響けば尊しの時間
最近の大学でのパピコの姿を、今の諺ができる前に故人が目撃していれば、壁と障子に耳鼻口あり、と諺を作っていたことだろう。
しかし、意味を言わなくても大体通じるため、諺の域にも達することができないような、ガソリン不足の諺としてすぐに風化されたにちがいない。
つまりここは、今の諺を作った故人がパピコを目撃せずにすんで良かったと、諺愛好家なら誰もが肩を下ろす場面となる。
パピコは、定期演奏会の選抜メンバーから外れたのにも関わらず、足は勝手に、練習がある講堂に向かってしまうのだった。
防音の扉をこれほどまでに疎ましく思ったことはない。
パピコは扉に顔を転がしながら、皆の音を拾い、それぞれの音の匂いをかぎ分け、気に入った音にはキスをした。
気づけばパピコはフルートの音にばかりキスをしていた。あまりの音色の美しさに、遂にはキスを超えて音をパクッと食べてしまった。
残さないように一つ一つの音にかぶりつく中、フルートを奏でる面々を思い浮かべる。あの中でこの音を出せる人はたぶん・・・。
エサを食べる金魚のように口をパクパクしていると、急にドアが開いた。前歯がガツンとまともに当たってしまい、悶絶していると、不機嫌な声が聞こえてきた。
「邪魔だ! 気を付けろ」
最悪。パピコは、声の主を見て、十分に舐めた後、溶けるまで舌の上に置いておいた音を、ペッと吐き出した。
この口があの音を吹くなんて信じられない。
パピコは先輩を睨み付けると、黙って立ち去った。
週末、パピコを心配する仲間たちが、パピコのアパートに押しかけてきた。『パピコを励ます会』を開いてくれるという。
ひとりひとりに、お礼を言いながら部屋に招き入れる。部屋着のままだが、気心知れた仲間たちなので気にならない、と言い切れたのも、最後尾の人物を迎えるまでだった。
「・・・ありがとうございます」
アタルは、パピコを無視してずかずかと部屋に入り込んだ。
昼間に彼からもらった鉛が、また増えた。
パピコは一気に気が重くなった。
どうして?
「私を追い込む会だと勘違いしてるんじゃないの?」
パピコがプーに耳打ちすると、プーは手を振って否定した。
「それがね、バイトも休んで来たみたいよ。私も、暇だったらお願いしますって言って声をかけたんだけど」
どういう風の吹き回し?
ひとまずパピコは、アタルを自分から一番遠い対角線上に座らせる。
総勢10人が集まってくれた。皆が持ち寄った料理をテーブルに並べる。パピコの特徴を知り尽くした仲間たちは、パン、米、麺類と炭水化物をまんべんなく持ち寄ってくれている。
パピコはバランスよく炭水化物を採るうちに、腹の中の鉛が泡となって消えていく気がした。
しかし、演奏会に参加する顔ぶれが、演奏会のことを一つも口にしないのは、なんだか気持ちが悪かった。
パピコは自分から演奏会について色々聞いてみた。
お追い込み期間でしんどそうだったが、そのしんどさがパピコには羨ましかった。その向こう側に待っているものを知っているからだ。
その輪に加わりたかった。頑張りたいのに頑張れないパピコの気持ちを汲み取った仲間たちが、口々に温かい言葉をかけてくれる。
励ましに熱がこもりすぎたサムなんかは、途中から宇宙語になっていた。隣のムーは顔面蒼白だったが、皆は酒の影響で呂律が回らなくなっているものだと思っているようだった。
「アタル先輩も、パピコに何か言ってあげてくださいよ」
そんな中、アタルにボールをパスした無法者が出たことは残念だった。
パピコは、最初から部屋をキョロキョロしていたアタルがずっと気になっていた。
「サックスはどこにあんの?」
場の空気が凍りつく。
「練習の形跡がないんだけど」
二十の目がアタルに釘付けになっている。
「お前はもっと、音楽にしがみつけ! 音楽だけは離すな」
静寂の中、アタルの言葉がみんなが用意してくれた盾を吹き飛ばして、パピコの胸に響きを与えた。
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