第36話 悪夢が……

――先輩……。

 ユウの血に染まった手が俺の額に当てられた。そのまま彼女の指が俺の頬を這い、口元へ。

――……大好きです。先輩。

 キラリと光る何か。

 や、やめええええうおおお。

 

「ゆ、夢か……」


 起き上がると背中が汗びっしょりで、目が完全に覚めてもしばらく動けないでいた。

 次の日こそ悪夢は見なかったが、一週間で都合三度も思い出したくないあの悪夢をみてしまう。

 こ、これは……何とかしないと。会社の面接どころじゃあねえ。

 俺は夜中にトイレに行くことさえ恐怖しながら、日々をすごす。こういうとき一人暮らしは辛いな……誰かあ。誰かあ。

――先輩……呼びましたか?

 げ、幻聴があああ。ぐああ。

 だ、ダメだ。もう……かゆうま。

 

 ◆◆◆

 

「――というわけなんだ。ミオ」

「そうですか。意外です」


 一週間の労働を済ませていつもの喫茶店でミオに訴えかけると、彼女は表情一つ変えずコーヒーをコトリとテーブルに置く。

 ちなみにこのコーヒーは三杯目だ。熱く語っていたら、結構時間が経ってしまったんだよ。


「意外って……」

「良一さまはそう……あれですのでもっと動じないと思ってました」


 「あれ」の中身が激しく気になるけど、それはいい。ミオに全て吐き出したことで、ようやく俺にとって今何が必要なのかが見えてきた。

 

「何か思いつかれたのですか?」

「うん。この悪夢……差し押さえます!」


 立ち上がり、ガッツポーズをする俺へミオが眉間にしわを寄せてやる気なく拍手する。

 ミオの態度に一人はしゃぎ過ぎたことに恥ずかしくなってきて、上げた腕を降ろし何事も無かったかのように椅子に座りなおす俺。

 

「それで、どうするのですか?」

「うん、悪夢を取り払うには除霊だよ。除霊」

「怨念ですか……良一さまの肩に手をかけている……ゴーストを?」

「え、えええええええ!」


 椅子から転げ落ち、激しく動揺する俺へ、ミオは肩を震わせグッと何かに耐えている。

 

「だ、だましたなあ! ミオおお」

「ほんの軽い冗談ですよ。良一さま」

「しゃ、しゃれになってねえって。これは……俺もミオへ……何かやっちゃってもいいってことだよな」

「ダメです」

「……えええ」

「ダメです」

「……はい」


 お詫びにちゅーくらいしてもいいじゃないか。ミオを抱きしめて……ぐふふ。

 

「嫌らしいことはダメです。するなら私からです」

「……ミオからならいいの?」

「……今のは失言でした」


 頬を赤らめ、プイっと俺から顔をそらすミオ。いやーん、可愛いー。ダ、ダメだ。思考は読まれている。

 

「良一さま……?」

「……は、はい。で、でもミオ」

「何でしょうか?」

「話が進まねえ」

「そうですね……それで、除霊でしたか?」

「うん、そうそう」


 これまで俺はいくつかのトラウマを異世界逝きで植え付けられてきた。代表的なのはシャラララーンとかそんなんだ。

 しかし、これまでのトラウマなんぞ比じゃないくらい「……先輩……」は凄まじい。異世界から現実世界に戻るのは俺の体のみ。だから、何か憑いているってことはないはずなんだけど……。

 悪夢は精神的なものからきていることは間違いない。

 じゃあ、何で除霊なんだってっと。それは、悪霊退散をすることで自分の精神を慣れさせるためだ。「……先輩……」は悪霊じゃあないけど、悪夢という形になって俺を悩ませている。

 よく似た悪霊退散をすることで、きっと俺は「……先輩……」を克服できるはずだ!

 

「……あまりの情けなさに何も言うことがありません」

「ほっといてくれ! 今回の設定は日本にどこか似た世界だ!」


 気合の入った俺に対し、ミオは呆れたように首を振ると一応俺の注文を聞いてくれた。

 除霊と言えば日本だろ。よくあるあれだよ。悪霊をお札でやっつけるなんだっけ……まあいい、そんなやつだ。

 袴みたいなのを着て、さっそうと襲い掛かる霊をやっつける。なかなかカッコいいんじゃないか?

 よおし、頑張るぞ。

 

 ◆◆◆

 

「それでは、異世界体験版をお楽しみください」


 ミオが呆れた顔でスカートの両端をつまみ優雅な礼をする。

 すぐに彼女の姿が消失し、時間が動き出す。

 

 どうやら俺は伝統的な和風のお屋敷にいるようだ。俺は陰陽師というお札で除霊を行う職業についているという設定で、スキルはそのまんまだけど「除霊」。

 恐らくこの屋敷は陰陽師たる俺が住んでいる家だと思う。

 まずは屋敷を探索してみるとするか。

 

 十二畳ほどあるガランとした部屋の障子戸を開けようとしたら、人影が障子に映りこむ。

 ん? 誰だろう。

 

「同志良一、起きましたか?」

「あ、うん」


 呼び方がとても気になるけど、まあいい。俺は返事をすると共に障子戸を横に引き開く。

 障子戸の向こうには声から若い女の子と思っていたが、巫女さんが頬を膨らませていて立っていた。

 長い黒髪を赤い紐で括り、白をベースに刺し色へ赤を使った巫女服。キリっとした釣り目でスッキリと通った鼻筋。可愛いというより美しいといった感じの女の子だ。

 年のころは二十歳前後ってところかな。俺より少し年下だろう。たぶん。

 

「同志、萃香すいかを待たせ過ぎです」

「え、ええと。スイカさん?」

「同志、スイカではなく萃香すいかです」


 なんだかよく分からないけど、この娘の名前が分かって良かった。

 可愛い子もいるし、俄然やる気が出て来たぞおお。

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