瞼の裏側の時間
その夜、パピコは初めて腕枕を拒否した。
とてもじゃないが、これまでと同じ気持ちでサリーを腕枕することはできなかった。
狼を腕枕する女子なんて、聞いたことがない。
だから、二人はベッドの中で手を繋ぐことにした。
灯りはサリーの希望で豆電球にしている。
「パピコからいいよ」
「ううん、サリーが自分で話してほしい」
「分かった」
パピコは瞼を閉じていた。サリーも目をつむってるんだろうなと、なんとなく思った。
瞼の裏には、譜面がずらっと敷き詰められている。二人の会話が音符になって生まれ変わり、新譜が生まれていく。
「まず、パピコに謝らなきゃいけないことがある」
恐ろしいことが起きる前触れにふさわしいメロディーが流れる。
「うん」
それに耐えうるようにと、パピコは土を蹴るように自らアクセントをつける。
「この前お前がバイトをしてる時、お前に内緒で、サムってやつに、会いに行ったんだ」
早くも転調した。今度は予想外の出来事が起きたときに流れるやつだ。
どういうことだろう?
作曲者であるはずのパピコも、先の読めない展開に目をつむったまま眉をひそめる。
「私が思い当たるサムは、一人しかいないけど、彼のことかしら」
「ああ、そのサムのことだよ」
「どうして・・・」
「あの日、お前をお姫様だっこして俺の前に現れた日から、俺は毎日悪夢を見るようになったんだ」
後でわかったことだが、パピコが倒れた日、サリーをお姫様だっこして家まで送ってくれたのは、あの日歌のレッスンのグループが一緒だったサムという男だった。
「俺はサムに会いに行こうと思った。サムに会うのはドリブルをするより簡単だった」
サリーの瞼の裏には、台本が貼り付いているんだろうか。
子供の頃はサッカー小僧だったというサリーが朗読口調で話すので、瞼の裏に譜面が貼り付いているパピコがそう思うのも無理はない。
「サムはいい奴だった。突然現れた無礼者にも、丁寧に自己紹介をしてくれた。思えばその時から、やつのことが少し好きだったのかもしれない」
眠気と戦いながら、瞼の裏に写る新譜を眺めていたパピコだったが、集中しないと制御できないほど、音が意志を持ち始めた。
「俺がパピコの男だと知ったあいつは、相談があると言ってきた。俺は心の準備をしてきたものの、やつが抱えてたでかい楽器を見て、内心びびってた。もし、パピコへの気持ちを演奏で表現力されたら、俺は平常心でいられる自身がなかった」
パピコは暴れる音を蹴散らす一方で、脳内の余白部分でスーザフォンを奏でるサムを思い出す。
「だがやつは、その楽器で俺をどうこうしようという気はなかったようだ。マックに誘われ着いていくと、お前との関係についてあれこれ聞いてきた。俺はお前との仲を思い知らせるように、聞かれたことは惜しみなく何でも答えてやった」
音符は散らばって消えていき、しぶとく生き残った音は、隣との間隔を空けて利口に並んでいく。
「真剣に聞いてたあいつは、最後にこう聞いてきたんた。もし、パピコが宇宙人だったとしても、付き合えるかと」
生き残りの音も、一斉に弾けとんだ。パピコは目を開けて横を向いた。
「なんて答えたの?」
「それはいわない。それよりあいつの好きな子、どうやら宇宙人らしい」
サリーはパピコより先に、瞼の裏側から帰ってきていた。
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