大晦日の時間
大晦日の夜、人が手薄になっているところを狙って、忍び込もう。
パピコは誰にも言えない秘密の決断を下していた。
犯行当日、夜な夜な出かけるパピコに、アタルは、
「どこ行くの?」
と聞いてきた。
「私の身に何があっても、あなたのリンゴの皮を剥く手つきと、あなたが奏でるフルートの音色、そして憎いことばかり言うその唇は忘れない」
「怪しい。身体検査をしてから行け」
「通り魔なんてしないわ。失礼な人」
パピコは、自分に触ろうとするアタルを交わして、靴を履く。
「送っていくよ」
アタルの申し出にも、無視をして出かけた。
「すぐに戻れよな」
ごめんなさい、アタル。それは無理そう。
年越しまであと二時間。
街の中心部に出るほど、騒がしくなる。
タクシーを拾い、刑務所まであと二ブロックのところで降ろしてもらう。
イタチが目の前を横切る。
イタチがこんなとこにいるか?
パピコは自問する。疲れてるのかな?
刑務所の裏手に回る。ジャンパーの袖からスコップを取り出す。
一瞬ヒヤリとしたものの、先ほどの身体検査を、苦労せずにかいくぐれたのは本当に大きかった。
パピコはここで年を越す覚悟を決めてここに来た。
体が冷えて、動きが悪くなる。
こうなることを見越して、厚手のジャンパーを着ていたはずなのに、
大晦日の夜の気温が、パピコの予想を凌駕する。
穴が大きくなればなるほど、パピコの後悔は大きくなっていった。
そういや、今年は忘年会をしてなかったな。
去年はサリーと二人きりで、しっぽりとお酒を飲みながら、忘年会をしたっけな。忘年会なのに、二人の将来について話し合ったな。
あの頃はいつだって、未来は「わたし」のものじゃなくて、「わたしたち」のものだった。
パピコの目頭が熱くなる。
バイトの聖歌隊仲間とも、プーたちともワイワイしたな。
パピコは去年のことを思い出して、懐かしんだ。
アタルと出会ってからは、養う相手もいないから、バイトは籍だけ置いてる状況だった。
そのためバイトの忘年会にはなんとなく顔を出しづらく、大学の友達同士の忘年会は、プーたちに会うと甘えて失恋への愚痴を言ってしまいそうな気がして、なんとなく忘年会には参加しなかったのだ。
パピコは、穴に向かって、忘れたいことを叫んでみることにした。
「1月! お正月の時間。おもちを食べすぎないようにね、と、年賀状が届きました。差出人は、実家に里帰りをしてたサリーでした。おもちを食べすぎた後だったから、私はサリーの年賀状を読むのがつらいほど、お腹が痛くて、救急車を呼んでしまいました。サリーが実家から飛んで帰って来てくれたのが、すごくうれしかったけど、素直になれずに、そっけなくしちゃって、その時のサリーの顔が、忘れられません。早く忘れさせてください」
パピコは、穴の中に神様がいるかのように叫ぶ。
「2月! バレンタインデーの時間。私がサリーに作ったチョコレート、サリーに渡す前に、全部食べてしまったこと、早く忘れたいです」
「3月! ホワイトデーの時間。サリーが作ってくれたチョコレート、こっそりつまみ食いをしようとしたら、全部なくなりました。怒らずに笑ってくれたサリーの顔、忘れさせてください」
「4月! お花見の時間。サリーが私の顔ばかり見ていたので、不機嫌になってしまいました。ごめんなさい」
「5月! ゴールデンウィークの時間。サリーと遊園地に遊びに行きました。並んでる人を割り込んだ時、並んでたおばさんにこっぴどく怒られたけど、私の代わりにサリーがいっぱい謝ってくれました。だけど、途中でおばさんの顔がだらしなくなってきて、代償としてサリーの一日をくれと言ってきました。おばさんは若い男とデートがしたかったのです。あの一日は、一刻も早く忘れさせてください」
「6月! 梅雨の時間。家デートが続きました。一日中サリーと一緒にいるから、独特の、二人にしか通じない話が生まれました」
「7月! 七夕の時間。二人で短冊に願い事を書きました。サリーの短冊に書いてあった言葉、忘れさせてください」
「8月! (少し考えながら)紫外線浴びました」
「9月! 暴走する時間。サリーの右手には、フライパンじゃなくて、ダンベルが持たれるようになりました」
サリーの声が、涙声になってくる。
「10月! 満月の時間。サリーが狼かもしれないと、疑いをかけてしまいました」
サリーはなんとか声を絞り出す。
「11月・・・木枯らし一号の時間」
その時、目の前が明るくなった。
辺りを見回すと、警備員らしき人物が、懐中電灯でパピコを照らしていた。
ヤバい。パピコに緊張感が走る。
絶対にバレるわけにはいかない。
新年一発目の新聞に、夜な夜な刑務所に忍び込もうとした女として、載るのは避けたい。
「そこで何をしてる?」
警備員にそう聞かれ、パピコはとっさに、
「あの、この穴に、イタチを入れてみようかなって思って」
と言った。
「イタチ?」
「はい、さっき通りかかったので」
パピコは警備員に交番に連れていかれ、尿検査を受けた。
尿検査をしている時、ラジオからゆく年、くる年が流れていた。
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