畑を荒らすタヌキの時間

 アタルがパピコの家に住みついてから、パンと米と麺類が一度の食事で揃うことはなかった。


「パンか米か麺類にしろ」


 無茶を言いだすアタルに、パピコは不協和音が流れる事情を話したが、抽象的な表現が通じる相手ではなかった。


「アタルって、幽霊とか信じないタイプでしょ?」


「は?」


 やはりアタルはパピコのペースにもっていくには厳しい相手だ。


 こうしてパピコは、朝をパン、昼を麺類、夜を米にさせられた。

 一種類ずつしか食べられない分、量は三倍にしたが、それでも以前に比べてたぷたぷの顎がシャープになったような気がした。


 朝のパンからのバナナチェンジに失敗し、バナナの代わりにリンゴを置き換えることになった。もちろん、パピコに相談があるはずもなく、アタルの独断で決まった。


「リンゴは医者いらずっていうからな。風邪をひきまくるお前には打ってつけってわけよ」


 得意気なアタルにリンゴの皮剥きを見せられ、たっぷり感心してあげたさくっとそれを食べてランニングに行く。


 リンゴだけではガソリンにならない。

 パピコは、アタルが自転車にまたがる際に、


「私、足がもつれないか心配」


 と、リンゴ一個でストイックなランニングに耐える自信がないことを、か弱さアピールと共に打ち明けた。


 アタルはしばらくの間、サドルに足をかけたまま考え込む仕草をしていた。


 ゆる~くお願いします、とアタルに向かって拝むパピコは、不審者を見るような顔で通りかかるアパートの住人など目に入らない。


「リンゴも止めて、別の置き換えダイエットに切り替えるか」


 自転車を降りて、アタルがパピコに迫ってきた。


「なになに、こわいこわい」


「俺様のキッス」


「あなたのキスで満腹感が得られるとでも?」


 だよなー、なんて言いながら、アタルは未遂のまま頭をぽりぽりかく。


 ~あなたがどんなキスをくれても

 おなかはすくわ

 いつまでも~


 パピコは歌をうたう。

 アパートの住人が出てきた。

 パピコは知るよしもないが、それは先ほどパピコらの横を通ったおじさんだった。


 あの顔は苦情を言うつもりだな。

 パピコは自分の歌に酔いしれながらも、頭は冷静だった。


 ~おなかがすけば

  大声で歌うのさ

  窓から出てくる子どもの笑顔

  目が合うとチョコレートをくれた~ 


 パピコは、仏頂面の住人のおじさんと目を合わせる。

 ギブミーチョコレート。

 パピコはおじさんに口パクで伝えて右手を差し出した。


 すると、後ろからアタルに首根っこを捕まれた。

 パピコは畑を荒らしていたタヌキの気持ちになる。


「すいません、朝っぱらから」


 おばさんが何かを言う前に、アタルが謝る。


「あんた、ちょっとうちに上がりな」


 パピコは助かったとばかりにおじさんの家に入った。

 お茶を出してもらえる雰囲気ではないが、アタルとの地獄のランニングよりもおじさんの説教の方がましに思えた。


 おじさんは、コタツの中にパピコとアタルを招き入れた。

 ここでイタズラされても仕方ないな、とパピコは観念する。


 しかし、そんな風に一瞬でも思ってしまったことが、恥ずかしいくらいの話をされた。


「知ってると思うが、私の親父は一ヶ月前まで一緒に暮らしていた」


 一階に住むこのおじさんが、お爺さんと一緒に出かける姿を、パピコはよく目撃していた。

 そういえば最近はお爺さんの姿を見ていない。


「その親父が、今は老人ホームに入っててな」


「そうだったんですね」


 最悪の事態を勝手に想像していたパピコは、少しだけほっとする。


「うちの親父は我儘なところがあって、そこでうまく友達が作れてないみたいなんだよ」


「それは心配ですね」


「本当か?」


 おじさんは突然険しい目つきで聞いてきた。

 パピコのことを、信用できるやつかどうか見極めているような目だった。


「まぁ、ほどほどに・・・」


 パピコが思わずたじろぎながらそう言うと、コタツの中でアタルが蹴ってきた。


「私はあんたの歌を聞いて、人と仲良くできるようなさ、ラブ&ピースっていうの? まぁそんな感じの歌を作って、歌いにきてほしいんだが、老人ホームまで」


 音楽ボランティアの依頼がこんなにすぐまた舞い込んでくるなんて、パピコは言葉がすぐに出てこない。


「宜しくお願いします」


 気がつくと、パピコより先に、アタルが返事をしていた。


「良かったな、こんなにすぐリベンジできるなんて、お前、ついてるよ」


「あの、この人もフルートが吹けるんですよ」


 パピコはおじさんにアタルとのセット売りを頼んだ。

 アタルはコタツの中でパピコのスネを攻撃に出る。


「いいねぇ」


 パピコとおじさんの表情は真反対だったが、パピコはアタルに勝ち誇った顔を向ける。


「お願いがあるんですが、少しだけ私たちに時間をください。創作する時間(と、刑務所潜入計画を練る時間)が欲しいので。年を越した後でもいいでしょうか?」


「それは構わんよ。むしろ時間をかけてくれてありがたい」


 おじさんに感謝をされて出てこられるとは、予想外の展開だった。

 アタルがほっとしているのをつけこんで、パピコはランニングをする際、メガホンを止めてフルートにして欲しいとアタルに頼んでおいた。


 体に力が入らない。

 アタルのフルートは、パピコの全身をとろけさせた。

 足がもつれ、アタルに何度も抱き止められた。


「アタルのフルートを目の当たりにしたら、老人ホームのおばあちゃんたちもとろけるだろうね」


「バカッたぬきぐらいだよ、こんなになるのは」


 パピコは交差点の真ん中で、アタルに首根っこを捕まれるのだった。















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