純文学を引きずる時間

「お前、クリスマス、何か予定あるのか?」


 一緒に住んでるくせして、アタルはそんなことを普通にパピコに聞いてくる。


「イブもクリスマスも何もないけど」


 アタルは、この辺りで有名な、イルミネーションに誘ってきた。


「先輩って、意外とロマンチストなのね」


 パピコはイエスともノーとも言わずに、ある作業に取りかかる。


「おい、行くのか? 行かないのか?」


 サリーと付き合っていた頃は、パピコはインドアだった。

 どこかに行くよりも、何かの行事には、部屋でパーティーを開くのが二人流だったのだ。


「行く」


 サリーとお揃いの歯ブラシを、ごみ袋に入れながら、アタルの追及に返事を出した。


「おい、散歩に行くぞ」


 アタルはパピコが何をしていてもお構い無しだ。先が思いやられる。

 パピコは、サリーの痕跡を消す作業を一旦止めて、先に出ていったアタルを追いかけた。


「待って、先輩。通りたい道があるの」


 パピコはそう言って、昨日訃報が届いた老人の家の前を通った。

 家主を失った家の前には、あの椅子がまだあった。


 よかった。

 パピコは安堵に包まれ、肩を下ろす。


 郵便局の前にジャンパーが落ちていたので、パピコはそれを拾って砂を落とし、手すりにかけておく。


 以前のパピコだったら、落ちてるジャンパーを見つけても、何もしなかっただろう。

 だが、老人の家の付近で見て見ぬふりはできない気がした。


「親知らずも抜いたことだし、潔くダイエットするしかないな」


 パピコの気も知らずに、歯医者が近づき思い出したのか、アタルが恐ろしい提案をする。


「私ダイエットは成功した試しがないから、諦めてるんだよね」


「情けない。俺が一肌脱ぐしかないのか」


「結構です」


 パピコは断ったが、アタルは家に帰ると、ダイエットメニューを練っていた。


 パピコは、中断していた作業に取りかかる。

 いつまでもサリーの痕跡を残しておくわけにはいかない。

 アタルは何も言わないが、いい気持ちはしていないだろう。


 サリーが買ってくれたワンピース。

 室内デモで活躍したな。

 袋に入れるたび、古傷が痛む。

 何でいちいち思い出が詰まっているの?


 パピコは、サリーと初めて出会った日を思い出す。


 その日は、歌唱コンクールの前日だった。

 つまり、炭水化物メロディーが流れる前日。


 パピコは大学で夜遅くまで、歌の練習をしていた。

 教授は、細かい手直しはせずに、ここだけは、という部分のみ指摘をしてきた。

 外部から最優秀賞を期待されていることは、本人にも伝わっており、プレッシャーから食事も喉を通らなかった。

 だからなのか、集中力が乱れる。休憩を挟む回数が多くなる。

 家に帰る頃には、日を跨ぐ時間になっていた。


 ドアを開けると、知らない男が、冷蔵庫を開けたままこちらを見ていた。

 パピコは驚きのあまり、声が出なかった。金縛りにあったように、体も動かない。

 男の方も、かなり驚いた顔をしていたので、もしかして、自分が帰る家を間違えたのかなとパピコは思った。


 だが、周りにあるテーブルもベッドも、パピコのものだった。


 泥棒だ。

 パピコはドアを閉めて、警察に電話しようと、カバンから携帯を出そうとした時、中の男に、自分の家に招かれた。


「ひぃぃっ」


「しー、落ち着いて」

 落ち着いていられますか、この状況。

 パピコは中から手招きする男に警戒心を抱く。


「本当にごめんなさい。悪いことをしてると思ってます」


「今すぐ出ていって!」


「すぐに出ていきます、でも、その前に僕に食事を与えてはくれないでしょうか? 三日前から飲まず食わずなんです」


 パピコが手招きする腕を見ると、肉付きが悪く、ガリガリだった。


「他を当たってちょうだい。あいにく私は料理できないから」


 男はそれでも食い下がらなかった。


「安心してください、料理なら僕がしますから。君の冷蔵庫にあった有り合わせのもので、十分作れます!」


 見知らぬ男に勝手に冷蔵庫という生活感が丸見えの場所を見られたことに、パピコはぞっとする。


 パピコは思わずドアを開けて男にタックルした。


 会心の一撃だった。

 倒れた男を見下ろすと、腕同様、全身肉付きの悪さが目立っているが、長身で色白のイケメンだった。


 パピコはタックルで少しだけ気が晴れて、男に料理をさせることを許した。


 男の料理は手際がよく、慣れた手つきだった。

 見た目も美しく、パピコは思わず、


「インスタグラムに載せてもいい?」


 と男に聞いていた。


 男はよほどお腹が空いていたのか、飲み干すようにゴロゴロした野菜や、トロふわな卵焼きを食べた。三日飲まず食わずは嘘ではないのかもしれない。


 男の姿を見ていると、食事が喉を通らなかったパピコも、手で熱々の卵焼きをつまんで、そっと口に入れた。


 優しく、温かい世界が口の中で広がり、目からは涙が出てくる。


「何で泣いているの?」


 男はパピコを見て苦笑していたが、その目は優しかった。


 腹が満たされ、満足した男は、皿洗いまできっちりこなし、家を出ていこうとした。


「待って」


 今度はパピコの方が、手招きをする番だ。


 サリーが下着泥棒だったら、呼び止めはしなかっただろうが、サリーの事情は、パピコが理解できる範疇だった。


 パピコは、最後にサリーの箸を袋に入れると、口をキュッと結んだ。

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