イケメンな時間

 パピコは認めたくなかった。


 風邪をひいてしまったことを。


 アタルに指摘されるまで、誰にも気づかれずにやり過ごしていたのに、公然の場で、


「お前、さては風邪ひいてるな?」


 と、授業中に咳をした正体を暴き、したり顔のアタルに対し、パピコは恨み節が止まらない。


 皆が『パピコを励ます会』を開いてくれた日、ベランダで夜通しサックスを抱えていたのがよくなかったのだろうか。あの日からくしゃみが続き、喉の痛みを感じるようになった。そして今日、ついにコホンと咳が出たのだった。


 アタルがパピコのおでこに右手を当て、左手で自分のおでこを当てた。


「熱はないようだな」


 近くで見るアタルの顔は、毛穴一つなく、鼻筋が綺麗に入っており、パピコは思わず見とれてしまった。頬がたるみ、ほうれい線が綺麗に入っている自分がなんだか恥ずかしくなる。


「大丈夫だって」


 パピコはアタルの手を振り払う。この頃には、敬語も取り払われるようになっていた。


「一応病院には行っとけよ。熱が出る前に治しておいた方がいい」


「大丈夫だって。寝とけば治るんだから」


 アタルは呆れて、


「あっそう。勝手にしろよ」


 と言ってどこかに行った。


 そんなこともあり、細心の注意を払っていたのにも関わらず、パピコはわずか二日後には熱を出していた。


 大学の授業をサボって家でダウンしていると、インターホンが鳴った。

 プーだ! プーが、食べ物を持ってきてくれたんだ!


 パピコは、プーに生理用品を買いに行ってもらいたかったので、天にも昇る気分でドアを開けると、アタルが鬼の形相で立っていた。


 ぎょえ。


 アタルが、怒った顔を近づけてくる。

 怒鳴られる! と思い、目をつぶると、おでこに何かが当てられている感触がした。恐る恐る目を開けると、アタルの顔が至近距離にあり、ドキッとした。自分の鼻息がアタルにかからないよう、パピコは慌てて息を止める。


「ひどい熱だな」


 アタルは自分のおでこにパピコのおでこをくっつけた感想を、険しい顔で言った。


「フルーツにゼリー、あとはポカリ」


 アタルはずかずかとパピコの部屋に入り、買ってきたものを並べる。


「炭水化物が、ない」


 パピコは落胆を口にする。


「ばか! 今はビタミンをとれ。どうせ固形物は無理なんだろ?」


 アタルの言う通り、昨日の夜から何も喉を通らないでいる。


「何も言わずに寝とけ」


「でも」


「いいから」


 アタルはパピコをベッドに寝かせ、自分もそこに腰掛けながら、ナイフでリンゴの皮をむく。


「俺、うまいだろ?」


 パピコはうなずく。アタルのむく皮は、ぺろんぺろんに垂れ下がっているのに、脱力感よりもイキイキ感が似合っている。


 リンゴは皮ごと食べると美味しいよね。

 サリーにそう言って、どの果物まで皮ごと食べられるかを競って喧嘩になったことがあった。


 サリーがみかんでギブアップだったのに対し、パピコはバナナまで食べられたことに対し、サリーが難癖つけて批判してきたのだ。


 サリーがいなくなってから、サリーのことを思い出すのが苦しかったが、今は距離をおいて考えられるようになった。


「おい、飛んでるな?」


 アタルが遠い目をしているパピコに気づく。


「そうみたい。ねぇ、先輩。プーに頼みたいことがあるんだけど」


「そりゃだめだ。あいつも風邪で休んで、ダウンしてるらしいから」


「え? そうなの?」


 パピコはショックを受けた。自分が風邪をうつしてしまったのかもしれない。

 やはり、アタルの言う通り、すぐに病院に行けばよかった。

 パピコは然るべき処置を取らなかった自分を悔いた。


「俺が代わりに聞いてやるから、言ってみな?」


 アタルはずるい。こういう時だけ優しくして、いいやつになる。


「いい」


 生理用品買ってきて、なんて頼めない。

 でも、ナプキンを切らしていては不安だ。

 よりによって、予定日は今日。

 それがずれることなど滅多にない。


「いいじゃないよ。言えって」


 本当は自分でもわかっていた。

 時間がないことを。

 パピコは、布団をかぶって、勇気を絞って頼んだ。


「・・・生理用品を買ってきてください」


 布団の上から、チュッと音がした。


「待ってな」


 布団の上からパピコのおでこにキスをしたアタルが、柔らかい口調でそう言って、ドアから出ていく音がした。

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