく無言でその攻防戦を繰り返す。

 アタルとはいつも、暖房をつけたり消したりの攻防戦を繰り広げているので、この程度で不協和音が鳴ることはない。


 根気負けしたのはアタルの方だった。


「仕方ない。少しだけ寝たら掃除に取りかかるぞ」


「あら優しい」


「まぁ、考えてみれば夜が長いからな」


「今日もどっか連れてってくれるの?」


「イルミネーション」


「今日も? 先輩って、ほんとロマンチストなのね」


 昼過ぎまで寝て、パピコは腕だけを動かして、クイックルワイパーで半径2メートルだけ磨くと、夜になるまで『きよしこの夜』の練習に没頭した。

 パピコは、明日、刑務所の音楽会でコーラスをすることになっている。

 ボランティアとして、時折大学からいろんな場所に派遣されるのだ。

 だが、刑務所でやるのは初めてなので、いつもより緊張感がある。

 なにせ囚人を前に歌うのだ。

 パピコは、囚人に近いアタルで手応えを掴もうと試みる。


 アタルがそわそわし始める。なんだか昨日から落ち着きがない。

 クスリが切れてるの? なんて冗談を飛ばしたくなる。


「どうだった?」


「え、何が?」


「私の歌よ」  


「ああ・・・調子いいんじゃない?」


 どうやらアタルは上の空だったらしい。


「もう、ちゃんと聞いててよ」


 あなたを囚人に見立てて練習してるんだから。

 こっちの気も知らずに。

 パピコがぷりぷりしたまま、けれどもその真相を話せない歯痒さを抱えたまま、練習に打ち込んだ。


 日が暮れて、出かける時間になっても、アタルは心ここにあらずの状態だった。パピコはパピコで、アタルを囚人に見立てる算段が崩れ、練習も不完全燃焼に終わり、目の前には霧が広がっていた。


 そんな良いコンディションとは言えない中、二人は家を出た。


「ねえ、あれさ、子どもたちにプレゼント配った後、すぐに飲みに行ったのかな?」


 ゴミ捨て場に脱ぎ捨てられたサンタの衣装が目に入り、パピコがアタルに話しかけると、気のない返事が返ってきた。


 私だって満身創痍じゃないけど切り替えようとしてるのに、と、パピコは内心アタルの態度が気に入らない。誘ったのはアタルの方なのに、その態度はなによ!


 昨日同様、イルミネーション通りはカップルだらけだった。

 昨日見たばかりだったので、パピコのトキメキは薄い。この目の前の霧を晴らすことばかり考えていた。


 アタルはイルミネーションを前にすると、余計に落ち着きがなくなり始めた。


「なんか喋ってよ」


 家を出てから一言も喋らないアタルに、パピコが言った。


「いつもの憎まれ口でいいからさ」


「なんだよ、それ」


 アタルはパピコと目を合わせようとしない。


 アタルは、ツリーのイルミネーション前で、微動だにしない。


「埒があかないから、帰る」


 パピコが駅に向かって、歩みを進める。


「おい、待てよ」


 アタルが後から追いかけてくるが、アンダンテの速さのまま一定の距離を保ったままだ。

 パピコの中で、霧が晴れるどころか塵まで積もり始める。


「おい、ここに入るぞ」


 後ろから声をかけてくる。振り向くと、アタルがステーキハウスに入っていくところだった。


 パピコの中で、ステーキ行進曲が流れる。


 メニュー表が逆さまのまま見ていたアタルに、久しぶりにパピコの口から笑い声が出てくる。


「今日は折り入って話があって。ほんとはさっき言いたかったんだけど」


「なによ改まって、気持ち悪いなぁ」


 ジャンボステーキに向かって行進中のパピコは、ヨダレを垂らしながら笑みを絶やさない。霧が晴れてきた。


「俺は、これからもずっとこうしていたいと思ってる」


「ダイエット終わらせてもいいの?」


 突然告げられたダイエットの終焉に、パピコはパアッと目を輝かせて、運ばれてきたステーキにナイフを入れる。


「そうじゃなくて」


 アタルはもどかしそうにテーブルの下で貧乏ゆすりをするが、パピコはナイフがステーキにスッと差し込む様子に感動して、気づかない。


「結婚を前提に付き合ってくださいって言ってるの」


 カチャン、とナイフを皿に置く音が響く。


 ステーキのタレを口回りにつけたまま目を丸くするパピコに、アタルは真剣な眼差しを向けた。


「ちゃんと言わなきゃって、ずっと思ってたんだ。このままなあなあで一緒にいたら、大事にしたい気持ちが伝わんなくてモヤモヤするなって」


 パピコは、ヨダレやタレを拭き取るのも忘れ、アタルにおねだりをする。 


「私の犬になってくれる?」


「なんなりと・・・って言うとでも思ったか!」


 反発しながらも、ティッシュでパピコの汚れた口周りを拭うアタルは、まんまとパピコの魔法にかかったも同然だ。


 パピコの澄みきった視界には、新しい、しかもイケメンの世話人がいた。


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